上機嫌な王太后
お誘いに応じて王太后宮にやってきた私は、話題の中心になっていた。
いつも嫌味を言うボア伯爵夫人が、目をキラキラさせている。
「私ね、怖くて震えていたのよ。だってあんなに長いこと水に沈んでいたのですもの。てっきり、もう駄目なのじゃないかと思ってね。それがまあ、たった今目が覚めたかのようにムクッと起き上がるのだもの。びっくりして、倒れこみそうだったわ」
――起き上がっていないけど......まあ、言いたいことはわかる。
「私も、何が何だか。すぐに気を失って、暴れなかったのがよかったようです。何が幸いするかわかりませんね」
替わって、いつも文句ばかり言っているシリー伯爵夫人が兄とエマを褒める。
「エリック様は、すぐに飛び込んだのですって? 妹思いなのね。私の夫は、私のために飛び込んでくれるとは思えないわ。それに護衛の方も、さすが王宮の女性護衛騎士だわ。優秀なのね」
兄は苦笑している。
エマは、「お褒めにあずかり光栄です」ときれいにほほ笑んでいる。
「暗殺者は捕まらなかったのよね。腹立たしいわね」
これにはエマが答えた。
「マリア嬢を助け出した後、私が追ったのですが見失いました。なぜか浮き上がっても来なくて、どこに逃げたのやら。あの湖をよく知っている者かもしれません」
二人の婦人は、「やっぱり計画的なのね。きっと王太后様を狙ったのだわ。恐ろしい」と言って騒ぐ。
王太后も、「まったくね。私の身代わりで、あわや命に関わることになるなんて、申し訳ないわ。何かお詫びの品を贈らせてちょうだい」
私は先程からずっと、居心地の悪さを感じている。
王太后は、私が石の加護を持っていることに気づいているはずなのに、そんなそぶりを全く見せない。それどころか不思議なことに上機嫌だ。
そのせいで、なんとも落ち着かない気分でいる。
その私の隣でノエルはわかりやすく口をとがらせている。話題に加わることができずふてくされているようだ。
私は、扇子で軽くノエルの膝を叩き、ニコッと微笑んで見せた。
合図を理解したようで、ノエルは不器用に微笑んだ。
まだまだね。
母や兄のレベルは無理としても、一般的なレディのレベルまでは引き上げないと、大層困ることになる。
社交界デビューまでに特訓が必要だわ。
「まあ、ノエル嬢を置き去りにしてしまったわね。ごめんなさい。色々なことがあって、気持ちが乱れていたの。お招きしたお客様を話題から除け者にするなんて、ホスト失格よね」
王太后が申し訳なさそうにノエルに目配せする。
ノエルは突然に皆に注目され、慌てながらまんざらでもない様子だ。
今日は王太后の様子がとても柔らかい。思わずいい人なのかもと錯覚してしまいそうになる。
「そういえばマーカスからの遺贈も、マリア嬢だけを指定していたわね。それはかわいそうね。いいことを考えたわ。私からノエル嬢宛てに何か贈らせてもらいましょう」
「まあ」
ノエルが嬉しそうに叫んだ。
「王太后様、お気持ちだけいただいておきます。我がクルス家は、もう十分に良くしていただいております。これ以上は欲深すぎます」
兄がすぐに牽制した。
「あら、マリア嬢ばかりじゃ、ノエル嬢が気の毒じゃないの。ねえ、皆さん」
「そうかも? しれませんわね」とボアとシリー夫人が言い合う。
「ノエル嬢に似合いそうな、素敵なネックレスを贈るわ。ピンクのトパーズなんかどうかしら。白い肌と金色の髪によく映えるわよ」
王太后はニコニコしながら、ノエルを眺めまわしている。
「いくつか見繕っておくから、今度選びにいらっしゃいな」
「はい」
ノエルが元気に答えた。
兄が口元に拳を当て、ため息を隠している。
侍女がやってきて、王太后に書面を渡した。
それを読むと、「あら」と声を上げる。
そして私の方を向いた。
「ブライアン・ローズ殿が、ジョエル殿下の名代としてこちらに来られるそうよ」
私は思わず、椅子から立ち上がりそうになった。
王太后は嬉しそうに笑いながら、「チャックを歓迎していただいたお礼をお届けさせていただきます、ですって」と言う。
婦人たちは、「まあ、さすがジョエル殿下。心配りが素敵だわ。やること全てチャーミングよね」
そう言って若い女性のようにはしゃいでいる。
ジョエル殿下らしい。そしてその名代がブライアン様なのは、ブライアン様らしい。
その話を聞くなり、会いたくてたまらなくなった。
今までは会えないのだとあきらめて、考えないようにしていたのだ。でも、もうすぐ会えると思うと、いてもたってもいられなくなった。
「先ぶれの使者の手紙よ。ブライアン様たちが到着するのは、三日後くらいになるそうよ」
手紙を皆に見せてそういった後、私の方を向いてにっこりとほほ笑んだ。
「ジョエル様が言うには、婚約者のマリア嬢不在で、ブライアン殿があまりに寂しそうにしているので、彼を名代としてお送りします、ですって。仲がいいのね」
照れくさいせいもあったが、あまりにも上機嫌な王太后の様子が不気味に思え、私は下を向いて表情を隠した。
「ブライアン殿がいらっしゃったら、歓迎の夜会を開かないとね。楽しみなことね。マリア嬢」
「お心遣い、ありがとうございます」
目を伏せて王太后の視線を避け、そう答えるのが精いっぱいだ。何か、おかしい。胸がざわざわする。
「お姉さま、良かったですわね。久しぶりに恋人に会えますね」
すっかり機嫌を直したノエルは、素直に喜んでいる。
「そうね。楽しみね」
とにかくブライアン様にもうすぐ会える。それが救い。
でも来て欲しくない気もする。
王太后は、明確にブライアン様が来ることを喜んでいる。なぜ?
私の暗殺に、最も邪魔になりそうな人物なのに。
心の中で警報が鳴り続ける。
帰宅すると、兄はそのまま私の部屋に付いてきた。ノエルも同行させている。
侍女を前室で待たせて、兄はノエルに向き合った。
「まずはノエルだ。今まで散々王太后は危険だと言っただろう。もう少し警戒しろ」
ノエルはすぐに唇を尖らせた。
「贈り物を受け取るなら、絶対に母上に同行してもらえ。父上では駄目だぞ。いいな。そして何を聞かれても、母上に確認してから口を開け」
兄の態度が、以前の私に対するものと似てきている。
叱りつけるような言葉には、心配が混ざり、それが更に語気を強めている。
ノエルがビクッと肩をすくめる。
その姿にかつての自分が重なった。
「お兄様、もう少し柔らかく話してあげて。他の令嬢と話すときのように」
冷静な私の声で、我に返ったように兄がこちらを振り向く。
ノエルは怯えを滲ませながらも、拗ねた表情を崩さない。
――ノエルは私より、ずっと気が強いのよね。
「お母様には私からも話しておくわ。くれぐれも注意してね。お母様をよく見て学んでちょうだい」
ノエルが自室に戻ると、「さあ、ここからが本題だな」と言いながら、兄はソファにドサッと座り込んだ。
「王太后の機嫌が良くて、気味が悪かったです」
私がそう言って周囲を見回すと、エマがうなずく。
「余裕がありすぎて嫌な感じでしたね。何か策があるのでしょう」
そのエマに、「どんな策か想像が付くか?」と兄が尋ねた。
「マリア様は暗殺不可能、そして石の主。それならマリア様ごと、ベルシアに引き込みたいはず。色仕掛しようにも、婚約者はあのブライアン様。勝てる男は少ない。しかも本人が迎えに来る」
エマは現状を並べ上げてから、私とベルとダリルの表情を確認するように見回す。
「詰み、だと思うのですが。私には分かりません」
兄はしばらく考え、「こりゃあ、母上とロイドにも、聞いてみたほうがいいかな」




