王太后暗殺未遂事件、なのか?
「マリア、何があったか覚えているか?」
部屋に戻り、着替えてベッドに入った私に、兄が聞いた。
もちろん覚えている。あれは誰だろう。すごい力で私を水底に引っ張りこんだ。ドレスの抵抗もあって、すごく重かっただろうに。
「桟橋に立って日傘を開いた後、すぐに足首を掴まれたの。それで湖に引きずり込まれた。私は湖面に上がろうと必死で腕を動かしたけど、足を掴む手は離れなかった。引きずり込んだ後、ずっと湖の底まで、私を引いていこうとしていたみたい」
枕元にいたベルが、「恐ろしい」と言い、私の手を両手で包み込んだ。
「お前はその後のことを、どこまで覚えている?」
怖かったし、苦しかった。
あまりに突然過ぎて、パニックになっていたせいか、記憶がぼんやりしている。
「明るい方から遠ざかるのがわかって、それが怖かったの。足を引っ張る人物の手を、もう片方の足で蹴った? そうよ、それで手が離れたの。それ以降のことは覚えていない」
兄とベルは黙っている。その二人をエマが見ている。
「どうかしたの? 何かあったの?」
兄が顎を擦りながら、エマを見る。
「お前は五分以上溺れていたんだ。それでも生き返ることはあるけど、何のダメージもないのはおかしい。エマも、多分、王太后も気付いたのだと思う」
五分間!
目を覚ました時、全くどこも苦しくないのに驚いたけど……
声の出ない私に、兄が頷く。
「これが護りの力なのだろうな。王太后は勘づいた様子だった」
それから兄はエマに向かい合い、小首を傾げて目をのぞき込むようにした。
「王家に秘密にしてもらうことはできるだろうか。ベルシア国の出方によっては、王に話さねばならないが、そうでなければ秘密にしたい」
「リース王家に害を成すものですか?」
「いいや。ただマリアを手に入れようと考えるかもしれない」
エマは唇をグッと引き結んだあと、「んー」と唸った。
「それはないでしょう。ご心配なく」
サラッと出た言葉に、「エッ」と驚いたのは、私だけではなかった。
「ブライアン様と婚約されている今、既に王族の一員のようなもの。今さら王子に鞍替えしろなどと言い出しはしません」
「そうなのか!?」
「王は妹の公爵夫人にとことん甘いし、公爵家の方々はそれぞれにお強いです。本気で争ったら国が割れますから、争うことはないでしょう」
少し考えて、ニヤッと笑った。
「王家対ローズ公爵家の戦いで、どちらが勝つかは興味深い話題です。人気ではローズ家に軍配が上がるかもしれません」
わざと危ない話題を口にしてくれたのだろうか。こちらの秘密との交換に?
私は大きくため息をついた。
「私はこの国に伝わる宝を、知らない間にマーカス王から譲られていたの。それがこの護りの力よ。実際に体験したのは初めてだけど」
「エッ、なぜマリア様が?」
「話せば長くなるので、詳細は今度ね。宝はマーカス王が祖母に渡していたの。ベルシア王家はこれを取り返したつもりでいた。ところが実は私が引き継いでいる。その真実に、今回のことで気付いたというわけ」
ふんふんと聞き、「エッ、危険じゃないですか!」と叫んだ。
「そうよね」
そう言ってから兄の険しい表情を見て、続く言葉をのみ込んだ。
「しばらくお前は体調不良と言って、部屋にこもっておけ。この件に関してはしらばっくれるしかない」
私は布団を引っ張り上げ潜り込んだ。
――ああ、全くなんてこと。上手く潜り抜けられると思い始めたところだったのに。
布団を掴んで顔をうずめた私を、エマがおずおずと覗き込んでくる。
「その話より重いのか軽いのか、もう見当もつかないのですが、今日の暗殺未遂は、いったい何でしょうか」
私は布団から少し顔を出した。
「祖母への嫉妬? かしら」
「確か若い時の恋っておっしゃいませんでした?」
「そうよ。私には王太后の気持ちは、さっぱりわからないわ」
フーッと息を吐き、エマがつぶやく。
「ブライアン様が必死になるわけですね。ずっと違和感がありましたが納得しました」
会話が途絶え、全員が思い思いの考えに沈んでいるところに、ドアがノックされた。取り次ぎに立ったベルが誰にともなく聞く。
「お医者様がいらっしゃいました。どうします?」
別荘に戻ると、サマンサがすぐに医者を手配してくれたのだ。
「断るわけにもいかない。通してくれ」
「でも何の異常もないのでは、おかしく思われない?」
私の言葉に誰も返事を返してくれない。
大人しく診察を受けるしかないようだ。
医者は部屋にはいるなり、ベッドの横にやってきた。この別荘近くの街の医者だそうだ。
胸や鼻や耳に痛みはないか、胃の調子はどうか、気分が悪くないかと、いくつかの質問をした。
「湖に落ちたと伺いました。あまり水を飲んでいないようですね。それは非常に幸運なことです」
そう言って私の脈を取り、目の中を覗き込む。
「もしかして、早くに気を失いませんでしたか?」
「あ、はい。いつの間にか気を失っていました。すごい勢いで水中に沈んで、怖くて」
「なまじ足掻かずに、気を失っていたおかげですなあ。それで逆に身体へのダメージが少なかったのでしょう」
それから周囲の者たちを見回した。
「桟橋から落ちただけなら、すぐ引き上げられたと思うのですが、どういう状況だったのでしょう」
兄が眉を寄せた。
「事故の経緯は、医者には関係ないと思いますが」
医者は申し訳なさそうに言う。
「経緯も聞いておいて欲しいと依頼されております。事故ではなく、事件らしいとも」
そういえば兄はサマンサに、妹が湖に引きずり込まれたと告げたのだった。
サマンサは王太后とグルではないの?
兄も思い出したのだろう。苦々しげに言う。
「何者かが桟橋に立っていた妹の足を掴み、湖に引きずり込んだ。すぐに俺とエマが飛び込んで追ったが、凄い勢いでマリアを引っ張って行った。俺たちは必死で後を追い、水に沈んでいたマリアを引き上げたんだ」
エマが横にやってきた。
「マリア様をエリック様が抱えて桟橋に向かい、私は暗殺者の後を追いました。でも追い付けませんでした。多分この湖に慣れているか、準備をしていたのだと思います」
医者は、ハッと息をのむ。
「これは大事ですね。もしや王太后様に間違われたのでは?」
兄がびっくりしたように叫んだ。
「そうかもしれないな。同じ船だったし、似た色のドレスだったから」
私も驚いた。その可能性もあるのだ。
……王族は狙われる……その言葉を思い出す。
その後兄は医者と共に、王太后に報告に行くことになった。
大分してから戻ってきた兄は、疲れた様子でベッドの横に椅子を持ってくると、ドサッと座りこんだ。
「医者の見立てで、皆納得したよ。だが王太后は納得していないな」
「……そう」
「それより、もしかしたら王太后が狙いだったのでは、という話が出た途端に大騒ぎだよ。早速明日の早朝に戻ることになった。俺たちはゆっくりと出ることにしてある」
私が狙われたのか、王太后なのか、一体どっちなのだろう。
どちらも有りうる。
「ねえ、石の加護が無ければ、私は死んでいたのかしら」
兄は横を向いたまま、「ああ」と答えた。
「二回も助けられたわね。この加護は危険から守るのじゃなくて、命の危機を救ってくれるのね……こんな目に何度も遭いたくはないわ」
「もう、ないさ。早めに国に戻ろう。何とでも理屈は付けられる」




