別荘での舟遊び
ベルシアの離宮での毎日に次第にリズムが出来始め、それなりに日が過ぎていった。
部屋で刺繍をし、たまにお茶会に顔を出す。
ありがたいことに王太后以外からも誘いがあり、積極的に顔を出すようにしている。
そうすると何回かに一回は、気詰まりなお茶会を断ることが出来る。
やむなく出席するときは極力しゃべらない。
私の隣はいつも問題のありそうな男女が囲むが、彼らからエマがスマートに守ってくれる。
夜会も同様だった。
私は積極的に社交を楽しみ、ダンスもたくさん踊った。
危なそうな人物はエマが耳打ちしてくれる。そのおかげで私にもそれが見分けられるようになっていった。
今も若い男性がこちらに向かってきている。ダンスの誘いだろう。
「彼は大丈夫ね」
「はい。問題ございません」
エマがニコッと微笑む。
私は男性の誘いに応じ、その場を離れた。
すると若い女性たちが、次第に彼女の周囲に集まる。キリッとしたエマは人気者なのだ。
王妃の護衛の時、寄ってくる人は少ないそうだ。私の護衛だとだいぶ敷居が低いのだろう。エマも楽しいと言っている。
そうやってエマと共に若い女性に囲まれると、私はとても楽が出来る。
そんな日々が続き、私はほんの少し自信を持ち始めていた。
王太后に誘われて出かけた別荘地でも、思いがけないことに、リラックスして過ごすことができた。
別荘には家族全員が招待されたが、両親は妹の体調を理由に断り、結局私と兄が同行することになった。
またノエルが何かやらかしたらいけないと、慎重になったらしい。ノエルは文句を言っていたけど、しぶしぶあきらめたようだ。
私は兄と共に、王太后取り巻きの面倒な貴族たちとの付き合いをこなし、それにも次第に慣れていった。
そのせいでいつしか油断が出始めていたのだ。
そして今、私は後悔しながら、水の中でもがいている。
別荘裏の湖で舟遊びをし、船から降りるところで、桟橋の下から伸びる手に足首を掴まれ、湖に引きずりこまれたのだ。
事の始まりは王太后が舟遊びをしようと言い始めたことだ。
この別荘にやってきて三日目になり、皆、散策やピクニック、屋敷でのポーカーなどに飽き始めていた。
「明後日には戻るのだから、最後に舟遊びをしましょう。ここの湖には自慢の船がおいてあるの。バイオリン奏者を乗せて、優雅に遊びましょう」
倉庫から湖に船が運び出される。
それは装飾が施された豪華な二台の船で、大人が四人くらい乗れそうに見えた。
その様子を見ながら、ベルが不安げに私に忠告した。
「お嬢様、落ちないよう気を付けてくださいね。そのドレスでは落ちたら泳げませんし、救助するにも時間がかかります。とにかく何かに掴まって浮いていてくださいね」
舟遊び用に一番軽いドレスを着てきているが、それでもドレスは重いし、足に絡まるだろう。私は自分の着ているドレスの裾を持ち上げ、それから船を見た。
「私を殺すために、この船をわざわざ沈めたりするかしら」
「うーん。そうなのですけどね」
少し首をかしげているベルに、エマがきっぱりと言った。
「王太后様と一緒に乗ればめったなことは起きません。きっと大丈夫です」
結局一隻には王太后と護衛、私と兄、もう一隻に貴族の男女三名と、バイオリンを持った音楽家の八名が乗り込んだ。オールで漕ぐのは男性の役目、一周して戻ったら、他の人に交代することになっている。
私は兄の手を借りて船に乗り込んだ。
ベンチにはたくさんの敷物とクッションが積まれている。その一つに座ってみると、思ったよりも座り心地が良い。
湖の上を吹き抜けていく風が、髪を揺らして通り過ぎる。それがすごく心地よく感じられる。
船には屋根がついていて日差しを遮ってくれるので、日傘もいらない。
「まあ、なんて気持ちがいいのでしょう。素敵な船ですね」
思わず王太后にそう声をかける。彼女も心地よさげに目を細めている。
全員が乗り込むと、船はゆらゆらと揺れながら、水の上を滑るように動く。
水面に映る青い空が美しい。
たまに水面に姿を現す魚の姿を探すのも楽しかった。
兄と護衛の男は、ゆっくりとオールを動かしている。初めは変な方向に回ってしまったりしていたが、すぐに真っすぐ進めるようになっていた。
「楽しいですね。それにとっても気持ちがいいです」
「そうでしょ。この別荘に来たら必ず舟遊びをするの。昨日までは風が少し強かったけど、今日はちょうどいいわ」
もう一台の船から、音楽家の奏でるバイオリンの音色が聞こえてくる。心地よい揺れと美しい音色に、うっとりぼんやりとした気分になる。
湖を一周し桟橋に着いた頃には、すっかり夢見心地になっていた。
王太后たちが先に降り、兄と音楽家が降り、最後に私が船から降りた。使用人が二人で船のロープを桟橋の杭に結び付けている。
「まだ少し、頭がゆらゆらしている気がするわ」
そう言いながら桟橋に足を付けた。兄が手を貸してくれたので、それに捕まり桟橋の上に上がる。
気持ちが良くて、大きく伸びをした。それからパッと日傘を開いた。
そして二歩ほど歩きだしたところで、何者かが私の足首を掴んだ。
バッシャーン。
そういう音が自分の耳に聞こえ、それと共に水が周囲を取り囲んだ。
驚いて口を開けていたので、一気に口の中を水が満たした。
腕をバタバタと動かし、明るい方へ、上へと上がろうとするけど、足首を掴んだ手は底に向かって引き戻す。
何? 一緒に水に潜っているの?
驚いて一瞬そう考えるが、苦しくて考えがまとまらない。
足を掴んだ手は、私を暗い水の底に向かって引っ張っていく。もがく私の体は、その手から逃れることができない。私は必死でその手を蹴った。
次第に意識が遠のき、そして暗くなった。
……
「マリア、マリア。聞こえるか?」
薄く目を開けると、青い空と、まぶしい日の光が目を射た。
そして兄の顔がすぐ上にある。
「何? どうしたのだったかしら」
「よかった――助かった……」
私は桟橋に寝かされているようだ。そしてさっきまで水の中でもがいていたことを思い出した。
「......私、湖に落ちたのだったわ」
上半身を起こすと、髪から水が滴り落ちた。体もドレスもまだ濡れていてとても重い。
さっきあんなに水を飲んだし、苦しかったはずなのに体は何ともない。
なんの異常もなさ過ぎてうろたえた。
周囲を見回すと、離れたところに王太后が立ってこちらを見ていた。
とても驚いている?
その向こうに停めてある馬車から、タオルを抱えたベルが出てくる。私を見るとこちらに向かって走り始めた。
エマは? と見まわすと、湖からエマが桟橋に上がってきた。息が荒く、肩が上下している。
「賊は取り逃がしました。申し訳ございません」
髪をかき上げながらこちらを見ると、彼女は走り寄ってきた。
「マリア嬢、ご無事だったのですね......なんで?」
エマは私の肩を掴んで、しげしげと私の様子を見る。それから黙って兄に目を向ける。
兄はエマの腕を軽く叩き、「後で」と伝えた。
ただならない様子からして、私はかなり危険な状態だったのだと思われる。
そう思った途端に、体がブルッと大きく震えた。
駆け寄ったベルが私を大きなタオルで包んだ。
「お嬢様、別荘に戻りましょう。暖かくして、ベッドに入らないといけません」
兄は思いだしたように、「そうだな」と言い、私を抱え上げた。
まだ水が全身から滴っている。兄もずぶ濡れだ。
馬車に戻る途中、兄は王太后の前で一旦止まった。
「妹を早く休ませたいので、お先に失礼させていただきます。お騒がせして申し訳ございません」
「ああ、そうね」
兄の言葉に生返事をしながら、王太后の目は私をじっと見ている。その表情には、怯えと怒りが入り混じっているように見えた。
私たちは足早にその場を立ち去った。




