夜会へ
夜会の前日、王妃様が帰りの挨拶をする私に声を掛けた。
「マリア、あなたは明日ブライアンにエスコートを受けるでしょ。ずっとあの子とばっかりいては駄目よ。他の人とも交流しなさいね」
「はい。承知しております。ブライアン様に頼らず、自分一人の力で精いっぱい頑張ります」
私が気負って答えたら、王妃様は面食らったようだ。
え、答えが違った?
そろっと、ベルの方を見たら、軽く首を振られた。
私の左横に立つエマも目線を下にして黙っている。
「マリア、明日はブライアンに頼っていいのよ。彼は社交に長けている。彼からも学びなさい。使える物を上手に使うのが、社交の鉄則よ。明日は、まず自分が楽しむこと。楽しめないと、それは周囲に伝わるのよ」
王妃様の言葉に、気負っていた気持ちがぽんと爆ぜたような気がした。
じゃあ、ブライアン様と一緒の時間を十分楽しんで、それから……
これは私が初めてまともに出席する夜会。
初めて好きな男性と一緒に出席する夜会。もしかしたら次はないかもしれない。
「楽しく過ごします」
「それでいいのよ。基本はそれ。そして失敗してもいいからやってみて慣れる。失敗しない人なんていないから、気にしなくていいわよ」
王妃様に感謝の言葉を述べて、私は部屋を後にした。
その夜は、ベルに温かいミルクを貰って、早く眠りについた。
朝起きたら、既にカーテンが引かれ、部屋は朝日がいっぱいに入り込んでいた。
ベルは、タオルやお湯を運んで、準備を整えている。
「お早うございます。ご気分はいかがですか」
「お早う、ベル。とてもすっきりした気分。今夜の夜会が楽しみよ」
「では、軽くお顔とデコルテの手入れをさせていただきますね。その後に朝食。それから入浴して、全身マッサージ。昼食後に本格的にお支度をさせていただきます」
……えっと、どれだけみっちり準備する気?
そう思ったのを察知したらしく、ベルの顔が怖くなった。
「お嬢様、夜会を舐めたらいけません。かなり身近に皆様と接するのです。お肌の手入れは必須。体もほぐしておきませんと。今日は一日がかりとお思いください」
逆らえる知識も経験もないので、「お願いします」と言って、全てをベルに任せた。
そして一日掛かりのお支度が始まったのだ。
顔のオイルマッサージ、タオル蒸し、頭皮のマッサージなどを受けていたら、気持ちが良くて、また寝てしまいそうになった。
ベルと助手二名の三人がきびきびと動き回る。
私はゴロンと寝転がって、されるがままになっている。
こんなでいいのかしら、と思って頭を上げた。
「お嬢様の仕事は、精一杯魅力的になる事。それ以外は考えない。私はお姫様、と唱え続けてください」
「はい」
ベルの迫力に負けた。今日はベルの小柄な身体がオーラに包まれている。
そうやって、入浴まで済ませて食事を終えたらお昼寝タイムになった。
ベッドに横たわり、アイマスクを付ける。
全身をこね回され、身体が疲れているのか、気持ちいいのか分からない。
でも満ち足りた気分ではあった。
私はすぐに眠ったらしい。
ベルにゆり起こされ、ベッドに体を起こすとスッキリと目が覚めた。
大きく伸びをし、立ち上がる。
全身がすごく軽くなっている。
「さあ、仕上げますよ」
気合の入ったベルのかけ声で、助手二名がドレスを運び入れた。
そこからもう一度顔と頭皮のマッサージ、それからメイク。
いつもよりはっきりとした眉に、くっきりと塗った唇。
見慣れない華やかな女性が、目の前に現れ始める。
「ベル? 派手じゃない?」
「お嬢様、いいですか。夜会です! それにこれは派手ではなく、華やか、です」
髪型は、私の多い目で膨らむ髪を、デコラティブに結って、真珠で飾ったもの。ほぼ全部、真珠の飾り。
こんなに真珠の飾りを持っていた覚えがないのに。
出来上がった私の顔は⋯⋯お姫様だわ!
「ベル、本当にお姫様ね」
「さあ、仕上げますよ」
そう言って、私にドレスを着せつけていく。
胸元の開きは控えめで、程よい感じ。
上等のシルク生地は、動くたびに艶っぽい光を放つ。
その上を覆う繊細なレースと、私の渾身の刺繍が、とても映える。
そして全体を、白っぽいグレイのパイピングが、キリッと引き締めている。
私はスカートのひだを摘み上げ、クルッと回ってみた。とても軽い。
「光るから重そうだけど、軽いわ。動きやすそうよ」
「思った通り、非常に良い出来栄えです」
ベルは芸術家のように、重々しく感想を述べた。
「さあ、後はお迎えを待つだけです。よろしいですね。今夜のお嬢様は⋯⋯」
「お姫様ね」
大きく深呼吸をしてから、室内でダンスのステップをおさらいした。
体もドレスも軽い。
「凄いわ、ベル。素敵ね」
そこにドアを叩く音がした。
ブライアン様が迎えに来たと、取次の侍女が告げる。
「早くない?」
「ゆっくり向かうおつもりなのでしょう。では、お嬢様、お通ししますね」
ベルがブライアン様を居間に通す。声が聞こえてきた。
私はゆっくりと歩き、ドアの前で、もう一度大きく息を吸い込んだ。
侍女がドアを開けてくれる。
ドアの向こうのブライアン様は、真っすぐこちらを見ていた。
立ち上がったと思ったら、すぐに目の前に立っていた。いつもながら素早い。
「……美しい……」
それだけ言って、じっと私を見つめる。
ブライアン様は、お揃いのダークグレイのスーツ姿。
服がスッキリしているので、かえって美貌が際立つ。そして胸ポケットには、私の贈ったハンカチーフがのぞいている。
とても洗練された装いだ。
「素敵です……」と言ったまま、私も彼の姿に見惚れた。
そのまま二人だけ、時間が止まっていたらしい。
着替えて小物を手に持ったベルに注意された。
「そろそろお出かけにならないと」
その声に押され、ブライアン様にエスコートされて部屋を出た。
ゆっくりと廊下を歩き、外に待つ馬車に乗って、会場に向かう。
宮殿はそれほど広い。
私はブライアン様と見つめあったまま、馬車に揺られた。
その時間はすぐに終わり、いつの間にか会場の前に着いている。
「さあ、もう人が集まっています。入りましょう」
夢見心地の気分で、手を取られて会場に入る。
「ロース公爵家子息ブライアン様と、クルス伯爵家ご令嬢マリア様ご入場」
そう紹介されて、夢からさめたような気分になる。
その瞬間、会場の皆の目がこちらに集中した。視線の圧には力があるらしい。後ろに押し戻されるような気がした。
ブライアン様が、軽く私の手を握り前に引く。
私は、初めての夜会に一歩を踏み出した。
私たちが進む前に道が開けてゆく。
真っ直ぐに進んでいくと、前方にジョエル様が見えた。驚いたような表情が、クシャっと崩れた。
「マリア嬢。とても素敵です。チャックに独占させておくのは間違っているな。今宵は、是非僕とも踊ってください」
そう言って伸ばしたその手を無視し、ブライアン様が私を引き寄せた。
「今日、マリア嬢と踊るのは私だけだ」
「おい、ブライアン。母上が言っていたぞ。今日はブライアンとばかりいては駄目だってさ。今まで学んだ成果を試せって」
ブライアン様が黙り込んだ。
私は、この夜会の意味を思い出した。今までの成果の確認の場なのだ。
ブライアン様に向き合い、「私やってみます。結構出来るようになってきたのですよ。成果をお見せしますわ」と告げた。
王と王妃が御入場され、王太子殿下も続いて御入場された。
高位貴族たちがご挨拶するのを待ち、私をブライアン様が王たちの元へエスコートする。
このタイミングは、学んだ通りだ。私は頭を真直ぐ上げて、王と王妃様を見る。
軽いアイコンタクトをし、お二人の前に進む。
ゆっくりと膝を折り、挨拶して視線を戻すと、王妃様が軽く頷いた。どうやら合格したようだ。
王太子殿下にも、ご挨拶する。
「あなたが、噂のマリア・クルス嬢か。ダンスを申し込んでいいだろうか。もちろんブライアンの後で」
微笑んで言い、私とブライアン様を交互に見ている。楽しそう?
ブライアン様が私の乗せた手を軽く握り、少し引いた、と思うや方向転換していた。
まだ、何も答えていないのに。
少し……いえ、かなり失礼なのではと思ったけど、見上げたブライアン様は知らん顔をしている。
スタスタという感じでその場を離れ、壁際に移動した。
「王太子殿下が何か言っても、あまり真に受けないでくださいね。彼は少々意地が悪いんだ」




