エマの協力
毎日がめまぐるしく過ぎて行った。
そのおかげで何も考えずに、ただひたすら勉強し、働いた。
合間にチャックに癒され、たまにブライアン様が訪問してくださって、なんとなく気恥ずかしい会話をする。
私の意識が追いついていないのを、ちゃんと分かっているのだろう。普段通りに接してくださる。
そういうところも好きだなと思う。
この間そう言ったら、彼はぐっと詰まったようになった。
後でベルに、「生殺しですね」と言われた。
エマには、「きっつい縛りを掛けましたね」と感心された。
王妃様からは色々と聞かれ、ブライアン様と知り合ってからの事を、お話ししている。
隣国と石の謎以外の事だけだけど。
「ブライアンは公爵家嫡男よ。この機会にあなたはしっかりと学びなさい。一つも無駄にならないはずよ」
王妃様は、私が言わない部分については何も聞かない。
だから私も何も言わずに、ご厚意に甘えさせていただいた。
ジョエル様とよく似た気遣いの仕方が、ありがたい。
ふとした瞬間、ベルシアへ行く事を忘れそうになる。
でも、そのための勉強をしているのだ。
ベルシアでの二か月はデスゲームになる。それを忘れてはいけない。
ある日ロイドから手紙が届いた。
伯爵家の準備がほぼ整ったという連絡だった。お父様の仕事の調整が終わり、荷造りも終わったと言う。さすが、そつのない執事で、早目に準備を終えたようだ。
そう思った途端、その日が目の前に迫ったのを実感した。
少しふらついたので、近場の椅子に座って、胸を押さえた。
「マリア嬢、どうかされましたか」
エマがすぐに駆け寄る。
ベルもすぐに水の入ったコップを持ってやってきた。
「いいえ。大丈夫……大丈夫よ」
ベルからコップを受け取り、水を飲んだ。冷たい水が喉を滑り落ちる。
大丈夫。私は大丈夫だ。
家族も絶対に大丈夫。全員で無事に帰って見せる。
コップをベルに返す。
ベルも大丈夫。でも、危険な目に合わせてしまうかもしれない。
ベルは関係ないのに。
私の表情を見て、ベルが察したようだ。
「お嬢様、私あてにもミスター・ロイドから手紙が届いています。出発の準備が整ったそうですね。私は楽しみで仕方ありませんよ。どんとこいです」
やる気まんまんの表情だ。
ありがたくて泣きそうだった。ロイドだって、危険を承知で同行を申し出てくれたのだ。私がひるんでどうする!
「ありがとう。私は負けないわ」
一歩引いて見ていたエマが、「それで、実際どのくらい危険なんですか?」と尋ねた。とても冷静な声だ。
彼女に全て話すわけにはいかない。
でも、ある程度は伝えておかないと、彼女だって危険かもしれない。
ブライアン様に相談してから、と思ったが、思い直した。
ベルシアでは、自分が決めないといけないのだ。
「そちらに座ってくださる? 少しお話ししておきたいの」
エマは椅子に座り、静かに私の言葉を待っている。その眼差しは真直ぐだ。
「ベルシア王族とは、全く面識がないの。それは王妃様方もご存じよね」
「はい、伺っております」
「祖母とベルシアの前王夫妻との縁、という名目で今回ご招待いただいているけど、どうもあまり良い縁ではないらしいの」
エマは声を出さずに、あー、という風に口を開けて頷いた。
「そう、つまり過去の因縁かしらね。詳細は私たちもわからないけど、あちらの王太后様からの御招待なので……なんというか……」
何と言い表せばいいのだろう。私は最近学んだ社交術を引っ張り出し、言葉を選んだ。
「何らかの好ましくない感情の対立があったのかもしれないわ。王太后様が何を考え、何をしたいのかは、さっぱりわからない。でも、最大限用心しようと思っているの」
エマは、「承知しました」ときっぱり言った。
「これだけで、納得したの?」
「ええ、そのたぐいの争い事は日常茶飯事です。私たち女性護衛騎士の、最大の業務です」
「はあ?」
気が抜けてしまった。貴族の間では、そういう争い事が頻繁に起っているようだ。私自身には縁のない話だったので、全く知らなかったが。
「そうなのね。じゃあ、よろしくね。とりあえず、対面するまでは無事だと思うの。それから毒殺は無いと思うし、気を付けてもらいたいのは、拉致とか事故かしら」
エマの顔色が変わった。
「そこまでするようなゴタゴタですか? 嫌がらせや、陥れ工作はあっても、命まで狙うとなると、相当なものですが。しかも祖母君世代の話ですよね」
「そうよ。だから戸惑っているの。こんな風に大仰な招待を受けるいわれが無いのよ。でも断れないでしょ」
「それは、そうですね」
「私たちが調べた所、王太后様は少し気の強い所がおありだそうよ。だから特に私と妹は注意しないといけないの」
言わんとするところを理解したようで、エマの顔付きが引き締まった。
私の今の言葉は、「王太后様はかなり怖いお人柄で、孫娘の私と妹がターゲットだと思う」ということだ。
「承知しました。これは気合を入れ直さないと」
「事故の起こりそうな場所は、兄が我が家の騎士団に命じて、チェックさせることになっているの。だからエマは私と妹に常時ついていてもらえると助かるわ」
エマは少し考えてから言った。
「小さな笛と鈴をご用意します。身に着けられるようにしておきますね。これは最大級の警備体制で行かないと。ご家族は皆様、そのことをご存じなんですか?」
「いいえ。父と妹には何も言っていないわ。母には、王太后様の御気性についてのみ伝えているの。知っているのは私と兄とベル、執事のロイドと兄の従者のダリルの五人よ」
エマが、「それは良いですね」という。
「何も知らない方が多い方が、相手を刺激しないで済みます。私も、そのつもりで皆様を護衛します」
エマがふっと息を吐いた。
「これはブライアン様が焦るのも、当たり前ですね。そんな危険な場所にマリア嬢を送り出して、自分はこちらで待つ事しかできないのだから」
ベルが明るい声を上げた。
「きっと何もかも上手くいきます。王妃様のご使者になったのですもの。そうそう変な事は出来ません」
「あ、それも、私を護衛にゴリ押ししたのも、そのためか。ブライアン様必死ですね。そう言えば、もう宮中でお二人の噂が流れていますよ。あの完璧な貴公子が片思いらしいって」
ベルとエマがブライアン様の話に花を咲かせ始めた。
そのことも、出発前にはっきりとさせないといけない。
私とブライアン様は恋人……なのかしら。
「ねえ、恋人って、どうなったら恋人なの?」
えっという顔つきで、二人がこっちを向いた。
「両方共が好きあっていて……んん? 結婚と違って、特に契約も何もないから……」
ベルが言いよどんだ。
「さすが、あのブライアン様がてこずるだけある……マリア嬢、お互いが相手を恋人だと思えば恋人です」
エマが力強く言う。
「そうなのね。私、今日からブライアン様を恋人だと思うことにするわ」
ベルとエマが揃って不安そうになった。
「何かが違う」と呟くエマに、ベルがため息交じりに言う。
「多分、大丈夫です。夜会がありますから」
それから真剣な表情を私に向けた。
「お嬢様、夜会でそのこともじっくりと話し合ってください。愛は戦うための力になります。いいですね」
三日後の夜会の準備は、完璧に整っていた。
私の衣装部屋の真ん中には、あのドレスがトルソーに着せかけられて、置かれている。
見事な出来栄えで、着るのが待ち遠しくなるくらい素敵だ。
「私は、あのドレスを着て夜会に出るわ。今まで教えていただいたことを、その場で試す。男性とも会話して、ダンスもしてみる。あのドレスは、私に自信を与えてくれるわ。ブライアン様ともちゃんと話をするから安心して」
「その意気です。できます。ダンスはとても上達されたし、王妃様について色々な方とお会いしたせいか、男性への対応が自然になりました」
ベルに褒められ、エマには、「夜会中もずっとお側におります」という頼もしい言葉を掛けられた。
あとは実践だ。
自国の夜会くらいこなせなくては、隣国の王家に太刀打ちできるはずがない。
私はこの時、思いっきり力んでいた。




