王妃様のはからい
何か言おうと口を開けたが、声が出てこない。
やはり石が王太子に反応していないのだ。目的が祖母への恨みから、石の件に変わったのだろう。
ブライアン様の強い視線を感じた。
私はゴクリとツバを飲み込み、彼の不安そうな顔を見つめた。
「わかったわ。マリア嬢に私の代理を勤めてもらいましょう。ただし、今から出発まで、私の元で学んでいただくのが条件よ」
王妃が扇子を手に打ち付けながら、話し始めた。
「言葉の前に、あの、と付けるのはマリア嬢の口癖のようね。そういうのは直さないと駄目。一国の王妃の代理として他国に赴くなら、それなりの振る舞いが必要よ」
そう言われて、私は首をすくめてしまう。確かに、堂々と胸を張って話さないといけないのだ。
私の準備が要とベルに言われた。その通りだ。今の私は、王妃の代理という盾で戦う術を知らない。
顔を上げ、胸を張ってはっきりと宣言した。
「謹んでお受けいたします。ぜひお側で学ばせてください」
王妃様が晴れやかに笑った。
「やる気ね。私も教えがいがあるわ。エマ、こっちに来て」
女性騎士がサッと王妃の横に立った。先程と違い、目が楽しそうにキラキラしている。
「私の護衛騎士のエマ・ブラウンよ。ブライアンにどうしてもと粘られて、貸し出すことになったの。今日からあなたの護衛騎士として付けるわね」
エマが一歩前に出て、ピシッと背筋を伸ばした。
サラサラの金髪を後ろで一つにきりっと結んだ、凛々しい雰囲気の女性だ。
「エマ・ブラウンと申します。今日から帰国まで、マリア・クルス伯爵令嬢の護衛騎士として任務にあたります。よろしくお願いします」
はっきりきっぱり、という言葉が似合う元気な発声で、気持ち良い。
「あ⋯⋯マリア・クルスです。よろしくお願いします」
あの、は確かに言っている。無意識の癖のようだ。これからは止める。
彼女はすぐに私の横に立った。
ブライアン様が立ち上がり、「マリア嬢をよろしく」と言う。
その彼に、エマはにこやかに問いかけた。
「ブライアン様は、マリア嬢とどういったご関係でしょうか」
ブライアン様は少し詰まってから、「⋯⋯恋人、ですか?」とこっちを向いた。
「えっ!」
私は思わず見上げてしまった。
すぐに反対側から、笑い声が上がった。
「ごめんブライアン。特別な人って、恋人と決まったわけじゃないもんな。俺の勇み足だった。ただの、特別な人だな」
王妃まで笑い出していた。
慌てて、恋人だと言おうとしたら、王妃さまが止めに入った。
「いいわ。これでその話は終わり。ブライアンの弱みをついに掴んだようね。マリア嬢、エマには護衛の為にあなたを理解する必要があるわ。仲良くして、あなたのことをエマに理解してもらうように」
その後は、とても和やかに時間が過ぎた。
チャックは私とジョエル様の膝の上を行き来し、「まるでお父さんとお母さんみたい」と王妃様に言わしめた。
もちろん、反対隣に座るブライアン様はしかめっ面をしたが、王妃は知らん顔をしている。
ハラハラしながらも、仲の良い伯母と甥の姿が興味深くて、その様子を楽しんでしまった。
周囲に侍る侍女や従僕は、そんな様子に慣れているらしく、無反応。
それも何となく可笑しい。
横に立つエマが、少し腰を折り、小声で教えてくれた。
「このお二人は仲がよいけど、時々口喧嘩をされます。最近はブライアン様が勝つことが多かったので、今日は王妃様、ご機嫌です」
ブライアン様が、「変なことを吹き込まないでくれ」とすぐに口を出した。
「マリア嬢、エマは私の剣術師範の娘です。幼い頃からの付き合いで、能力は保証しますが、口が悪い。どうか話半分で聞いてくださいね」
そう言いながら私の手を握る。
結構ちゃっかりで、押しが強いのは最近わかってきたが、この場はまずいと思う。そういえばさっきはキスまでしようとしたのだった。
「手をお離しください」と私が言うとエマが動いた。
ニコッと微笑み、ブライアン様の手を引っ剥がす。優雅な動作だけど、有無を言わさずで、何の遠慮もない。
「これも護衛任務の一つです。不届き者の排除」
にこやかにエマが説明してくれた。
女性騎士の役目には、そういう部分もあるのかと、目から鱗だ。これは心強い。
「私、男性とのやりとりに慣れておりません。頼りにしています」
「お任せください」
明るい笑顔が頼もしい。後ろの壁際に控えるベルも、グッと拳を握って見せた。
王妃にお小言を言われていたジョエル様が、急に私に声をかけてきた。
「マリア嬢、チャックをエプロンに入れている所を、母上に見せてあげたいのだけど、いいかな? 俺の説明では様子が分からないと、文句を言われていたんだ」
ジョエル様が従者を呼んだ。その手には私のエプロンドレスが。
思わずベルの方を振り返ると、ベルが申し訳なさそうに微笑んだ。
ベルはエプロンドレスを受け取り、私に素早く着せ付けた。一番華やかなエプロンドレスで、地味目だったドレスがパッと華やいだ。
それだけで、すでに周囲の目を引きつけている。女性達の目はエプロンドレスに釘付けだ。
ジョエル様がチャックを床に下ろすと、いつものようにチャックがスカートめがけて飛びついてきた。
最近はジャンプ力が付いてきて、腰の辺りまで届くようになっている。
チャックはスカートを滑り落ち、器用にポケットの中に潜り込んだ。
ポケットはエプロンドレスの内側に付けてあるので、チャックの体はそこに隠れ、頭だけが外に出る。
スカートの左横で、フリルやリボンに囲まれているチャックは、まるで作り物のようだ。
それを見て、王妃様とお付きの者たちは、声を出して喜んだ。
「上手いわね。よく仕込んだわ」
「母上、これはチャックがマリア嬢から離れまいとして、日々鍛錬した技なのです。体がもっと大きくなったら無理だけど、もう少しの間はいけるかな」
王妃たちはスカートの周囲に集まり、チャックを眺めた。
「これは明日から楽しみね。マリア嬢は私の側に引っ越してもらうわ。さて、チャックはどうしたらいいかしら」
王妃に聞かれて、ジョエル様は急いでチャックに手を差し出した。チャックは動こうとしない。
私はポケットからチャックを引っ張り出して、「ジョエル様のところに行ってね」と話しかけた。
意味はわからないはずなのに、チャックは足をジタバタさせて抗う。
ジョエル様が抱き取ろうとすると、必死で暴れ出した。
「まあ、母親から引き離される子供のよう。なんだか罪悪感を感じるわ」
王妃はキューキュー鳴いているチャックを見て、「負けたわ」と言った。
「ではチャックの世話係りは継続ね。週三回第二王子の宮殿にマリア嬢が出向くのでどうかしら」
ジョエル様はがっくりしている。
「自分の犬だって自信がなくなってきた」
こうして私は、その日から王妃の元で外交の勉強を始めることになった。チャック様付の侍女としての仕事も兼任する。
外交の勉強は多岐に渡る。
歴史と、文化、経済という固い分野。それに社交。王妃様には、社交に力を入れるようにと言われた。
慣れなさいと仰って、王妃が他国の使者と会う席に同行したり、要人の接待係などの実地訓練もさせてくださる。
そうした中、クルス伯爵家のベルシア訪問が公表された。
同時に私が王妃の代理として使者の役目を担うことも、公式発表された。そのため、またもや私は噂の的となった。
久しぶりに会いに来た兄は、それを心配していたようだ。
「お前に注目が集まっている。夜会には気をしっかり持って臨めよ。男が群がって来るはずだ」
「乗り切って見せます。私には護衛騎士のエマという強い味方がいます。それに、王妃様が付けてくださった教師から、政治や経済、社交マナーを学んでいます。その中には、夜会での振る舞い方の勉強もありますからね」
そう言う私をしげしげと見て、兄は「ハハッ」と笑った。
「なんだか、身体に芯が通ったな。頼もしいよ、マリア」




