ベルシアからの書簡ー1
翌朝起きると、ジョエル様付きの従者が、朝食の誘いを持ってやって来たので、私はベルに急いで身支度をしてもらい、ジョエル様の部屋に向かった。
「おはようございます。マリア嬢」
さっぱりした顔をしたブライアン様が、にこやかに声をかけてくれた。
朝食の支度が、明るい窓辺にしつらえられている。華やかな花が飾られ、とても素敵な皿がセッティングされている。
ジョエル様はセンスがいいようだ。
「おはようございます」
小さい声で答えて、従者の引いてくれた椅子にチョンと座る。
斜め向かいのジョエル様が、膝にチャックを乗せて、二人を交互に見た。
チャックは昨夜、ジョエル様と一緒に寝ているので、私を見て喜んでいる。
珍しく、キャンと声を上げて、私を呼ぶ。
従者に卵料理の希望を伝えると、そのままなるべくブライアン様の方を見ないようにして、小さくなっていた。
「ブライアンさあ。昨夜、何かいけないことしたんじゃないの?」
ジョエル様の爆弾発言に、ブライアン様はキョトンとしている。
その表情からすると、たぶん何も覚えていないのだろう。
良かった。私は心の底からホッとした。
そして、目の前に置かれたフレッシュなジュースを、ようやく手に取った。
オレンジのジュースが冷たくて、乾いた身体に染みるようだ。
私を見て考え込んでいるブライアン様に、「何もありませんでした」と言って微笑んで見せた。
その途端、ブライアン様が片手で顔を覆ってうろたえ始めた。
次第に顔が赤くなっていく。
そしてバッと顔を上げた。
「あの、もしかして私は⋯⋯」
「駄目! 言わないで!」
被せるように言葉を遮ると、「はい!」とだけ言って黙ってしまった。だが、しばらくすると急に立ち上がった。
「責任を取ります。ぜひ責任を取らせてください」
唐突に言い出したブライアン様の袖を、ジョエル様が軽く引っ張った。
「落ち着けよ。たぶんちょっとキスしただけだ。でしょ、マリア嬢」
私は黙ったまま小さく頷いた。
「ウウッ、覚えてない。なんてことだ」
「寝ぼけていて、一瞬掠っただけだから、大丈夫です。忘れてください」
「初めてのキスなのに」
そう言ってブライアン様がズーンと沈んでいる。
そういえば、あれが私のファーストキスだったわ。
「ファーストキスって、こんなものなのかも」
思わずポロッと口から出た言葉に、ブライアン様が顔を上げた。
「ファーストキスですか? 結婚式では?」
「していませんでした。頬に軽くしただけです」
驚いた表情で、「夫婦の⋯⋯」
そこではっとして、口を閉じた。それから真面目な表情になり、キリッとして言った。
「初めてのキスなのに、覚えていないなんて最低です。やっぱり責任を取らせてください」
「やれやれ、とにかくマリア嬢に対して、責任を取りたいんだな」
ジョエル様は呆れたように彼に告げた。
「まずは恋人に昇格を目指そうか。チャックに勝たないといけないんだっけ? 応援してやるよ。だからまずは朝食にしよう」
ジョエル様はそう言って、オムレツにナイフを入れた。フワッと湯気が立ち、中からマッシュルームがのぞく。かかっているデミグラスソースがおいしそう。
私は両面焼きを頼んだので、いいなあと思っていたら、ブライアン様が声をかけてくれた。
「私のと交換しましょうか。ここのオムレツは絶品ですよ」
「じゃあ、半分ずつにしたら? 二人の料理を分けてやってくれ」
ジョエル様がそう言って、給仕係に指示した。それから、そっちに座れば、とブライアン様に声をかけた。
いつも驚くけど、彼の身のこなしは軽くて速い。それに動き始めるまでが極端に短い。そのため、気付けばそこにいる、といった印象になる。
彼は横に座るなり、私の唇をじっと見ている。
こんな、なんの変哲もない唇を、見ないで欲しい。
もっとツヤツヤして、プルプルだったら、見てもらってもいいのだけど。
給仕係が、2種類を小皿に分けて並べてくれた。
やっと唇から視線を外してくれるかと思ったら、いつの間にか食べ終わって、すでにこっちを見ている。
なんだか甘えん坊の大型犬に、待てをしている気分だ。
「これは重症だな」
ジョエル様は笑いながら、巻物の書簡を従者に持ってくるよう命じた。
私が食べ終わって、コーヒーに口を付けた頃を見計らって、ゆっくりとそれを目の前にかざした。
「さてこれについて、話をしないとね」
書簡のリボンを外し、ざっと伸ばして書面を眺めた。
「大層な書簡だろ。これはベルシア王家からのものなんだ。こいつが昨日、俺に投げ付けた代物だよ」
急に少し空気が変わったのが分かった。
これは、たぶん問題のある内容なのだろう。
ジョエル様は仰々しい書簡をこちらに向けた。
「ブライアンが急に急ぎ始めたのは、これのせいだろう。そうだな、ブライアン」
横を向いて彼を見ると、その表情は冷たく変わっていた。さっきまでのおねだりの目との差が激しくて、冷たい目にたじろぐ。
「昨夜、寝る前に内容を確かめたんだ。これはクルス伯爵家に宛てたものだ。しかも形見分けをしたいから、マリア嬢たちを招待したいだと? 興味深いな」
そう言って私とブライアン様の様子を伺っている。
「あの、クルス伯爵家とベルシア王家にどういった関係があって、そういうお誘いを受けたのでしょうか」
まさか、私のことに気づいたはずがない。誰にも言ってないし、誰も疑っていないはず。
それに、クルス家では全くあの石に注意を払っていなかったのも、調べたのなら知っているだろう。
注意を払うどころか、日常使いの扇子の留め金に使っていたのだ。
もう石はベルシアに戻ったのだから、これ以上の関わりはないはずなのに。
そう思いながら、ブライアン様を見やる。
彼は憂鬱そうに口を開いた。
「ベルシアでの歓迎の夜会で、少し王太后とも話しましたが、何でも昔、クルス家の祖母君と交流があったそうなのです。この国を訪問した際に世話になったとか。それで、現在のクルス家のことを聞かれました」
「へえ、そうなんだ。マリア嬢は何か聞いている?」
「いいえ、全く何も」
意図が掴めずに戸惑う。
現在は自分の息子が王位を継いでおり、次世代を継ぐ王太子もいる。
何の不足もないはずだ。
昔、自分以外の女性に心を寄せたのが気に入らないとしても、四十年も前のことだし、王自身も覚えていなかったのに。
考え込んだ私に、ブライアン様が優しく声をかけてくれた。
「この国では、最近大きな盗賊団が暴れていて、クルス伯爵家も被害に遭ったけど、大した物は盗まれていないようだ、と答えておきました。それでも、しばらくは落ち着かないだろうとも加えました」
私は感謝を込めて彼に微笑んだ。彼は私に微笑み返し、それからクシャっと表情を崩した。
「ところがこの書簡が、他の文書と一緒に使節団の事務官に渡されていたんです。帰国前に私が文書類の確認をしたのですが、これを見つけたときは驚きました」
それはなんとも強引なことだ。
盗賊に襲われて落ち着かないと伝えたのに、ゴリ押ししたってこと?
「どうぞ、マリア嬢。目を通してみてくれ」
私は重い書簡をジョエル様から受け取り、目の前で開いた。




