王族の天幕の中
◇
マリア嬢が、ブライアンに手を引かれ、馬車に向かう。
その後ろ姿を見つめている内に、デミルは胸が苦しくなり、一度目を逸らした。
彼女が去っていく。
婚約者に連れ去られる。
それが納得できない自分に戸惑う。
馬車が動き出し、速度を上げた。まるで早くここから逃げ出したいようではないか。
それにも腹が立つ。
だがそれも仕方がないのだ。
王太后は少し離れた所で母と言い合っている。
その様子を見てから、ゆっくり父の方に向かった。
デミルは父の横に椅子を持ってこさせて、そこに座った。
こんな勝手なことをするのは初めてだが、聞かずにはいられなかった。
「父上、マリア嬢には、それなりの相手を見繕うとおっしゃっていました。それがなぜあの男なのですか」
あの、祖母の腰巾着のようなアルバン。いい評判など聞いたこともない。
王たちの裏をかき、マリア嬢をかくまおうと思っていたのに、都合の良いことに彼女が体調を崩した。これで大丈夫だと安心していたデミルは、マリア失踪の報に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
父は少しためらい、言いにくそうに声を潜めた。
「私は侯爵家の子息を選んだが、王太后はアルバンがいいと言って譲らなかった。相手が彼ではあまりに酷いとは思ったが、王太后の意のままに動かせるのは利点だ。それで、結局彼に決まった」
「王太后様お得意の嫌がらせですね。醜いことを平然となさる。今回のことで我が王家は大きく評判を下げました」
父は驚いたように、こちらを向く。
その顔を、デミルはぼんやりと見つめる。
自分によく似た顔だ。
「お前は反対すると思ったので、この計画から外したのだ。本当にマリア嬢を気に入っているようだな。まあ、何事もなかったのだから怒るなよ」
何事もなかったと気楽に言う王に、突然本物の殺意が沸いた。
「何かあってボロボロになったマリア嬢を、明朝この場で晒し者にして、あのアルバンに下げ渡す。そうならなくてよかった。王家の品位が地に落ちる」
今度は本当に驚いたようだ。
何か言おうとしたが、すぐには言葉にならないようだ。
「言葉が過ぎるぞ。口を慎め」
デミルは慌てる父を見てふっと笑った。
そんなデミルを見る父は怪訝そうだ。
自分は何回か父親の暗殺を企んできたのに、自分が同じ目に遭うとは微塵も考えていない。愚かしい。
「では、父上、失礼します」
そう告げて椅子から立った。五歩離れたタイミングで毒矢が放たれた。
さようなら、父上。
そこからは大騒ぎになった。
王太后が駆け寄り叫ぶ。
護衛の近衛兵たちが周囲を見回し、そのうちの数人がデミルに駆け寄り、周囲を囲んだ。
「ここは危険です。このままこちらへ」
近衛兵の護衛の最高順位は王。つまり、今はデミルなのだ。
一応体裁をつけるために聞いた。
「父は?」
「心臓を貫通しております」
そうか。毒は不要だったようだ。国の抱える密偵たちは優秀だ。
父と王太后は、その優秀な密偵たちを捨て駒のように扱ってきた。それが身を滅ぼしたのだ。
「あんな風に使い捨てられるのは御免だ」と、何人もが言っていた。
母はその不満を、新しい王と、たっぷりの金で埋めてやった。
デミルは王家用の天幕に案内された。
母と王太后が、同じように近衛兵に囲まれて、天幕に入ってくる。
父の遺体も運び込まれてきた。
デミルは母が軽く頷くのを見て、その場を仕切り始めた。
「父の遺体はそちらに。矢を抜いて、何か掛けて差し上げろ。そこの二人、こちらへ」
デミルは父の側近を呼び付けた。
「貴族たちは、全員をテントに戻せ。キャンプ地の警備兵は、後夜祭に集まった貴族たちの監視と警備に当てろ」
運営担当の宰相は、配下の者たちに指示をしに外へ出た。
近衛騎士団の隊長には、暗殺者の捜索隊を編成するよう命じた。
「近衛兵三百と、王と王妃の私兵二百で出よう。絶対に捕まえるぞ」
「準備にかかります」
そう言って団長は出ていく。
王族のみになったテント内で、王太后だけが泣いていた。
王の亡骸にしがみつき、声を上げて泣きむせぶ。
しばらくして、母の方を向いて叫んだ。
「あなたはなぜ泣かないの? 夫が亡くなったのよ。殺されたのよ!」
母は黙って王太后を眺めている。
王太后がデミルの方を向き、「デミル!」と叫んだ。
「何でしょうか。王太后様」
「父親が死んだのに、何なの。なぜそんなに冷静なの?」
「私は、王です。嘆いている余裕はない」
母がデミルに寄り添った。
「私はこの子を補佐しなければ。嘆いている暇なんかありませんわ」
「悲しくはないの!?」
王太后がなじるように叫んだ。
「ええ。残念ながら、それほど親しくは無かったので。ご存じではありませんか」
王太后が驚いている。
それが意外だったので、デミルは王太后に聞いてみた。
「王太后様もお祖父様のことが嫌いだったではありませんか。なぜ驚くのですか!?」
「私は嫌ってなんかいなかったわ。彼が私を嫌ったのよ」
母が思い出そうとするように額に手を当てた。
「私が十二歳で夫と婚約した頃は、仲が良かったですよね。その後王太后様が、マーカス様を避け始めたように見えましたが」
王太后は横を向いて母の言葉を無視した。
「そんなこと、どうでもいいわ。私のこの子が死んでしまったのよ。なぜ? なぜこんなことが」
泣く王太后をデミルと王妃は黙って見ていた。
その内に母が言った。
「この先、この子が王位に就くに当たって、あなたは足手まといにしかなりません。どこかでのんびりと過ごしていただけるよう手配しますわ。どうぞ長く、達者で生きてください」
王太后は驚いたように振り返った。
「何ですって。私がこの王宮以外のどこに行くって言うの?」
「西方の海の見える別荘はどうでしょう。お望みなら、北の端の修道院で祈りを捧げていただいても良いですね」
「何を言いだすの? そんなこと、私に対してできるはずがないでしょう」
「あら、誰かがあなたのために何か言うとお思い? そこにいる、前の王以外」
母が亡骸を指さした。王太后は涙でぐちゃぐちゃになった目で母を睨んでいる。
そしてデミルの方を向いた。
「あなたは私の味方でしょう!」
デミルは面食らった。
「なぜですか? 王太后様。私もあなたとはあまり親しくありませんが」
王太后がその場に座り込み、床に手を着いた。
「あなたもマーカスと同じ顔をするの? 私との婚約を拒否した時と同じ顔。なぜなの?」
その言葉に母が反応した。
「あなたは謀反を企て処罰された、弟君の恋人だったと聞きましたが?」
「マーカスに拒否されたから、その弟に味方したのよ。でも帰国したマーカスは全て忘れていた。あの時は天が私に味方したと思ったのに」と王太后は噛みつくように言う。
しばらく三人とも無言になり、その後、母が聞いた。
「それなら何の問題もなかったでしょう。それがなぜ?」
「……気が付いたのよ。あの人が私以外の誰かを愛しているって。いくら調べても誰なのか全くわからなかった。わからない訳だわ。まさか忘れた相手を想っていたなんてね」
その言葉に驚き、デミルは思わず素で聞いていた。
「忘れた相手を想うことなんて、あるのですか? お祖父様はマリア嬢の祖母君の事を、全く忘れていたはずです。それに、王太后様はどうしてそれに気付けたのですか?」
「愛していればわかるわ! だから許せなかった」
王太后の言葉に、母が皮肉っぽい笑い声を立て、鼻で笑った。
「そんな幸運に恵まれておいて、何て贅沢なことを言うの! それで、息子を身代わりにしたの? そのせいで私に夫は無く、この子にも父はいなかった。この人はずっと、あなたの恋人代わりだったのだから」
父の亡骸を指さす母の顔を見つめるうち、王太后の表情が強張っていった。
「あなたたちね。この子を殺したのは」
「まあ、なんて馬鹿なことを。錯乱しているみたいですね」
デミルは二人を見ながら、自分はマリア嬢を妃に迎えて、幸せな家族を築くと心に誓った。




