旅の終わり
これはローズ公爵家の騎士団に落ち合うのが早いか、国王軍に追いつかれるのが早いかの賭けだ。
私は馬のたてがみと鞍の前を手で握り、必死で姿勢を保った。
かなり無理のある体勢で、足も体もすぐに痛くなった。それでも振り落とされまいと、力を入れてしがみつき続けた。
ヘトヘトになった頃、ドドっという、くぐもった音が聞こえ始め、それが次第に大きくなっていく。
来た!
音は次第にはっきりとし始め、馬のいななきが交じり、騎士が吊っている剣のカチャカチャいう音も聞き分けられるようになった。
ブライアン様が横に駆け寄ってきた。
「ここで防ぎます。先に行ってください」
嫌です、と言いたかった。
でも、居たら邪魔になるだけなのだ。
黙って頷くことしかできない。
「必ず」とエマが一言返す。
そのまま私たちだけが先に進み、ブライアン様の顔は一瞬で見えなくなった。
泣きそうになったけど、泣いたら悪いことを招きそうで泣けない。
私は相変わらず馬に不格好にしがみ付くしかなかった。
走っていくと、かなり前方の木々の隙間に、騎馬の集団が見えた。
「エマ、ローズ騎士団よ」
「挟まれた! あれはベルシア国軍です」
明るい夜道の先に、ベルシア国軍の旗が見て取れた。ここには脇道もない。エマは馬の首を反転させ、戻り始めた。
血の気が引いて、胃がぎゅっと痛くなる。何も食べていなくてよかった。
戻り始めてすぐ、ブライアン様やクルス家の騎士たちが戦っているのが見えてきた。戦いながら、こちらに向かっていたようだ。
少し見ているだけで、皆がとても強いのがわかった。
特に兄とブライアン様は強い。
身のこなしが違う。
動きに無駄が無くて、まるで踊っているようだ。
こんな状況なのに、あの華やかなダンスを思い出す。
ブライアン様の剣は、威力と比べて剣の立てる音が小さい。兄の剣は逆に派手な音を立てている。
私たちに気付くと、ブライアン様は周囲の敵を数人薙ぎ払って、こちらに駆け寄った。
「挟まれました」
エマが叫ぶ。
兄が厳しい表情でこっちを見ると、前にいる兵の胸ぐらを掴んで、敵に向かって投げ飛ばした。
「人数は?」とブライアン様が聞く。
「約百名」
「こっちは四百が三百に減った」と言いながら、兄がやってくる。
私は戦っている皆を見ていた。
傷つき、狩猟用マントは破れている。
身体に散った血が、どちらのものかは分からなかった。
それからブライアン様の青い目に視線を据えた。
彼と視線が絡み合う。そのまま、私は告げた。
「私はここに残ります。いつか助けに来てください」
後ろからエマが私の体を揺すぶる。
「何を言っているのですか。できるわけないでしょう」
「もう、王太后の権力が無いなら、私が酷い目に遭うこともないでしょう。私が残ります。私は死なないのだから」
それからエマとブライアン様から伸びてくる手を振り払い、叫んだ。
「マリア・クルスです。話し合いに応じてください」
大多数の兵は、私の言葉を無視したが、数人がそれに反応した。
そして何人かが後方へ向かって走り去り、残った者が周囲の兵をまとめて下げさせ始めた。
戦っていたクルス家とローズ家の者たちが周辺に集まって来る。
敵味方に分かれると、余計に人数差がくっきりとする。
ダリルが一番最後に、一番血まみれで戻ってきた。すれ違いざまに一瞬目が合う。
彼の目は力強かった。まだやれる、と伝えてくる。
後方から騎馬の王太子が現れた。
「マリア嬢はこちらへ」
私に向かい合う彼は、王らしい威厳と圧をまとっていて、見知らぬ人のようだ。
私はなるべくゆっくりと馬を降りた。少しでも時間を稼ぎたい。私以外の者たちが生き延びるための、ローズ家の兵が到着するまでの時間を。
その私の元に、すぐにベルが駆け寄ってくる。
私はベルをエマの方に押しやった。
「一緒に行きます」
ベルはそう言い、私の袖を掴んで離さない。
「侍女も一緒のほうがいいでしょう。その者一名だけ、同行を許します」
王太子が言い、こちらへというジェスチャーをする。
私は袖をきつく掴むベルを、引っ張るように前に進んだ。まるで夢の中で起こっている出来事のようで、足元がふわふわと感じられる。
周囲にいる者たちの、誰の言葉にも答えず、誰とも目を合わさないようにして、まっすぐ前だけを見てゆっくりと歩いた。
後方からまた馬の足音が聞こえてくる。ドドッという低い轟。
――挟まれる!
王太子の元に着いたら、まずは皆の命乞いをしなければ。攻撃命令を少しでも遅らせるために。
その音がみるみる大きくなっていく。
......先ほど見た軍勢と比べて、あまりに大きい?
違和感を覚えて、私は思わず振り返った。
固まって立っている五十人ほどの集団の後ろに、馬と人の集団が迫ってきている。百人どころではない。国王軍よりも多そうだ。
その意味を理解する前に、ブライアン様に抱えられ、連れ戻されていた。
ベルを抱えているのはブライアン様の従者だ。
そして兄とエマの手に渡された私は、盛大に髪の毛をグシャグシャにされた。
「やめてください」
髪の毛を振って抗議すると、兄に頭を抱かれた。
「無茶なことをする。心臓に悪いぞ」
その私の袖を掴んでベルが泣いている。
ブライアン様は騎馬集団の先頭にいる隊長らしき者たちを従えて、前に進み出た。完全に形勢逆転だ。
私たちの後方には続々と騎馬兵が押し寄せている。
王太子側はジリジリと後退している。
ブライアン様が盾と剣を地面に突き立て、声を張り上げた。
「ローズ公爵家及びクルス伯爵家の名に於いて問う。撤退か戦闘か」
戦闘......この人数なら、こちらが有利。だけど、それではベルシア王国の、次期国王を、私たちが襲ったことになる。
それこそ国際問題だ。
国王崩御の経緯さえはっきりしていないのだから、その疑いまで乗ってくる。
しばらくの間、両陣営とも睨み合ったまま、動かなかった。
ブライアン様が再び声を上げた。
「ベルシア軍の討伐対象の賊は、先に我々と鉢合わせた。襲ってきたので討ち取った」
顔は見えないけど、彼の声は猛獣の威嚇のように腹の底に響く。体が急に重くなり、足が震えた。
こんな声は初めて聞く。
王太子がやっと答えた。
「賊の討伐に感謝する」
そう言うと、横にいた騎士に撤退を命じた。
国王軍が道を戻り始める。
王太子は馬を回しながら、私の顔をじっと見つめている。
私は様変わりした彼の顔に、夜会での少年ぽい顔をダブらせ、相変わらず混乱していた。
その視線を遮ったのは、ブライアン様のマントだった。
いつの間に、ここに?
「あんないけ好かない男と、見つめ合わないでください」
声に不機嫌さが滲んでいる。
ブライアン様を見上げて、宥めようとしていると、周囲に隊長たちが集まってきた。
「始めまして。ローズ公爵家騎士団長、マイク・ボーンです」
にこやかに挨拶され、挨拶を返そうとスカートを摘んでからギョッとした。
スカートは馬に乗ったせいでしわくちゃだ。
裾はかぎ裂きだし、見回せばどこもかしこも汗と埃まみれ。
そして髪はぐちゃぐちゃ。
これだけは兄のせいだ。私はニコニコしている兄を思いっきり睨んだ。
「このような恰好で失礼します」と言ったところで、数時間前に同じことを言ったのを思い出した。
あの時より更に酷い格好になっている。ため息しか出ない。
ブライアン様が私を抱き寄せ、隊長たちをかき分けた。
「挨拶は後にしよう。とにかくこの国から出ないと物騒だ。負傷者の手当ても、その後だな」
私は馬に再び乗ることになった。今度はブライアン様と一緒。
胸にもたれていると、ゆらゆらして眠くなってくる。でも眠るわけにはいかない。何があるかわからないのだから。
「マリア嬢。もう眠っても大丈夫です。これだけの軍勢に守られているのだから、安心して眠ってください」
ブライアン様が言うが、私は必死で目を開けていた。
何かが起こり、誰かが居なくなってしまうのが怖い。
空が明るくなってからも、何度も同じ問答を繰り返しながら走り続けた。
しばらく走ると、前方にたくさんの人が見えてきた。
「国境の騎士団です。もう大丈夫」
大勢の騎士と共に、街道に立つ兵の間を駆け抜け、宿屋の敷地に入った。
そこには先に出発していた者たちが待っていた。
皆がそこにいる。何も起こっていないのは、彼らの表情でわかった。
「まあ、なんて格好。何があったの!?」
甲高い母の声で、日常に戻った気がした。ここは、リース国なのだ。
「もう大丈夫なのですね」
ブライアン様が、「そうですよ。もう安心してください」と言って腕をさすってくれた。
ベルが駆け寄ってきて、「お体を清めて......」と言ったと思う。
私はベルに笑いかけ、そして意識が途切れた。
了
第三部本編終了。
この後に、マリアたちが発った後の、後夜祭の様子と王太后の話を追加します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
************** ☆ ご報告 ☆**************
本作がネトコン14で優秀賞をいただきました。
只今、書籍化企画が進んでいます。SBクリエイティブ株式会社のGAノベル様からです。
私にとって、初の書籍。楽しみです。
これまで応援してくださった皆様のおかげです。ありがとうございました。




