救出と次の災難
「マリア」
ブライアン様の声だった。
腕の中で体をよじると、ブライアン様の匂いがした。
「これは本当? 夢?」
「遅くなってすまない」
私は彼にもたれて、その匂いを吸い込んだ。いい匂い。
そうする内に気絶したらしい。目が覚めて、そのことに気付いた。
私は馬車に乗せられていた。
はっとして飛び起き、周囲を見回す。
私の隣にはブライアン様、向かいにエマとベルがいた。
ベルが心配そうに私の顔を覗き込む。
「お嬢様、大丈夫ですか? 具合の悪いところはございませんか?」
何があったのだったか? ぼんやりと思い出し始めた。大変なことが。何か……ノエル!!
「ノエルが森に放り出されたの。あの子はどこ? 見つけなければ」
ブライアン様が私の肩を抱き寄せた。
「ノエル嬢は保護した。彼女が笛を吹いていたおかげで見つけられた。そして君の居所に当たりを付けられた」
そう言って私のおでこにキスした。
「心配で狂いそうだった。あの笛の音は一生忘れられないよ。こんなことを企てた王太后も相手の男も、この手で叩きつぶす」
じゃあ皆、無事なのね……いいえ、違う。
「ベスが死んだわ」
私の言葉にベルが立ち上がりかけて、力が抜けたようにストンと座った。
その背をエマがさする。
「エマ、ありがとう。この香水が私を救ってくれたわ。思ったより威力があったわよ。短剣では失敗していたかもしれない」
エマが目を瞠った。
「練習もしないで使えたなら十分優秀です。今度じっくりと使い方といいますか、流れをお教えします」
「でも横顔に掛けてしまったので、回復が早かったみたい。正面からの方がいいわね」
私はふうっと息を吐いて項垂れた。
「しかもシーツでぐるぐる巻きにしたのに、縛りもせずに転がしておいたの。馬鹿だったわ」
ブライアン様が私を何回も抱き締め、あやすように背中をさする。
「何があったかは、国に帰る旅でゆっくり聞かせてくれ。キャンプ地に皆が戻ったら、すぐ帰国しよう」
「ええ、帰りましょう。もう、ここにいるのは嫌だわ」
馬車の前方が明るい。キャンプ地の広場には椅子が置かれ、テーブルに給仕係が皿を積んでいる。そこに料理が運ばれ、客の選んだ料理を取り分けて渡しているようだ。
ちょうど宮廷の夜会と同じような雰囲気が、作り上げられている。
女性たちは、丈を短くできるタイプの、お洒落なドレスを身にまとっているので、野外パーティーでも華やかな雰囲気だ。
私は自分のドレスを見下ろした。
旅行用の簡素なドレス。所々に枝で引きつれができ、裾はかぎ裂き、土埃で汚れている。足元は、これも旅行用のヒールの低いもの。しかも壊れている。
やれやれだわ。
馬車は後夜祭会場を避けて、クルス家のテントに向かった。
テントの中には母とノエルがいた。
ノエルはベッドの中で小さく丸まっている。
私を見た途端に、ノエルはベッドから飛び出して走ってきた。
「お姉様、無事なの? 何もされなかった?」
「大丈夫よ。何もなかったから」
私は胸元に突っ込んでいた香水瓶を出して、母に見せた。
「これで戦ったのよ。すごい威力だったわ」
「まあ、よく上手に使えたわね。マリアも演技派なのかしら」
「キスされそうになって、ぞっとしたら反射的に体が動いたの……本当に気持ち悪かった」
母は黙って私を抱き寄せた。
「よかったわ」
ノエルは背中におでこをくっつけて泣いている。
私は二人の背に腕を回した。
「帰りましょう。もう十分よ」
私はベルに手伝ってもらって、顔を洗い、髪を整えてもらった。
着替え用のドレスをベルが引っ張り出しているところに、王の使者が訪れた。
私と母は、使者を迎えてテントの外に出た。
「マリア嬢にお伺いしたいことがございます。広場のパーティー会場までご同行ください」
「今戻ったばかりで、身繕い中ですので、支度が済んだらご挨拶に伺います」
私が答えると、「申し訳ございません。このままご同行いただくようにと、強く命じられております」
母が顔色を変えた。
「どういうことですか? 客人への態度とは思えないご指示ですね。聞き間違いかしら。もう一度戻って聞き直してきてください」
母が本気で怒っている。額に青筋が立っていた。
だが使者は全く退かない。
「ご同行いただけない場合は、兵士に連れてこさせろと仰っています。ご自分で歩かれたほうがよろしいと思います」
呆然としてしまった。
いったい何だと言うのだろう。
こんなところで意味もなく私を罪人扱いするつもりなのだろうか。
考えていることが、さっぱり見えない。
「私が何かしたと言うのでしょうか。理由は何です?」
「アルバン・アクシス様に対する暴行です」
「まあ、男性の不躾な行いに、乙女が抵抗したら罪になるっていうの? この国はなんなの!」
母が大声で怒鳴った。甲高い声なので、さぞ周囲に響いているだろう。
使者が兵を引き連れているので、テントの周囲に人が寄ってきていた。その人々の驚く声が聞こえる。
使者は慌てたようだ。
「連行しろ」と叫んだ。
「何だって。何かぬかしたか!?」
兄が走り込んできて、使者と私たちの間に立った。湯気が立ちそうに怒っている。
すぐに騎士たちと、ブライアン様がその後ろから飛び込んできた。
ブライアン様の顔を見た途端に、「いいでしょう、このまま向かいましょう」と私は叫んでいた。
だって、彼の顔に本物の殺意が見て取れたのだ。それも止められそうにないレベルだ。
私はここで戦闘を起こしたくない。
だから、使者を促した。
「早く、早く連れて行ってください」
使者はホッとしたような、戸惑ったような中途半端な表情で、私の前を歩き始めた。
周囲に居た人々が私の姿を見て、かぎ裂きのドレスに注目し、訝しげな表情をする。
私は何か言わないといけないような気になった。
「窓から逃げ出して、茂みの中に隠れていたのです」と一言だけ弁解する。
今の私の姿は、全く身だしなみがなっていないだろう。
それで納得してもらえたらしい。その話は、後ろにいる人たちにも伝えられたようだ。
一人の男性が、「それが何で、こんな乱暴な扱いを受けることになる?」と誰にともなく問いかけた。
使者は黙っている。同じような声が増え、堪らなくなったのか、周囲に向かって叫んだ。
「アルバン・アクシス様に対する暴行容疑です」
その後のひそひそ声からして、アルバンはかなり評判が悪いらしい。
「アルバン殿は、この女性に暴行を受けたと、王太后様に泣きついたのですか?」
誰かがおどけた調子で聞いた。それで、笑い声が上がる。
なんともバカバカしい状況だ。
「この女性に火傷を負わされている。傷害罪です。それは事実です!」
これは本気で無理押ししようとしている、そう悟った。私は立ち止まり、口元を抑えて息を止めた。
それから、大声を張り上げた。
「それならば、私は我がクルス家の侍女ベスを殺害した罪で、アルバン・アクシスを告発します」
使者が目を剥いた。
そして兄が、「何だって? ベスが、なぜ!」と叫んだ。
「確か、『証人は少ない方がいい』と言っていたわ」
私は下を向いて唇を噛み締め、それから顔を上げた。
「あの男は、妹の心をひどく痛めつけた。壊れてしまいそうなほどに。許さないわ。私の方から告発してやる。さあ、早くいきましょう」
使者はテントにやって来た時とは打って変わって、おどおどと自信なさげに歩いていく。その周囲を野次馬たちが押し包むように囲んで歩く。
兵たちは追い立てられる罪人に立場が変わったかのように、落ち着かなげだ。
◇
その頃王族用の天幕内で、王太后は王に向かって、にんまりと笑って見せていた。
「ノエルは脅しつけられて何も話せないわ。密会していたのは事実だし、マリアは自分の潔白を証明できない。それ以前に不安と恥辱に耐えられず気絶するかもね」
王は嬉しそうに言う王太后を困ったような表情で見ている。そんな王の肩を扇子でポンと叩き、王太后は促した。
「さあ、そろそろ引っ立てられてくる頃でしょう。外で待ちましょう」
◇
そして広場の王と王太后の前に私は進んでいった。私の周囲は私の家族と騎士たちが囲んでいる。
私の横には母。
兄とブライアン様は危なっかしくて、前に出せない。多分戦場でも、ここまでカッカしていない気がする。
ノエルはクルス家の騎士たちに守らせてテントに残した。ベルに付いていて欲しいと頼んだが断られた。
「お嬢様と一緒に行きます。私はお嬢様から離れてはいけなかった。絶対に離れません」
ベルたちも、私とノエルの失踪を知ってキャンプ地に駆け付け、一緒に捜索に参加していたのだ。腰に手を当てて、仁王立ちするベルの迫力は半端ない。
仕方がないので、ノエルには別の侍女を付けておくことにした。




