ノエルの試練
ノエルは不安そうで怯えているが、目には怒りがあった。何らかの被害に遭った様子はない。
「ノエル。これで分かった?」
そして私の掛けた言葉は安堵した本心とは裏腹に、自分の耳にも冷たく聞こえた。
ノエルがビクッと肩をすくめる。
「おお、これはまた、冷たいお姉様だ。かわいそうな妹に、大丈夫かの一言もないなんてね」
ノエルの向かいに座っているアルバンは、せせら笑うように言う。
ノエルはその顔をギッと睨んだ。
「まあ、マリア嬢も座ってくださいよ。明日の朝までここで過ごすのだから。時間はたっぷりある。お茶でもどうですか」
変に上機嫌だし、馴れ馴れしい。気持ちが悪いので、私は勧められた椅子を無視して、ノエルの隣に座った。
アルバンは私と一緒に部屋に入ったベスに、お茶の支度を言いつけた。
ベスが部屋から出て行くのを満足気に見送った後、アルバンは私たち二人を眺めてニヤニヤしている。
「マリア嬢が体調を崩したと聞いたときは慌てましたよ。計画が狂うところだった。まあ、妹さんが思い通りに動いてくれたので、結果はまずまずです」
「どういうことですか?」
私が聞くと自慢げに計画を語り出した。
「王太子を餌に、妹君を呼び寄せる。その付き添いを姉に頼むようそそのかし、二人で王太子に会いに来させる。たったそれだけのことです。簡単な罠だ」
ノエルはハンカチを握っている。それはもうしわくちゃになっていた。
「王太子殿下も仲間なのですか?」
「どうだろう。私は知らない。ただ私はすごく運がいい。マリア嬢を貰えることになったのだから」
「なんですって!」
先に声を出したのはノエルだった。
「お姉様はブライアン様と婚約しているのよ。何を言っているの?」
アルバンはニヤニヤしたまま答えた。
「未婚の男女が二人きりで夜を過ごしたら、そうなるのですよ、ノエル嬢。例え何があろうがなかろうが、男は責任を取らなくてはならない。私はちゃんと責任を取りますからご安心を」
ノエルがアルバンを睨みながら悔しそうに眉をしかめた。
「私のせいね。私が王太后に騙されたから」
悔しそうにそう言うと、涙が頬を伝い落ち始めた。
「違うわね。みんなの言葉をちゃんと聞かなかったから」
そして私に抱きついて大声で泣き出した。目を大きく見開いているが、焦点がぶれている。
私は妹を抱き寄せて、その片手を私の脚に留めてある短剣に触れさせた。
ノエルがハッとしたように私を見上げる。
「大丈夫よ。泣かないで」
私はノエルが手に持っていたハンカチで、頬の涙を拭ってあげた。
ベスがお茶を持って部屋に入ってきていたが、いつもと違うノエルを見て慌てている。
この妹に、この侍女ではだめに決まっている。これは私たち年長者の落ち度だ。
ベスが私とノエルの前にカップを置いた。
私はベスの目をじっと睨んだ。案の定、おどおどと目を泳がせている。
「ノエル、飲んじゃ駄目よ。何か入っているわ」
「えっ、なぜ?」
そう言って、ノエルはベスを振り返る。
ベスは目を逸らした。
「なんで……」
「申し訳ございません。お嬢様を助けるためには……」
ハハハっとアルバンが笑い出した。
「もういいだろう。正直にいこう。金に転んだのさ」
ノエルが口元を手で押さえた。
私は先程から疑っていたけど、やはりノエルは何もわかっていなかったのだ。
いくら脅されていたとはいえ、ベスの振る舞いは不自然すぎた。
アルバンたちなら、私の護衛数人で簡単に制圧できそうなのだから。
この素人臭い企みが成功したのは、ノエルも私もベスを全く疑っていなかったから。そして私がノエルを見捨てられないのを、ベスが知っているから。
ノエルには詳しい話をしていないので、ベスも何も知らない。それが良かったのか悪かったのか、どちらなのだろう。この行動が自分にとってどこまで危険か、ベスはまるでわかっていないかもしれない。
「下げてちょうだい。見たくもないわ」
ノエルがベスに向かって吐き出すように言う。
ベスはお茶を片付けて、部屋から出ていった。
「まあ、いいさ。なんにしても明日の朝キャンプに戻れば、マリア嬢は私の妻になって、この国で暮らすことになる。ノエル嬢は私の義妹だ。仲良くやろう」
ノエルはアルバンを睨みつけ、「あなたみたいなオジサン、誰が兄なんて呼ぶものですか。それに姉はあなたなんかと結婚しないわ」
アルバンは、肩をすくめた。
「とことんお子様だな。こりゃ、しつけが大変だ」
そう言うと、「ベス、ちょっと来い」と大声を張り上げた。
ベスが部屋に入って来ると、外で見張りをしている男たちを呼んでくるよう指示した。
私はノエルを抱き寄せ、アルバンを睨んだ。
「何をするつもり?」
「ちょっとしたお仕置きだよ。まあ、そう睨むな」
ベスと男二人が部屋に入ってきた。
「この女はもう始末していいぞ。それから見つからない場所に捨てて来い」
アルバンが指を外に向ける。
二人はベスの腕を両側から掴んだ。ベスは呆然としていたが、引きずられて部屋から出る間際になって、状況が飲み込めたようだ。
「お嬢様、助けてください。ノエル様」
ノエルは唇を噛んで、ベスを見ている。
「マリア様、助けて」
ノエルが一言も発しないのを見て、私の方を見る。
私はアルバンに、「ベスはあなた方の仲間ではないの?」と聞いた。
「証人は少ない方がいいからね。初めからその予定だ。しかしまあ、主と侍女は同レベルってことなんだろうな。馬鹿な女だ」
ベスが金切り声を上げた。
「こんな話ではなかったじゃない。マリア様に直接思いを伝えたい、それだけだって言ったじゃないの。こんなこと考えてもいなかったのに」
「それだけじゃないって、わかってはいただろう。きれいごとを言うな」
アルバンがうんざりしたように言う間も、二人の男は無言でベスを引きずって行く。
窓越しにかすかに聞こえていた喚き声が、しばらくすると聞こえなくなった。
すると、アルバンがノエルに向かって身を乗り出した。
「さあ、ノエル嬢。これから言うことをしっかり覚えるんだ。君は姉が俺と出かけるのを追って、ここまで来た。そして二人の密会に驚き、飛び出して行った。そこを暴漢に襲われ、ベスとはぐれた」
ノエルは呆然としたまま、目を見開いている。
そしてぎこちなく私の方を見た。
「ベスは死んだの?」
私は黙って頷いた。
「いいかい。これは君のせいだ」
アルバンはノエルの腕を掴んだ。
「姉は私と結婚するしかなくなる。婚約者を裏切ったふしだらな女だ。自国には一生戻れない。君のせいだ。そんなことが知れたら、君も同じように扱われる。分かるか?」
ノエルは黙ったまま身を固くしてアルバンを見ている。
「侍女が死んだのも君のせいだ。友人には知られたくないよね。そんな噂が立てば縁談も無くなる」
ノエルは息すらしていないようだ。私はノエルの背中をさすった。
「さあ、陽も落ちたことだし、これからは大人の時間だ。子供のノエル嬢は邪魔だな。森のお散歩に出てもらえるかな。朝には誰かが見つけてくれるだろう」
アルバンがノエルに伸ばした手を、私は振り払った。
「こんなにショックを受けているのよ。少し二人だけで話をさせてちょうだい」
ノエルは明らかにパニックかヒステリーを起こしそうな、危ない様子だ。このまま外に放り出されたら危険だろう。
「ふーん」と面白がるような声を出してからアルバンが立ち上がった。
「少しなら許してあげよう。私は物分かりのいい男なんだ」
アルバンは笑いながら部屋を出ていった。
足音が遠ざかるのを待って、私は小声で聞いた。
「ノエル、あなた笛は持っている?」
ノエルはハッとしたように胸に手をやった。首から吊ってある銀のチェーンを引っ張り上げると、その先に笛がついている。
私はそれを、ノエルの手と一緒に握りしめた。
「ここから離れたら、これを吹きながら歩きなさい。みんなが必死で探しているはずよ。きっと誰かが見つけてくれる。そうしたら私を助けに来てちょうだい」
ノエルは笛を見てから私を見た。
「どうしたらいいの。助けが間に合うか。どうしたら」
私は腰に吊った香水瓶をノエルに見せた。
「これは酸よ。これで何とかできるかもしれない。だからなるべく早く助けを呼んで」
ノエルは魅了されたように、銀細工で覆われた小さなガラス瓶を見つめた。




