4-13 救助の対価
「ああ、働けないだ?」
ガブは俺の目を見据えたまま、怒鳴る。
ゆっくりと。
だが確実に距離を詰めてくる。
大きな歩幅。
荒い息遣いが、顔にかかる。
それでも俺は目を逸らさない。
逸らしたら終わりだと、本能で分かっていた。
「ごめん、約束があるんだ」
次の瞬間――
ダンッ
視界が揺れた。
ガブの頭突きが、額に直撃する。
体勢を崩し、そのまま床へ倒れ込む。
背中に鈍い衝撃が走る。
「約束だぁ?」
低い声が降ってくる。
気づいた時には、襟を掴まれていた。
そのまま持ち上げられる。
足が宙に浮く。
「それが――助けてもらった恩人に奉仕するより優先されるのか?」
顔が近い。
息がかかる距離。
だが、俺は痛みを堪えて口を開く。
「大事なんだ……だから、本当に――」
言い終わる前に、体が宙を舞った。
バァンッ
床に叩きつけられる。
肺の空気が一気に抜けた。
ゴホッ、と息が漏れる。
部屋の中に砂埃が舞い上がる。
視界が一瞬、黄色く霞んだ。
「謝ればいい話じゃねぇんだ」
ガブの声が響く。
「大人はそんな優しく動いてねぇ」
その言葉と同時に――
ガブは壁にかけてあった剣を手に取る。
そして。
迷いなくクロールの元へ歩く。
嫌な予感が、全身を駆け抜けた。
剣の切っ先が――
眠っているクロールの首元へ向く。
「やめろよ」
気づけば、声が出ていた。
ガブは振り返らない。
ただ、低く言う。
「やめて欲しいなら――」
わずかに剣先が動く。
「言うことを聞くんだな」
俺に選択肢なんてなかった。
拳を強く握りしめる。
奥歯が軋む。
目の奥が熱い。
それでも――
俺は言うしかなかった。
「ああ、わかった……」
声が、わずかに震える。
悔しい。
何もできない自分が。
こんなところで足止めされている場合じゃないのに。
――ザク
鈍い音が響く。
反射的に顔を上げる。
ガブが持っていた剣が、俺の目の前の床に突き刺さっていた。
「早速、頼みがある」
ガブがニヤリと笑う。
その瞬間――
俺の体は動いていた。
剣を引き抜く。
踏み込む。
一気に間合いを詰める。
足に力を込める。
だが――遅い。
いつもより、明らかに遅い。
それでも。
ガブの反応よりは速い。
剣の切っ先が、ガブの首元に突きつけられる。
あと一歩で、届く距離。
それでもガブは――
笑っていた。
不気味なほどに。
「何がおかしいんだ」
俺は低く問う。
「いや」
ガブは口角を上げたまま言う。
「こんなんで勝った気になってるお前の甘さに笑ってるんだ」
ギリ、と歯を食いしばる。
剣をさらに押し込もうとした、その時――
「――こいつがどうなってもいいのか」
背後から声。
冷たい声だった。
反射的に振り向く。
フードを被った男が立っている。
その手には――ジオガン。
そして。
その銃口は、クロールの頭に突きつけられていた。
「……わかった」
俺はガブの首元から剣を引く。
そして、そのまま――
床に突き刺した。
乾いた音が部屋に響く。
「いらないことすんな。この男を助けてやったんだからな」
ガブはそう言って、顎で外を指す。
来い、という合図だった。
「さっさと行けガキ」
背後。
フードの男の声。
振り向かなくても分かる。
クロールの頭に、まだジオガンが突きつけられている。
――クソッ
俺は何も言わず、外へ出た。
外の空気は乾いていて、さっきまでの埃臭さとは違う嫌な静けさがあった。
ガブは振り返らない。
ただ前を歩く。
俺はその後ろをついていくしかなかった。
クロールが人質にされている以上、選択肢はない。
しばらく歩く。
崩れかけた建物を抜け、瓦礫を越え――
やがて、街の外周へ出た。
粗末な木の柵。
その上に、四人の男たちが腰をかけている。
全員、フードを被っていた。
一人が気づき、立ち上がる。
「ボス!どうしたんですか」
軽い口調。
だが視線は鋭い。
ガブは足を止めずに答える。
「新入りだ」
短く。
それだけ。
「血の気の多いやつだがお前ら色々教えてやれ」
その言葉に、周囲の視線が一斉に俺に集まる。
値踏みするような目。
面白がるような目。
試すような目。
ガブはそのまま背を向ける。
立ち去るつもりだ。
「ちょっと待てよ!」
気づけば、声を張り上げていた。
「新入りってなんだよ!」
ガブの足が止まる。
ゆっくりと、こちらを振り向く。
その目はさっきと同じだった。
感情のない、冷たい目。
「お前は――」
低い声が響く。
「俺の組織で、俺からの借りを返せ」
それだけだった。
説明も、同意も、選択もない。
ただの事実のように言い切る。
そしてガブは再び歩き出す。
崩れた街の奥へ。
振り返ることなく。
そのまま、姿を消した。
残されたのは――
俺と。
フードを被った連中だけだった。
「おい、新入りなんて久しぶりだな」
一人の男が腹を抱えて笑いながら言う。
「お前、運がねぇーな」
別の男がフードを脱ぐ。
肩まで伸びた髪。
そいつは俺の腰にある木刀を指差した。
「そんなもん付けてるから、魔物と戦わされるんだ」
――魔物と戦う?
思わず眉をひそめる。
おかしい。
魔物と戦うのは、王国の兵士の仕事だ。
こいつらはどう見ても――ただの民間人だ。
「ほらよ」
さっきまで笑っていた男が、地面に何かを落とす。
金属音。
視線を落とす。
ジオガン。
俺がそれを見つめていると、男は地面を何度も指差す。
取れ、ということらしい。
動けずにいると――
横にいた長髪の男が、すっと前に出た。
ジオガンを拾い上げる。
そしてそのまま、俺の手に押し込んだ。
「今日から一緒にコンガを守るんだ。よろしくな」
満面の笑み。
――え?
思考が一瞬止まる。
状況が繋がらない。
「おいおい、普通は先輩に挨拶するだろ」
長髪の男は軽く笑う。
「まあいい。俺はカク」
続けて、さっきの男が近づいてくる。
わざとらしくフードを脱ぐ。
金色の坊主頭。
「へへ、俺はフウジ」
フウジは親指で後ろを指す。
「んで、あっちの小さいのがマルト。その隣がマイカな」
マルトと呼ばれた小柄な人物が、小さく頭を下げる。
「よろしく……」
――なんだ、こいつら。
空気が軽い。
緊張感がない。
ここが、さっきまで俺が命を脅されていた場所と同じとは思えなかった。
けれど――
不思議と。
嫌な感じはしなかった。
だから俺は、口を開いた。
「俺の名前はレイル」
一拍、置く。
「だけど、こんなことしてる場合じゃないんだ」
空気が少しだけ変わる。
カクが一歩近づく。
「してる場合じゃないって、どういうことだよ」
目が真剣になる。
さっきまでの軽さが消えていた。
「お前、コンガを守るために志願してきたんじゃないのか?」
――は?
頭の中に、はっきりとした違和感が浮かぶ。
コンガを守る?
さっきも、同じことを言っていた。
けど。
おかしいだろ。
ガブの組織が――
この街を守る?
こんな荒れ果てた街を?
なんで?
何のために?
そもそも――
守る価値なんて、どこにあるんだ。
「ごめん。本当に俺は何もわからないんだ」
そう言うと――
カクが一歩、踏み込んできた。
顔が近い。
息がかかる距離。
「お前、怪しいな」
低い声。
次の瞬間、額に冷たい感触が触れる。
ジオガン。
「何が目的なんだ」
――やばい。
息が自然と止まる。
脈気で弾けるか?
いや、今の残量じゃ――
確信が持てない。
「まったまった。カクは落ち着けって」
間の抜けた声。
フウジが後ろからカクに飛び乗る。
そのままジオガンをひょいと取り上げた。
「ボスが訳あり連れてくるなんていつものことだろ」
軽く笑う。
けど、その目は笑っていない。
「そんなので取り乱してたら、実際に仇に会った時どうすんだよ」
その一言で――
空気が少し変わる。
カクは舌打ちをして、俺から離れた。
柵の方へ戻り、そのまま腰を下ろす。
「……悪いな、レイル」
今度はフウジが俺の前に立つ。
さっきより、少しだけ真面目な顔だ。
「でもお前も悪い。余計なこと言ってチームワーク乱すな」
指を三本立てる。
「一回目は許す。二回目も許す」
そこで指を折る。
「三回目はない」
にやりと笑う。
「覚えとけよ」
背中を軽く押される。
ぐいっと、柵の方へ。
「さあさあ!せっかくの新入りだ。実戦前に仲良くなっとこうぜ」
――実戦前?
引っかかる言葉。
その瞬間だった。
カラン……カラン……
乾いた音が、街に響く。
壊れた鈴みたいな、嫌な音。
一回。
二回。
三回。
その音が鳴った瞬間――
全員の動きが止まった。
次の瞬間。
「来たぞ」
誰かが呟く。
それだけで十分だった。
カクが立ち上がる。
マルトも、マイカも。
フウジも、笑みを消していた。
「行くぞ」
短い声。
全員が一斉に走り出す。
迷いがない。
慣れている動きだった。
「レイル、遅れんなよ!」
フウジの声。
振り返らずに叫ぶ。
俺を置いて、全員が音の方へ消えていく。
――今だ。
逃げるなら。
今しかない。
頭では分かってる。
今が唯一のチャンスだ。
なのに。
足が、動かない。
あいつらは敵かもしれないのに。
関係ないはずなのに。
それでも――
気になる。
あの音の正体が。
あいつらが何と戦っているのかが。
結局。
俺は――
走り出していた。
あいつらの後を追って。




