4-4 守れなかった約束
俺はモノの言葉を聞いて、全てを理解した。
そして、大声で叫ぶ。
「なんでなんだよ!」
俺の叫びに反応するように、遠くの闇の中で赤い目が光った。
一つ、二つ――いや、もっとだ。
赤い目を光らせた生き物達が、こちらへと集まり始めているのが分かる。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
サラは俺の表情を見ると、小さく一度コクリと頷く。
「行こうレイル。まだ遠くないはず」
そう言うとサラは俺の前へ出て、走り出した。
俺もその背中を追おうと、脈気を纏い一歩踏み出す。
――その瞬間。
上空から、何者かが落ちてきた。
次の瞬間、俺の頭は強引に地面へと押し付けられる。
ズドンッ!
重い衝撃音が辺りに響き渡った。
視界が揺れる。
闇の中から、先ほどより多くの赤い目が浮かび上がった。
「何すんだよ……」
俺を押さえつけた人物はすぐに分かった。
この手の大きさと、地面に叩きつけるような力――アスヘルしかいない。
「……すまなかった。俺のミスだ」
アスヘルは低い声でそう言うと、俺の頭をさらに強く地面へ押し付けた。
土が頬に食い込み、視界が歪む。
俺は脈気を纏い、強引に体を起こそうとする。
だが――びくともしない。
まるで岩に押さえつけられているみたいだった。
「サラ、モノの手当てをしてやってくれ。魔族のお前なら脈気を分け与える方法は知っているだろ」
アスヘルの声は静かだったが、逆らわせない重さがあった。
サラは一瞬だけ立ち止まり、俺とアスヘルを見た。
そして何も言わず、モノのところへ歩いていく。
しゃがみ込み、モノの体に手を当てると、掌から少しずつ脈気を流し始めた。
「おいアスヘル!はやく離せよ。ノアが誰かに攫われたんだぞ!」
俺は怒鳴る。
その声が夜の草原に響いた。
先ほどまで遠くにいた赤い目の魔物達はもう視界に全身を捉えられるほど大きくなっている。
「ノアは助ける」
アスヘルの口から、思ってもいなかった言葉が出た。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、俺の胸にはさらに強い怒りが込み上げてきた。
「じゃあ離せよ。今から追いかけないと間に合わなくなるだろ」
アスヘルは俺の頭を片手で押さえつけたまま、もう片方の手で襲ってくる魔物達を次々と殺していく。
赤い目が、闇の中で一つ、また一つと消えていく。
「逆だな。今お前が飛び出したところで、状況は何も変わらない。……むしろ悪化する」
アスヘルはそう言い切ると、俺の頭から手を離した。
俺はすぐに起き上がる。
そして、そのまま暗い草原の中を走り始めた。
後ろを振り返ることはしない。
アスヘルの姿は、あっという間に闇の中に消えていった。
俺はただ、暗闇の草原を真っ直ぐに走り続ける。
風が頬を叩き、草を踏みしめる音だけが耳に残る。
しばらく走ると、草原は次第に荒れ果てた土へと変わっていった。
やがて緑は消え、目の前にはほとんど植物のない荒野が広がる。
「ここはどこなんだ……」
俺は荒野を見回す。
何か手がかりがないかと、再び走り出す。
だが――何も見つからない。
暗闇に覆われていた世界は、少しずつ太陽の光に押し出されていく。
東の空が白み始める。
夜は、終わろうとしていた。
俺は、その場で膝をつく。
ノアがどこに連れて行かれたのか。
もう手がかりは何もない。
ふと、ノアが作ってくれたクッキーの味を思い出した。
甘くて、美味しかった。
サラと二人で笑っていた、カマイの店の風景。
一緒に食べたスープの味。
同じ小屋で過ごした日々。
その全てが、俺の脳裏の中に浮かんでくる。
色のある世界として――。
「ああ……」
荒野の乾いた土を、頬から落ちた水が静かに潤す。
「守ってって言われたのに! 守るって言ったのに! また、俺は……一人だけ……」
俺は拳を握りしめ、地面を叩いた。
だが、返ってきたのは――ドスン、という鈍い音だけだった。
何も変わらない。
何も好転しない。
俺はゆっくりと立ち上がる。
「探さないと……」
掠れた声が、自分の口から漏れた。
「ノアが見つかるまで……止まらずに」
俺は荒野を歩き出す。
ゆらり、ゆらりと。
足取りは重く、それでも止まることはなかった。
喉の渇きも、飢えも感じない。
ただ――ノアの痕跡だけを探していた。
どれほど歩いただろうか。
荒野の中に、ひとつの看板が立っているのが見えた。
俺はふらつく足でそこまで近づく。
看板には、見慣れた文字でこう書かれていた。
「ここより先レガルド王国。
レガルド王国の許可を得ていない者の立ち入りを禁ずる」
ここに行けば、何かわかるかもしれない。
そう思い、一歩踏み出した――その途端だった。
足元から力が抜け、俺の身体はゆっくりと崩れ落ちた。
地面に手をつき、なんとか身体を起こそうとする。
だが、腕はピクリとも動かなかった。
「……ごめん、ノア」
掠れた声が漏れる。
「俺は……ここで終わるらしい」
本当に、すまない。
悔しさで唇を強く噛み締めた。
口の中に、鉄の味が広がる。
血の味だった。
だが、どれだけ痛みを与えても――
俺の身体は、もう言うことをきかなかった。
しばらくして。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
――――――
「今日の晩御飯はスープです」
ノアの作った温かい料理が、テーブルへと運ばれてくる。
俺はノアからスープを受け取り、いつものように椅子に座ってノアが全ての支度を終えるのを待った。
「レイルさぁ、たまには手伝ってあげるなり一緒に作るなりしてみたらどうなの」
俺の横に座っているサラが、呆れたように説教してくる。
「サラだって俺と一緒で何もしてないだろ」
俺は屁理屈を言ってサラに反抗した。
「私はノアの“お姉さん”なの。妹が姉に尽くすのは、どこの種族でも一緒」
俺とサラの醜い言い争いを聞いて、ノアはクスッと笑いながらキッチンから姿を現した。
「いいよ二人とも、何もしなくても。私がしたくてやってるんだから」
ノアはそう言いながら俺たち二人の前に座り、
「どうぞ食べてください」と言うような顔でこちらを見てくる。
俺とサラは顔を見合わせた。
「「いただきます」」
声を揃えて言ったあと、スープを口に運ぶ。
温かい。
いつもの味だ。
俺たちが食べているのを、ノアは嬉しそうに笑顔で見ている。
幸せな日々だ。
スープを飲みながら、俺はそう感じていた。
その時だった。
ふいに、視界がぐらりと揺れた。
さっきまで見えていた小屋の景色が、ぼやけていく。
遠くで、誰かの声が聞こえた。
「呑気に寝てるなんて、こいつキモ座ってんな」
誰の声なんだ。
頭の奥に、直接響いてくるみたいだ。
…………。
――――――――
俺が静かに目を開けると、体には薄いマントがかけられていた。
木材でできた床からは、少し傷んだ木の匂いが漂ってくる。
ぼんやりと天井を見つめていると、真横から声が聞こえた。
「やっとか」
横にいたアスヘルはそれだけ言うと、立ち上がり、何も説明しないまま扉の方へ歩いていった。
どうしてアスヘルがここにいるのか分からない。
そして、ここがどこなのかも俺には分からなかった。
しばらくして、再び扉が開く。
「よぉ、レイル。元気になったか」
顎髭を触りながらクロールが入ってきた。
クロールは俺の横に腰を下ろすと、葉巻を咥え、火をつける。
「お前、前から思ってたけど無茶苦茶だよな」
クロールは笑いながら言った。
けれど、俺はそんなクロールを見ても、ちっとも笑えなかった。
クロールは俺の顔を見て、葉巻を一度深く吸う。
そして煙をゆっくりと吐き出し、一息ついた。
「レイル。俺たちはノアを助けに来たんだ」
クロールのその一言に、俺の体は反射的に動いた。
そうだ。
ノアが危ない。
俺は立ち上がり、すぐに扉の方へ向かう。
「待てよ。お前が一人で行って何ができんだ」
「……けど、行かないと」
俺はゆっくりとドアノブに手をかける。
クロールはまた葉巻を吸い、煙を吐いた。
「独りよがりは結構だが、それでノアを助けられると思ってんのか」
俺の手が止まる。
そんなことは、なんとなく分かっている。
けれど、動かないといけない気がした。
俺は再びドアノブを握り、扉を開く。
すると――
ドアの前に、サラが立っていた。
「レイル……」
サラは悲しそうな目で、俺を見つめている。
その後ろから、クロールの声が聞こえた。
「お前が決めるんだ、レイル」
クロールは静かに続ける。
「俺たちはみんな、ノアを助けに来た同士だ」




