3-12 託された祈り、一振りの木刀
ノアが保護されているというカマイの店へ、俺はロロと一緒に走った。
店に入ると、看病しているカマイと、不安そうにノアを囲むムウとガウの姿があった。
床には毛布が敷かれ、その上にノアが横たわっている。
胸が、嫌な音を立てて鳴った。
「来たか、レイル」
カマイは短くそう言って、俺を見る。
「ここじゃあれだ。外で話そう」
その声色だけで、ただ事じゃないと分かった。
「……ああ」
店の外に出る。
冷たい空気が、やけに現実感を伴って肺に入ってくる。
「なんだ?子供たちがいたらできない話って」
カマイは腕を組み、少し間を置いてから口を開いた。
「レイル。落ち着いて聞け」
その一言で、逆に心臓が強く跳ねた。
「――恐らく、ノアを気絶させたのはサラだ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
さっきまで笑っていた顔。
村で楽しそうに過ごしていた姿。
ノアに抱きついていた、あの無邪気な態度。
それらが、一気に歪む。
「……冗談だろ」
声が、震えた。
「何かの間違いじゃないのか……?根拠は……根拠はどこにあるんだ!」
気づけば、声を荒げていた。
カマイは俺の肩に手を置く。
力は強くないのに、逃げられない重さだった。
「まだ確定じゃない。だがな――」
カマイは視線を遠くに向ける。
「俺は、サラが森の方へ走っていくのを見た。そして、その方向でノアが倒れていた」
偶然なのか。
それとも――
胸の奥で、嫌な予感が静かに広がった。
「まだ状況証拠しかない。サラがノアを倒した相手を追っていただけの可能性もある」
カマイはそう言って、店の中へ戻ろうと背を向ける。
だが、扉に手をかけたところで足を止めた。
「……最悪の覚悟はしておけ」
低く、重たい声。
「サラが本気でノアを殺そうとしたなら――俺は、サラを許さない」
そう言い残し、カマイは店内へ消えた。
その瞬間、俺の頭の中で、今日のサラの声が一気に蘇る。
『一瞬表情曇ってたじゃん!』
『ここにいたら癒されて、現実を忘れたくなってくるよ』
『やっぱりノアのこと、私だーいすき!』
どれも、嘘には聞こえなかった。
少なくとも、俺には。
(……じゃあ、なんでだ)
どうして一人で先に戻った。
どうしてノアを家の外へ連れ出した。
考えても、答えは出ない。
今すぐ追いかけたい。
真実を、直接聞きたい。
だが――
俺は店の中へ戻り、毛布の上のノアを見る。
「ノア……」
しゃがみ込み、そっと手を握る。
その指が、弱々しく、だが確かに握り返してきた。
俺は顔を上げる。
ノアの目が、開いていた。
今にも閉じそうなほど細い目で、それでも必死にこちらを見ている。
「ノア!大丈夫か!」
安堵が胸に広がる。
だが、ノアはいつもの笑顔を浮かべなかった。
何かを、必死に伝えようとしている。
「無事でよかった……」
背後でカマイが小さく呟く。
子供たちが「やったー!」と声を上げる。
「みんな、少し静かにしてくれ」
俺の声に、店内が静まる。
ノアは、震える息で言葉を絞り出す。
「……レイル……」
俺は、視線を逸らさず、待つ。
「サラを……助けて……あげて……」
一瞬で、迷いが消えた。
「ああ。わかった」
考える前に、身体が動いていた。
立ち上がり、腰の木刀を掴み、引き抜く。
「カマイ!サラはどこに走った!」
「……お前が修行してた崖の方だ」
それだけで十分だった。
俺は扉を蹴るように開け、外へ飛び出す。
――待ってろ、サラ。
何があったかは知らない。
だが――
俺は、絶対に助ける。
俺は迷うことなく森へ駆け込んだ。
枝が腕を叩き、足元の落ち葉が滑る。
それでも止まらない。止まれない。
そして――
いつもの崖に辿り着く。
ここは、アスヘルに脈気を教わった場所。
初めてサラと出会った場所。
そして、この森を一望できる場所。
俺は足を止めず、そのまま崖に取りついた。
昔は、時間をかけてゆっくり登っていた。
けれど、今は違う。
窪みに手をかけ、地面を蹴る。
身体は自然に上へ運ばれていく。
――歩くのと変わらない速さで。
頂上に立った瞬間、視界が一気に開けた。
緑と紫が混ざり合う、歪んだ森。
どこか“人の領域じゃない色”。
俺は息を整えながら、舌打ちする。
「……この先に入られたら、もう追えないかもしれない」
それでも、足は止まらなかった。
俺は、そのまま奇妙な森へ踏み込む。
サラは賢い。
俺が追ってくることくらい、想定している。
なら、選ぶ場所は――俺が迷う場所だ。
そう思いながら進んでいると、やがて視界が開けた。
大きな道。
不自然なほど、まっすぐな一本道。
その中央に――
サラが、立っていた。
黒髪は風に揺れているのに、いつもの艶がない。
「……サラ」
俺は一歩、距離を詰めながら呼びかけた。
サラは振り返らないまま、低い声で返す。
「……やあ、レイル。ノアの仇討ちに来たの?」
いつもの軽さはない。
乾いて、冷えた声。
「そんなわけないだろ。ノアと何があった」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、サラは不自然なほど大きく笑った。
「何があったって?簡単だよ」
肩で息をしながら、無理やり言葉を吐き出す。
「あなた達を利用してただけ。オーラが見えるノアは邪魔だったから、消そうとした。それだけ」
俺の胸が、強く締めつけられる。
それでも、目は逸らさない。
「ほら!殺すなら早く殺しなよ!」
サラは叫ぶ。
「私は魔族!ノアを殺そうとした“敵”!村にとっての悪者でしょ!」
その声は、怒鳴り声なのに――震えている。
「まさか私の演技を信じてた?いい魔族だとか、仲間だとかさ!」
乾いた笑い。
「人間ってほんと愚か。あんな弱っちい村、好きになるわけないじゃん!」
俺は、黙って聞いていた。
そして、静かに言う。
「……帰らない」
サラの肩が、びくっと跳ねる。
「なんで!どうして!」
振り返らないまま、声だけが荒れる。
「サラを連れて帰れなかったらノアに顔向けできない……」
「それに、泣いてる仲間を見捨てたら、俺が俺じゃなくなってしまう」
足元の土が、濡れて色を変えている。
俺はさらに近づき、そっと肩に触れた。
「帰ろう、サラ。みんな待ってる」
次の瞬間――
サラは振り向きざまに俺を突き飛ばした。
背中から地面に叩きつけられる。
「お願い……帰って……」
震える声。
「私も……本当は……みんなに、生きててほしい……」
サラの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
偽りのない、澄んだ色。
その背後で――
重たい足音。
「なんだなんだぁ。お嬢ちゃんが泣いてるじゃねぇか」
振り返ると、鬼のような体躯の魔族が立っていた。
その後ろには、牙、角、羽を持つ魔族が十数体。
森の空気が、一気に凍る。
俺は立ち上がり、木刀を握りしめる。
「……お前ら、誰だ」
鬼の魔族が、口の端を吊り上げた。
「人間のお前こそ、誰だよ」
俺と鬼の魔族の視線がぶつかり合う。
森の風が止んだように、空気が張りつめる。
「なぁ人間」
鬼の魔族は鼻で笑うように言った。
「理由は知らんが、ここは魔族の領土だ。部外者はさっさと消えろ」
「世界は誰のものでもない。無理な相談だな」
俺は一歩も引かない。
鬼の魔族の額に血管が浮き上がる。
その瞬間――
「ねぇ、やめて」
サラが俺と鬼の間に割って入った。
「あなた達の狙いは私でしょ。私、抵抗しないから!黙ってついていくから!」
振り返らずに、淡々と告げる。
「だから……あの人間は放っておいて」
鬼の魔族は、口の端を歪めた。
「さすがだな。四天王の一人娘。話が早い」
一拍置いて、低く言い放つ。
「だが――それは無理だ」
次の瞬間、
金棒が唸りを上げてサラへ振り下ろされる。
「サラ!」
俺は地面を蹴った。
体が勝手に前へ出る。
――ガンッ!!
木刀と金棒が正面から激突する。
俺はサラの前に立ち、金棒を弾き返した。
「ほう……」
鬼の魔族が目を細める。
「お嬢ちゃん。人間と手を組むとは、ずいぶん堕ちたものだな」
俺は一歩前に出て、木刀を構える。
「サラは俺と手なんか組んでねぇ」
低く、はっきり言う。
「俺が勝手に助けてるだけだ」




