3-13 汚れなき脈気、凍てつく悪意
金棒を弾き飛ばしてから、短い沈黙が落ちた。
森を撫でる風の音だけが、不気味に耳に残る。
「龍脈兵器も使わずに、よくやるじゃないか」
鬼の魔族は口角を吊り上げ、背後へ声を投げる。
「タム。こいつの“動き”を止めろ」
「はーい了解〜」
のそのそと、カタツムリのような魔族が前へ出てきた。
「止まれぇ〜……はぁー!」
……間の抜けた声。
「いや、今なにしたんだよ」
思わず口から出た。
鬼の魔族が低く笑う。
「そうやって余裕ぶっていられるのも、今だけだ」
次の瞬間――
金棒が唸りを上げて振り下ろされる。
「やめて!!」
サラの叫び。
俺は反射的に地面を蹴った。
……だが。
足に力は入った。
体も動かそうとした。
それなのに――視界が、動かない。
「――なっ!?」
体だけが、その場に“縫い止められた”ように固定されている。
次の瞬間。
――ガァンッ!!
頭に衝撃が突き刺さる。
岩に金属を叩きつけたような重い音が森に響いた。
そして――
折れた金棒の先端が、俺の視界を横切って落ちてきた。
――ズドン。
「……俺は、脈気を纏って……金棒で殴ったよな……?」
怯えたような声が俺の耳元に響いた。
鬼の魔族が、タムと呼ばれた魔族を見る。
「アロは、確かに脈気を込めていた……」
この隙に拘束を解かないと。
俺は歯を食いしばり、必死に足に力を込める。
動け……動け……!
その時。
背後から、温度のある声が耳元に落ちてきた。
「……私が拘束を解く。逃げて」
サラの声。
「ありがとう……本当に、嬉しかったよ」
次の瞬間――
ふっと、世界が軽くなった。
足が、地面を掴む感覚が戻る。
サラは俺を一度だけ見て、震える指で後ろを指した。
逃げ道。
エルド村の方向。
……分かってる。
ここで逃げれば、俺は助かる。
でも――
俺が助けたいのはサラだ。
俺は、一歩も動かなかった。
「おい」
「なんでサラを狙う」
魔族たちは口を動かす。
だが――音が、届かない。
タムも、同じように口だけを動かしている。
背後で、鬼の魔族が新しい金棒を受け取る。
金属が擦れる“はず”の音も、聞こえない。
違和感が背筋を這い上がる。
次の瞬間。
鬼が、大きく口を開きながら突っ込んできた。
俺は、反射で木刀を握り直す。
脈気を、叩きつけるように流し込む。
――まずはぶつける。
木刀は金棒に触れる前に、鬼の身体に先に届いた。
巨体が、タムと他の魔族数体を巻き込みながら、森の奥へ吹き飛ぶ。
木々がへし折れ、地面を削り、新しい“道”が刻まれていく。
そして――
折れる木の音も、衝突音も、
何一つ、聞こえなかった。
その瞬間。
俺は、はっきりと理解した。
――サラが俺の音を奪ったんだ。
振り返ると、サラは俯いていた。
肩が、小さく震えている。
「……おい、人間」
魔族の低い声が、背後から届く。
俺はゆっくりと体を回し、正面を向いた。
「お前のその脈気……何者だ」
「なんだっていいだろ」
俺は木刀を肩に担いだまま、はっきりと言う。
「とにかく、サラは俺が連れていく」
その時。
魔族の群れの中から、一人が歩み出てきた。
カウボーイハット。
腰にはサーベル。
トカゲの顔に、薄い笑み。
「やあやあ。仲間が無礼を働いたようで申し訳ない」
そいつは、俺の目の前で丁寧に一礼した。
「私はエヴィ。由緒正しきザイオン家の血を引く者だ。まあ――高貴な魔族ってやつだね」
その瞬間。
サラが、俺の前に飛び出した。
「どこが高貴なのよ!!」
声が震えている。
だが、目は怒りで燃えていた。
「親を殺したくせに!!」
空気が、凍りつく。
エヴィの口元の笑みが、ゆっくり消えた。
彼は静かにサーベルへ手を伸ばす。
「……人間」
俺を見る目が、冷える。
「我々の目的はその娘だ。魔族同士の争いに首を突っ込むな」
「だから渡さねぇって言ってんだろ」
「……そうか」
次の瞬間。
エヴィの足元に、脈気が集まるのを感じた。
反射で俺はサラを抱き寄せ、横へ跳ぶ。
――ザン
金属音。
振り向いた瞬間、目に飛び込んできたのは――
エヴィのサーベルが、魔族の腹を貫いている光景だった。
「おやおや」
エヴィは軽い口調で言いながら、剣を引き抜く。
斬られた魔族は、音を立てて地面に崩れ落ちた。
「君が避けるから、仲間を刺してしまったじゃないか」
一瞬の沈黙。
そして――
「エヴィてめぇ!!」
魔族たちが一斉に叫ぶ。
「やっぱ最初から利用するつもりだったのか!」
「アロがいないからって好き勝手すんな!!」
エヴィは肩をすくめる。
「勘違いするな。私は人間を恨んでいる。だからこの組織に入っただけだ」
ツノの生えた魔族が怒鳴る。
「魔族のための組織で、魔族を斬るお前に居場所はない!!」
その瞬間。
俺は判断した。
ここは戦場になる。
サラを守るなら――今だ。
俺はサラを強く抱え、地面を蹴った。
混乱の渦の中から、一気に距離を取る。
背後では、怒号と殺気がぶつかり合い始めていた。
森の中を、俺は走り続ける。
「ねぇ!降ろして!!」
腕の中でサラが暴れる。
「私がいるとエルド村が……!」
その声を無視して、俺は歯を食いしばる。
――守ると決めた。
だから、止まらない。
その時。
前方に、異様な影が見えた。
仲間の魔族を背負いながら、よろめくように歩く――あの鬼の魔族。
奴も、こちらに気づき、足を止めた。
森の中で、視線がぶつかる。
「……仲間をどうした」
低く、重たい声。
俺の腕の中でサラが動くのを見て、鬼は目を細める。
「娘をどうするつもりだ」
「お前が連れていく場所へ、我々も追う。逃げ場はない。今すぐ手放せ」
「そうだよ!!離して!!」
サラも必死に叫ぶ。
俺は一瞬、視線を落とし――そして、鬼を睨み返す。
「……お前たちは、サラをどうするつもりなんだ」
鬼は一拍、間を置いた。
そして、ゆっくりと答える。
「魔族の未来のために使う」
「今の魔王の支配は腐っている。理想を謳い、その結果魔族は切り捨てられる」
「その娘を人質として使えば、世界をひっくり返せる」
「魔族が、もっと豊かに、もっと誇り高く生きられる」
俺の胸が、重く軋んだ。
だが――
「……サラは道具じゃねぇ」
俺は、声を張り上げる。
「革命だろうが理想だろうが関係ない。命を犠牲にして作る未来なんて、俺は認めない」
鬼の魔族は、目を見開いた。
「人間……」
「お前は、魔族の現実を知らない」
「お前の感情で世界を歪めるな」
そう言って、背負っていた仲間を、静かに地面へ下ろす。
俺は、鬼の魔族の真剣な表情を前に、言葉を失った。
鬼はゆっくりと構えを取る。
金棒はもうない。
――素手の武術で来るつもりだ。
張り詰めた空気の中。
草木を掻き分ける、異様に速い足音がこちらに迫る。
「……なんだ、この脈気……」
鬼の魔族がそう呟いた瞬間――
木の上から、黒い影が弾丸のように飛び出した。
俺は反射的にサラを胸に引き寄せ、木刀を振る。
――キィン!
金属音。
「ああ〜……」
間の抜けた声が響く。
「また君のせいで、斬り損ねちゃったよ」
目の前で、鬼の魔族の胸に――サーベルが深々と突き刺さっていた。
「……エヴィ……」
鬼の魔族が、血を吐きながら名を呼ぶ。
エヴィは無表情のまま、剣を握り直す。
「うるさいですよ、雑魚が」
次の瞬間。
エヴィはサーベルを引き抜き、鬼の魔族の腹を蹴り飛ばした。
――ドガンッ!!
一瞬、森が静まり返る。
俺の喉から、無意識に言葉が漏れた。
「……仲間じゃ、ないのか?」
エヴィはゆっくりこちらを見る。
その笑みは――冷たく、歪んでいた。




