様変わりした裏路地
あの転移者が来てからと言うもの、裏路地の生活はだいぶ様変わりした。
「渚ちゃん、今日も元気かい? ほら、揚げたてのパンだよ!」
「ありがとうおばさん」
裏路地の一角で経営するパン屋のおばさんから、ほかほかのパンをいただく。以前ならこのパンはとても硬く歯が通らないパンだっただろう。だが今ではふわふわでもっちりとした美味しいパンになっていた。
「これもあの転移者のおかげか」
転移者が来てから、ナハトヴォルフの、いや、一番街の裏路地の情勢は大きく変わった。
どうやら彼は別の異世界の資産家の息子らしく、この都市の裏路地というシステムを見ては嘆き、改革を望んだらしい、すでに都市の議会には話を通していて、一番街の裏路地で活発的に活動をしていた。
そのおかげで、裏路地で飢える者がなくなり、病に苦しむ者も消え、平和な暮らしが訪れたというわけだ。実にハッピーエンドとも言えよう。
「渚ちゃん、なんかぼーっとしてない?」
「ん? あぁ、パンが美味しいからちょっと」
「確かにこのパン、いつもよりふわふわで美味しい」
アーシェやシェスティとつるみ、渚達はパンを食べながら歩く。
だが、渚の中では、不安が蠢いていた。
"この都市の裏路地で、果たしてそんな偽善が通用するのか?"と。
裏路地の勢力は多数だ。渚達ナハトヴォルフを例に、一番街だけでも複数の闇組織が蠢いている。それは割れたステンドグラスのようになっていて、毎日のようにその構図が変わる。そんな裏路地で善行を成すなど到底不可能な話だった。
だが、あの男はそれをやってのけた。どういう理屈かはわからないが、どの組織とも争う事なく、裏路地を一つに統一してみせた。
「ただいまー」
「おう、早かったな」
「仕事がないから見回りも楽だったよ。で、仕事来た?」
「こねぇよ、来たとしても外郭の掃除程度だ」
しかし、その変化は、いいことずくめではなかった。都市の裏路地が統一された事により、争いがなくなり、裏路地の抗争や傭兵の依頼は一気に減った。お陰様でギルドナハトヴォルフは絶賛閑古鳥が鳴いてる有様、やることなどひとっつもない状態に。
「なんも仕事がなくなってみんな酒ばっか飲んでるね」
「少々情けなく思えて来たわ」
「同感、と言っても私達も仕事ないんだけど」
ギルド内で仕事を無くし、くたばってる荒くれ者達を見て、渚達はため息をつく。
「ボク達、頼まれれば殺しだろうがなんだろうがする傭兵なのに、なにやってんだろ」
「平和になっちまってあいつらも盛る事なくなっちまったな、いずれ酒を飲む金すら尽きて、路頭に迷う事になるぞ」
「それってもしかしてボクも入ってたりする?」
「お前はいいだろ、兄貴がお役所仕事の兵隊なんだから」
それはそうだけど、と渚は言って椅子に座る、いつものようにミルクを出してもらうが、渚はそれをぐったりとしながらストローでちゅーちゅー吸うだけだった。
「皆、やることがなくなって、牙が抜かれてしまっているのさ、実際俺も、商売あがったりだ、このままだと俺のギルドも店じまいになるぞ」
「そうなると、いよいよここの連中みんなの居場所がなくなるね」
渚はそういうとスマホで自分の預金口座を確認した。
「エナドリを買うお金も確保できなくなって来たし、ボクもいよいよ表通りに仕事探しに行かなきゃならないかな」
「無理だろ、ただでさえ裏路地の地区のボスであるお前が、職を恵んでもらおうだなんて」
「そうだよねぇ、どうしたらいいだろ」
渚も困った様子で座り込む。渚の収入も実際に無くなりつつあった。先ほどのように仕事は何もなく、あったとしても裏路地の見回り程度で金なんて一銭も稼げやしない、やることも全く何もない状態になっていた。
「幸いと言っていいところは、まだボクの精が尽きてないってところか」
精が尽きてくると渚は禁断症状のようなものを起こす。だが今のところは安心だった。渚はミルクを飲み終えると、立ち上がってはギルドを出ようとする。
「どこへ行く気だ?」
「ラファリスのとこ、他のサキュバスがどうしてるか心配になって」
そう言っては渚は外に出て歩き出そうとする。裏路地の街の光景を眺めると、皆平和そうに暮らしていたが、何処か気迫がなくなっていた。
【皆、やることがなくなって、牙が抜かれてしまっているのさ】
「そうだね、昨日までは猛犬のようになっていた連中が、気がつくと大人しい老犬みたいになってるもん」
ジェフリーの言っていたことを思い返すと、渚は一人そうつぶやく。
昨日までは子供が泥棒しては走り、街には露店が並び、皆良い意味でも悪い意味でも活気溢れていた。それが今ではどうだろう。皆やることがなくなり巣ごもってのんびりする始末だ。
いつもなら遠くで聞こえるはずの喧騒もそれすら聞こえない。ただただ、静寂のみが、そこに残されていた。
「つまんないなー、なんか」
渚は首の後ろに手を当てて、空を見ながら歩く。すると、前から歩いていた人にぶつかった。
「あっごめん」
思わずぶつかってしまった事に謝る。裏路地なら普通争い事が起きるが…。
「お前は…ナハトヴォルフの…きっ、気を付けな、嬢ちゃん」
どうやら別の勢力の者らしい男達が、なんの因縁もつける事なく去っていった。向こうもどうやら同じ事情らしい。
「本当に、みんなおかしくなっちゃった」
渚はそう言いつつ、ラファリスのところへ向かう。ラファリス達も今、同じ様に幸せな暮らしをしているのだろうか、そう考えて、いつも精をもらう寂れた教会へ向かう。
何事もなく空白地帯の教会につき、渚は教会の門を開けた。中に入ると、そこではたくさんのサキュバス達が、ラファリスと共に過ごしていた。
「ラファリス。元気にしてた? 最近変だよね、裏路地がこんなに平和になっちゃって……さ」
渚はそう言いかけるも、直後に凍りついた、ラファリスが、苦しそうな表情で座り込んでいたからだ。
「渚姉さん…」
「姉ちゃん…ママを助けて…」
「待って、ママに、ママに何があったの⁉︎」
周りのサキュバスもラファリスの心配をしていた。その中で渚はラファリスに近寄る。するとラファリスは、娘達に精を分けていた。
「ママ…一体何をして!」
「見ての通り、精を分けてるのよ」
「でも! なんで! 娘達に精を分ける必要性なんてないはず! だって娘達は!」
ここで渚はハッとなって気づく。ここ数日、ナハトヴォルフにラファリスの娘のサキュバス達が来ていなかったと。それを知った渚は、ラファリスに問いかける
「もしかして……店に来なくなったサキュバスの精を、補填する為に、みんなに精を分け与えてるの?」
「えぇ、そうよ」
ラファリスは、静かに頷くと、理由を話し始めた。
「あの男は、裏路地を救ってもそこにいる者達全てを救ったわけではなかったの」




