努力《リベンジ》
背中のズキリとした痛みでミナは目を覚ました。
「う、うあ…」
呻き声を上げる、まるで寝違えた時みたいな痛み。
そこは暗くて埃っぽい場所だった。
壁は安っぽいプレハブのような感じで、工事現場にある掘っ立て小屋のような部屋。
中央には長机とパイプ椅子、壁沿いにちょっとしたキャビネット、部屋の片側には窓があり、そこから光が差し込んでいた。
窓の外はまた屋内、天井は高く、天井にいくつかの蛍光灯の光――半分くらいついていない、打ちっぱなしのコンクリートで作られた広いスペース。
コンテナや木箱が何個もあり、遠くのシャッター式のような出入り口のような所から夜の空が見える。
広い倉庫の一角に無理やり作られた事務スペースのようなものだとミナは理解した。
波の音が聞こえる、海に近いのだろうか――来た覚えは無い。
身体を動かそうとして、後ろ手に縛られ、足も開かない事に気づく。
ガムテープでグルグル巻きにされている。
「あっ…」
ミナはそこで思い至る、空手道場の帰り道、不思議な少女――リーベ――に出会い、そこに男達が現れ。
「リーベちゃん…!」
ミナはゴロゴロと転がりながら周囲を見る。
壁際にぼーっとした顔をしている少女が居た。
壁のパイプに片手をガムテープで無理やり括り付けられ、足をミナと同様に縛られている。
(どうしよう、どうしよう)
男達を見た時、とっさに逃げようとした、逃げてそして、想定した事は何もできなかった。
捕まった――今度はこの名前しか知らない少女も一緒に。
ミナはパニックになった。
努力なんて意味無かった、ダメだ、本当に自分じゃなにもできない。
後悔と共に、ガラガラと心が崩れていく音がする。
ミナは涙が出てきた。
視線の先に、少女が居た。
リーベはこんな状況でも無表情のままだったがいきなり涙を浮かべたミナを見て首を傾げていた。
ミナは本当に情けなくなり、わけもなく謝っていた。
「ごめん、ごめんリーベちゃん、私、私、色々頑張ってたんだけど、ごめん」
ミナが悪いわけではない、運が悪かった、それにリーベを助ける筋合いなんてミナにはない。
ヒーローに憧れてたわけじゃない、でも、立ち向かえなくても逃げるくらいはできると思っていた。
今度は自分の行動への後悔ではない、ただ自分の無力への後悔。
あんなに頑張ったのに、あんなに考えたのに。そうぐるぐると頭の中に言葉だけが回っていく。
泣きながら謝るミナ、それをリーベは見ていた。
ただ、その涙を見ていてリーベは始めて自分から動こうとした。
だが、左手が壁に縛られている。
リーベは右腕を上げた。
右腕は肘から先が丸い肉で覆われその先に手と言われるものは存在しない。
リーベは知っていた。
右手は届くのだと、少なくとも自分のやりたいことはできると。
ミナはそれを見ていた、リーベがこちらに来ようとして、諦めて喪われた右手を自分に伸ばしたその光景を。
神秘的な少女が、自分の涙を拭おうとしてくれていたように見えた。
それと同時に、不思議な感覚がミナの胸に溢れてきた。
例えるなら、広く深い暖かい海に沈み込んだようなそんな感覚。
羊水に包まれたかのような、安堵感、胸の内で声が、声が聞こえた。
「――泣かないで」
聞こえるはずの無い、音も無いその声は不思議とリーベの声によく似ているように感じた。
諦めるな、でも、頑張れ、でもなく、ただその声はミナの涙や苦痛を気遣っていた。
染み入るような、ただ、今ミナに泣いてほしくない、それだけの声だった。
ミナは少女を見ていた。
涙は流れ続けている、だけど、その涙の意味は変わっていた。
ミナは受けた傷をヘラヘラと友達に話して居た、ただ自分を鼓舞してその痛みを忘れようとしていた。
でも、傷そのものを誰かに触られる事がないように、必死に隠していた。
声は自分勝手に近づき、その感情に手を伸ばしてきた。
こちらの事情も知らずに、泣かないで、傷つかないで、それだけを伝える無垢で言葉足らずで間違いようの無い気遣いの感情。
自分の胸に染み込んできたそれは、ミナの後悔を塗りつぶし、ただ今まで我慢していた痛みからミナは泣いていた。
少女はミナを見ていた。
鏡のように透き通った青にミナが映っていた。
「リーベちゃん…」
少女だ、リーベがこの現象を起こしている、そうミナは理解した。
【魔法】
理屈ではない直感的にそう思った。
こんな、弱々しくて儚げで、きっと誰かに守られて然るべき少女にミナは慰められている。
「―――ッ!」
ミナは歯を食いしばった。
何を自分はしているのか、顔が真っ赤になる。
それこそ産まれてから一度も味わったことの無い羞恥。
自分は子供だ、女だ、弱い、嵐に立ち向かい勝利ができる存在じゃない。
映画に出てくるような強い女性のように立ち回る事はできない。
それでも、こんな時に後悔をしない為に頑張ってきたんじゃないのか。
調べた、考えた、練習もした、今できることをできるように。
それもせずに、ただミナは縮こまってしまった。
ふざけるな、そう自分にミナは文句を言った。
諦めずに、考えて、考えて、行動して、それでもダメならダメで良い。
そう決めていた筈だった、それなのに恐怖に押しつぶされ、ミナは再びあの夜に戻っていた。
日々の積み重ねで澱のように積もっていたそれをミナは心を奮い立たせ吹き飛ばす。
「リーベちゃん」
ミナは少女の名前を口にする。
少女はただその青い瞳でミナを見ていた。
「絶対にここから逃げ出そう」
できる可能性は低い、でもミナは決意を口にした。
心に大きな大きな炎が灯っていた。
(やれるだけやってやる、抗って、抗って、それでも望まぬ結末が迎えに来るなら、その首元に噛み付いてやる)
この混乱の時代に産まれた子供達には楽観的とも退廃的とも取れる図太さのようなものがある。
ミナもまたこの時代に産まれた根源的な図太さを持った子供だった。




