迷子《セカンドタイム》
夏休みになってもミナの努力は続いていた。
飽きることは無く、努力を続けた。
案外努力家だったのか、そんなことはないとミナは知っていた。
夜の影に潜む空想の悪意は決して消える事はなかった。
走らなければ、走り続けなければその悪意はミナに追いつき、その口を塞ぎ連れ去るだろう。
そんな妄想は自らの現実を客観視できるようになればなるほど大きくなっていく。
走り始めなければ良かったのか、だが走り始めなければミナの心は壊れていただろう。
もっと早く、遠くへ、高く高く、手が届かないように。
日常が積み重ねられる。
ミナには解っていた、何もなくとも自分の心は少しずつ壊れ続けていると。
「はぁ…」
ミナは夕暮れ時の街路を歩く、日は徐々に長くなり練習できる時間も増えている。
それでも思う、足りない、兎に角足りない。
空手以外の色々な事も考えている、例えば武器、思えばあの少年もいろいろな武器を用意していた。
そもそも素手でなんとかできるように、という考え方が甘いのだろう。
それでも、あの日捕まった時、用意してた備えは簡単に奪われてしまった。
そんなものを頼りにするのは心許無い――無論、当時と同じくらいか、それ以上に備えてはいる。
「……でも、やっぱり」
不安、いつ来るかわからない、漠然とした不安、今まで生きてきてあれが初めてだったというのに。
俯き歩いていた所でふと、顔を上げるとバス停が見えた。
そこに一つの影が見える。
不思議な少女が立っていた。
白い髪、そこには紫色のメッシュが混ざっている。
身体は華奢で簡単に折れてしまいそうだ。
服装は白を基調としたガーリーなもの、可愛らしい。
顔立ちは整いすぎていると言うほどに整っている。
無表情で、向かいの建物の影をじっと眺めている。
そして何より目を引くのは風に揺れる右袖―――腕がないのだ
いつの間にかミナの足は止まっていた。
(綺麗)
ミナが生きてきて今まで見たこともないような神秘的な少女だった。
その立ち姿の全てが美しかった――喪われた右腕すらなにかの彫刻作品のような印象がある。
夕暮れにポッカリと空いた穴のように、人の形をした無垢がそこにあった。
少女は何かに気付いたかのように身体の向きを変える、海を閉じ込めたかのような青の瞳がミナを見た。
「―――――ッ」
ミナはわけもわからず赤面してしまった。
見惚れていたのがバレてしまった、いや見ていたのが悪いわけではないはず。
ただ、そう、あまりにも自分と次元の違う美少女に見られた事に良く分からない恥ずかしさを感じていた。
ミナは誤魔化すようにパタパタと小走りで、バス停の少女の元に向かう。
「ね、ねえ、あなたもこのバス停使うの?」
ミナはテンパりながらとっさに少女に話しかけていた。
しかし少女はミナを見たまま無反応を維持する。
「あ、あの、私はミナっていうんだけど、うん、空手やっててその帰りなんだけど」
もうミナは自分で何を言ってるのかわかっていない、ただなぜかこの少女との沈黙の時間が耐えられないとしか思えなかった。
「あ、あの、うん、あの…えーっと…」
言葉が続かない、何か言わないと、何か言わないと、そう勝手に責め立てられたような気持ちになる。
騒がしい自分の声の中にシャボン玉が割れたような声がした。
「リーベ」
「えっ」
その声は目の前の少女のもので、勝手に少女が話すという事に驚きミナは変な声を出していた。
『リーベ』
「リーベ、リーベ…あれ、もしかして、あれ、あなたの名前?」
もしかして、名乗ったから名前を教えてくれたのだろうか、とミナは聞き返す。
少女は、それには答えない、ただ、無反応とは違い、すこしだけその声に身じろぎをした。
「あ、うん、そう、そうなんだ!リーベ、リーベちゃんね!うん可愛いね!」
何を言ってるのか、赤面した顔が更に赤くなっていく。
「あの、リーベちゃんはこのバスに乗ってどこに行くのかな?」
まるでナンパのようだと思いながらミナはそんな事を聞く。
リーベは首を傾げながら、今度は答えてくれた。
「コンビニ」
「こ、コンビニかー、うんうん、そうなんだ!」
なにがそうなんだろうか、それよりも目の前の神秘的な少女がコンビニなんていう俗なものを口にするなんて思いもしなかった。
「えっとね、えっとね」
ミナはそれからずっと、リーベと名乗る少女に殆ど一方的に話続けた。
リーベは無口過ぎるほどに無口な少女だったが、時折身じろぎをしたり、首を傾げたり、単語程度の受け答えをしてくれた。
(なんだろう、この子変だな、でもそれ以上に私が変になっちゃう)
わざわざバスに乗ってコンビニに行くとか言ってるのも変だし、なによりこんな子が一人でうろついてるのも変だった。
その容姿もあまりにも綺麗過ぎるし、まるでこの世界に突然現れたかのような気すらしてくる。
非現実の存在、あの夜に見たレッドキャップのように、今までミナが見ていた世界とは全く別の存在だった。
ただ、感じるものはレッドキャップとは全く別のベクトルだ、まるで虫の羽根のような薄さのガラス細工のような頼り無さ。
自然と助けてあげなきゃという気持ちにミナはなっていた。
(初対面なのに、なんだろうまるで魔法みたい…)
車が近づいてくる音がする、ミナはバスかと思ってそちらの方を見る。
車は黒いバンだった。
「なんだ、もう時間なのに遅いな…」
きっと関係ない車だろう、そう思ったがミナの脳裏に奇妙な違和感が過ぎった。
車は全面スモーク張り、その勢いは止まらず、だけどこのバス停に向かってきている。
とっさにミナはリーベの左手を掴んだ。
「り、リーベちゃん、ごめん!ちょっと走ろう!」
嫌な予感が杞憂であればいい、だけど、そうでなかったら。
リーベはミナの手に引かれるがままに付いてくる。
車は更に加速した。
(マズい、マズい、マズい、マズい!)
走る、兎に角走る、だがもう直ぐに車はミナ達を追い越し、停車する。
ドアが開き、何人かの男達が出てくる。
ミナは、反転するように男達に背を向ける。
だがそれと同時にバチリと背中で音がした。
(痛い)
痛みの既視感は電気、スタンガン、ミナは倒れ伏していた。
動かない身体に鞭を入れ首を動かす。
リーベが男の一人に羽交い締めにされていた。
そしてそれとは別にミナに手を伸ばす男と目が合った。
「んー、またお前かよ、せっかく助かったってのに運が無いねェホント」
ニタニタと笑う男にミナは見覚えがあった。
あの夜に、最後ミナを連れ去った男、車から投げ出され路上に転がっていた男。
「今度こそ逃さねえからよ、はは、覚悟しろよ」
再びミナの背中に何かが押し当てられ、バチリと音がした。




