集団幻覚《サバト》
「ようやく捕まえました」
シマハラが窓際のアユムとリーベにカツカツと歩み寄る。
胸骨の骨折は呼吸や発声に激痛を伴う筈だが、それをそうとは悟らせぬ技術をシマハラは身につけていた。
リーベは目を見開き、呼吸を荒く左手で胸を抑えている。
そしてアユムは、宙に浮いていた。
胴を腕ごと金属の輪で締め付けるようなシマハラの念力
足は地に付かず、腕は指先程度しか動かない。
「クソったれ…」
アユムはしくじった。
だがリーベを見捨てるという選択肢を選ぶ事はアユムの勝利条件からしてあり得ない。
先に逃がすべきだったかとも考えたが、その動きを気取られた場合、その時も同様の結末を迎えていただろう。
最初からこの手を使われていればこうなっていた。
しかし
「何で、殺さねえ」
アユムは疑問を口にした。
シマハラは微笑みをたたえて答える。
「最初に言った通りです。君を殺したくはない、と、ですが」
シマハラが左手を強く握る。
アユムの両腕の関節が音を立てて逆に折れた。
「があああああああああああああ!」
鉄パイプが手から滑り落ちる。
アユムは悲鳴を上げた、信じられない程の痛み、声が出る事を抑えきれない。
「まずは腕ですかね、あと、アユム君の【魔法】ですが、最初はジェット噴射のようなものを想像していたのですが…」
シマハラはアユムの目を覗き、左手を捻る。
バキリと音がして、義足が脱落し地面に落下する。
「左脚の着地点を空想し、そこへの空間跳躍を可能にする【魔法】、違いますか?」
正解だと、アユムは内心で毒づいた。
スタンガン等の武装は戦闘の最中喪失。
両腕は関節から折られ、打撃力を喪失。
義足は外され、機動力を喪失。
返す手は無い、正真正銘の詰み。
シマハラは唄うように言った。
「アユム君にも見ていただきたいのです」
「新世界を」
その言葉と同時に、臓腑が突き上げられるかのような感覚がアユムの足元から這い上がって来た。
ケンゴはアユムの突入を見届けた後、ひたすら削りに徹していた。
警官隊は引かずとも、徐々に前進を続ける信者達、状況の推移は近い内の戦線の崩壊を示していた。
突然、信者達の攻勢が止まった。
ケンゴは、最初、アユムがシマハラを倒した事で洗脳が解けたのかと考えた、だが。
(それなら逆だ、制御を外れ滅茶苦茶に暴れまわる筈、それに…)
前線を支える警官隊の銃声が止まっていた。
念力で吹き飛ばされたわけではない、そこに確かに前線は存在する。
ケンゴは最悪の予想にいち早く動いた。
「全班後退!集団幻覚が完成してる!巻き込まれるよお!」
ケンゴの指示が早かった。
最前線のA班を残し、残りの部隊は後方のバリケードへと走る。
そして、その指示に取り残されたA班の人員が口々に謳い出す。
「愛を」「神の愛を」 「愛を」「愛」「愛」「愛」「愛」「愛」「愛」
彼らが振り返り、銃をこちらに向ける。
シマハラの洗脳を受けるタイミングは無かった、何かやったとすれば、目の前の信者達。
「こいつは、やばいかもねえ」
ケンゴは冷や汗をかいた。
何の思想も持たないA班が狂ったように信者に味方する。
この集団幻覚はおそらく、人を介し伝播する精神汚染。
仮に警官隊が信者達を抑えきれなかった場合、この街の住民は全てシマハラの誇大妄想で洗脳される。
だとして、警官隊に精神汚染を止める手段はない、ここからは射程不明の【魔法】を相手に引きながら撃つ事に徹するしかない。
まるで出来の悪いゾンビ映画のようだと、ケンゴは悪態をついた。
「なるほどこうなりましたか、我ながら優しい【魔法】ですね」
シマハラが笑みを浮かべている。
眼下では、警官隊が後退をしながら、信者達に銃撃を繰り返している。
信者達が攻勢をかけている、その中には最前線にいた警官隊も混ざっている。
後退の最後尾の警官隊の足が止まり、振り返り仲間たちに銃撃を始める。
警官隊は一人、また一人と倒れ、立ち上がり、血を流しながらかつての仲間に向かって銃撃を始める。
地獄の光景だ。
「やめろ」
アユムは懇願した。
「頼む、殺さないでくれ」
アユムの目に涙が溜まっていく。
ケンゴが、自分のために身体を張ってくれていた警官たちが傷ついていく。
シマハラが満面の笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、殺す気はありません、彼らも私達の仲間になってもらうのですから」
「それだけではありません、この街の人達も、全て、いずれそうなります」
仲間
シマハラはそう言った。
街の住人を、アユムの家族をそうすると。
事態は最悪の結末を迎えようとしている。
アユムは涙を流しながら身体に力を込める。
折れた腕が激痛を返すが、宙に浮いた身体は揺れるだけで何も言うことを効かない。
駄々をこねる子供のように右脚を蹴り出すが、シマハラには届かない。
「ああああああああああああああ!!!」
アユムは叫んだ、赤子のように、狂ったように憎悪をシマハラに向ける。
抗えども意味はないと分かっていてもジタバタとそうする。
否定したい絶望がそこにあった、だが【魔法】はそれに応えない。
何故だ、何故、そう何度も思う。
「やはり、アユム君は優しいですね」
シマハラの左手がアユムの額に伸びる。
「神の国で、愛を語らいましょう、【仲間として】」
シマハラの【魔法】、それがアユムの意識を汚染していく。
嫌だ、嫌だ、とアユムは駄々をこねるように叫ぶ。
「パパ」
傍らからシャボン玉が弾けるような声が聞こえた。
今まで傍観していた少女の左手がシマハラの神父服の裾を掴んでいた。
その目は困惑するかのように二人の間を彷徨っていた。
その喪われた右腕が懇願するかのように持ち上がっていた。
シマハラとアユムの間で【魔法】が爆発した。




