魔法《ウィッシュ》
リーベには分からなかった。
ただ今まで言うことを聞いていただけだった。
【魔法】がなにかもリーベは知らない。
ただ、願っていただけだ、そうあるように、そうなって欲しいと。
そしてパパと呼ぶように言った男は、そうすれば皆、リーベを愛してくれると言った。
その通りにした、その通りになった。
求めれば、求められる。
願えば、叶う。
それがリーベの現実だった。
だが、目の前の少年――アユム――は、そうじゃなかった。
願わずとも、願う前から、少女を求めてくれていた。
困惑した。
そんなこと、産まれて初めてだったから。
リーベは【魔法】を知らない、だが、パパが使う不思議な【魔法】が何をするかは知っている。
リーベを求めてくれた少年を塗りつぶそうとしている。
それに対して産まれた感情がよくわからなかった。
それでもリーベは願った。
自分がたった一つ手に入れた、本物を、消さないで、と。
アユムの思考をリーベの【魔法】が塗り変える。
それはシマハラの【魔法】を遥かに超える、誇大妄想の力。
自らの胸の内から声が聞こえた。
アユムの心の中の壊れかけたトランシーバーが火花を上げ再起動する。
「忘れないで」
全身の痛みを忘れアユムは叫んだ。
「当然だ馬鹿!」
消されるものか、変えられてなるものか、そうアユムは願う。
シマハラが目を見開き、驚愕の色を映している。
「リーベ!」
その右の拳銃がリーベに向かう。
アユムの腰のトランシーバが電子音を上げる。
アユムはそれだけで察し、全力で左手を動かし、腰のトランシーバのダイヤルを全開にする。
足元の義足の仕掛け――ミツキ謹製――が爆発する。
放たれたのは赤い煙幕、カプサイシンを主成分とした催涙ガス
接近戦で組み付かれた時の為に、ミツキが搭載した不意打ちの為の一発――本来ゴーグルはこのための装備だった。
シマハラが、咄嗟に目を瞑り、拘束が緩み、アユムが落下する。
「悪あがきを!」
形振り構わぬシマハラの左手がアユムに向かう―――念力での圧殺だ。
アユムは右脚のみで器用に着地していた。
シマハラの念力の予備動作など意に返さず膝を曲げ力を溜める。
このトランシーバにこのタイミングで通信をする者など一人しか居ない。
入り口から一つの小柄な影が飛び込んでくる。
「アユム!」
アユムはその姿を確認する必要すらない、声だけで分かる。
「遅えぞミツキ!」
返答代わりに軽機関銃から放たれた弾丸がシマハラを襲う。
シマハラはアユムに向けていた左手をミツキに向け、その弾丸を念力で防がざる得ない。
「く、そ!」
シマハラは呻き、銃口をリーベからアユムに切り替えた。
シマハラにはアユムが何をするかは分かっていない。
だが鬼気迫るアユムの形相にここで仕留めなければという予感を持っていた。
スタンガン等の武装は戦闘の最中喪失。
両腕は関節から折られ、打撃力を喪失。
義足は外され、機動力を喪失。
アユムにシマハラを倒す手段は無いと考えていた。
そうではないと、アユムは気付いた。
シマハラの右手から破裂音がして銃弾がアユムの胸に放たれる。
アユムは強い衝撃を胸に受けながらも、溜めた右脚を伸ばし、折れた腕を肩を使い広げシマハラの腰に飛びつく。
スピアタックル
不格好ながらも、アユムはシマハラに組み付いた。
体格差がある。押し倒すまでは行かない。
だが、シマハラはその目的に気付いた。
「まさか」
短い、驚愕の声。
アユムの左脚に込められた【魔法】は本来、喪った左脚のまま、逃げる為の【魔法】だった。
義足はなく、着地はできずとも、地べたを這いつくばり、逃げ出す為の【魔法】。
「くたばれ」
アユムは呟きながらイメージした。
自分には左脚がある。
その足はどこにでも届く。
それが"空"であっても。
アユムはシマハラごと跳んだ。
ノーザンライツタワー最上階、展望式場の窓から、空に輝く月へ向けて。
月の浮かぶ空の中、シマハラは落下し迫る地面よりも、先程起こった事象について思い返していた。
殺意を込めて放った銃弾。
それは違わずアユムの心臓に撃ち込まれた。
だが、それは届かなかった。
少年の胸のペンダント、それがシマハラの銃弾を受け止めていた。
偶然だ、なんという不運だとシマハラは自らを呪った。
そうだ、偶然。
「は、はははは、はははははははははは!!!」
シマハラは嗤った、自らを、自らの神の愛を、たかだか銃弾一発を防いだ確率の問題を、神の愛と称した自分を。
偶然に意味を見出し手に入れた、真の誇大妄想、それは少年達に敗れたのではない。
自らの放った銃弾で、その幻想を粉々に打ち砕かれていた。
落ちる、落ちる、落ちる。
もはや抵抗する気すら起きない。
特別を謳った愚かな男は、ただ浮かぶ月の如き無慈悲に自らの身を委ね、地獄に落ちる事を選んだ。
その身を守ると信じた懐中時計と共に。
アユムは最早、全てを出し尽くしていた。
両腕を骨折、義足は失い、異常な疲労は【魔法】のイメージを阻害する。
ただ月を見上げながら、アユムは落ちていた。
(まあ、満足かな)
死ぬのは考えてなかったが、相手を考えれば出来すぎな位だ。
シマハラが死ねば、信者達も烏合の衆となり、復活した警官隊に殲滅されるであろう。
それとリーベも、ミツキがなんとかしてくれるだろうと思った。
リュウコも居る、園長も居る、子供達も、ケンゴだって、もしかしたらシンタロウも。
いままで居た摩天楼の最上階にあるものが見えた。
リーベだ、窓から顔を出し、懸命に手を伸ばしている。
今ある左手も、今はない右手も。
アユムは笑った。
(そんな顔もできるのかよ)
リーベは泣いていた。わんわんと、子供のように泣きじゃくっているように見える。
アユムは、すこしだけ残念に思った。
もっと近ければ綺麗な青い瞳が見えたというのに。
なんとなくアユムは右手を伸ばした。
(ああ、くそ、もっとあいつらといたかったな)
アユムは願った。
今ある現実から逃避し、楽園のように優しい幻想を。
急激な高度の変化に意識が遠のいていく。
誰かが、伸ばした右手を掴んだ気がした。




