相互利益《カーム》
ケンゴは煙草に火を付け、深く息を吸う。
3秒息を止め、空に吐き出した。
周囲は夜の摩天楼、空には月、煙がそれに雲のようにかかる。
厳かに輝くそれは確かに美しかったが、月光は自ら煌めく街には届かない。
まるで街自体の淀みがその美しさを拒絶しているかのようにケンゴには見えた。
「ケンゴさん、路上喫煙は禁止ですよ」
ケンゴは空を眺めていた首をカクリと傾け声の方を見た。
ボディーアーマー、ヘルメット、ライオットシールド、突撃銃、完全武装の警官――部下の姿だ。
「いーじゃないの、堅っ苦しいのは、もう誰もいなくなるんだしさ」
一方普段通りのスーツ姿でケンゴは部下に軽口を叩く。
今ノーザンライツタワーの周辺では一般市民の避難を行っている、無論そのビルの中に居る人達もだ。
目の前のビルの中にはあと少しで、悪魔崇拝者達しか居なくなる。
既に包囲は完成しており、悪魔崇拝者達も気付いている筈だ。
だが、ビルの一般市民を人質に取る動きは無い。
(面倒くせえな、悪魔崇拝者達はサバトを優先するつもりだ、適当に動いてくれりゃ分断して削れたものをよ)
ビルの内部には相当な人数のシマハラの信者達が集まっている事を確認している。
そして、警官隊は各天使の嘆きの製造施設を襲撃しているが、目立った反抗もない。
悪魔崇拝者達はノーザンライツタワーに集結した信者で警官隊に真っ向から戦争を仕掛ける気だ。
犯罪や事故自体は多くとも、警察機構がその装備や対応を強化した影響でこれほど強引な対抗心を見せる悪魔崇拝者達はそれ程多くない。
今、この場所には二つの思惑が渦巻いている。
警官隊は、市民を避難させる時間が欲しい。
悪魔崇拝者達は、サバトを実行し、集団幻覚による【魔法】を完成させる時間が欲しい。
相互の目的は合致しており、それ故にノーザンライツタワー周辺は奇妙な程に静けさを保っている。
激しい戦いになるだろう、警官隊側に死者も出るかもしれない。
「ヒヒッ」
ケンゴはひきつくような笑い声を出した。
光輪会のガキ共に乗せられ、安全策は取らず、ハイリスクハイリターンな策に出た。
同僚には同情を禁じ得ない、なにせ、こんなのガキの我儘だ最悪にも程があるだろう。
「仕方ないよなあ、青春なんだからさあ」
ケンゴは呟く、仕方ない、仕方ない、ガキが青春するなら、大人はどうするか、かつてガキだったケンゴはそれを光輪会で教えられていた。
「よーし、みんな、頑張っていこう、思いっきり無茶して街の平和を守ろうねえ」
部下達はその気の抜けた言葉に忍び笑いで返す。
大人はガキの為に無茶をするもの、異常者と思われようがケンゴはそれだけを信念にしていた。
「いやはや、布石が効いてくれたようで助かりました」
ノーザンライツタワー最上階の展望式場にて、一面ガラス張りの壁面から摩天楼を見下ろす神父が居た。
遠く足元には市民を避難させる完全武装の警官隊の姿、このビルの中の避難もまもなく終わるだろう。
傍らには無表情の右腕を失った白髪の少女、背後では信者達が思い思いの享楽に耽っている。
男の名をシマハラと言った。
「アユム君達はやはり諦めなかったようです。良かったですね我らが愛」
少女はアユムの名に身体を僅かに揺らす。
シマハラはアユム達を逃した。
それは警告やあの場でアユムと戦う事のリスクを測っただけではない、シマハラにとって天啓とも言える予感が彼にそうさせた。
アユムの【魔法】を見た時、シマハラにはレッドキャップという名の知られた悪魔崇拝者狩りの存在が脳裏に過ぎっていた。
二人組と見られるその狩人は足も掴ませず、巧妙に悪魔崇拝者達やその協力者達を狩っている。
アユムがそうであるようには見えなかったが、少なくとももう一人の行動には警察機構の影がチラついていた。
長い年月をシマハラはこの街で過ごしてきた。計画は巧妙に隠され進められて来たが警察も無能ではない、徐々にその真相に迫りつつある気配があった。
しかし、もし、アユムがリーベを諦めきれないのであれば、警察と協力しつつも虱潰しのような強硬策を止め、リーベを救い守る為の唯一の勝機である決戦に臨むように動くのではないか。
もはや予想とも言えないその予感は、自らを神に愛された存在と信ずるシマハラにとって、確信に近いものであった。
そして、それはこうやって現実のものとなっている。
「やはり私は、神に愛されている」
シマハラが笑みを深め、傍らの少女を見る、これもシマハラに与えられた天恵。
背後の信者達を見る、見るに堪えない欲望を曝け出し、喰い、飲み、交わり合う者達、彼らを従えるその現実もまた天恵。
シマハラは自らの誇大妄想を確信と共に肥大化させていく。
「場も温まってきました。我らが愛、始めるとしましょうか」
そう言って、シマハラは少女の背に手をかけ、信者達の方へと振り返った。
「さあ!皆様、悲願の時が来ました!盃をその手に!」
シマハラが興奮を隠せない様子で声を張り上げると、信者達は一様にその動きを止め、その手に盃を持つ。
今日は大盤振る舞いであり、誰もが既に一度、天使の嘆きを服用済みだ。
その目は血走り、顔には下卑た笑みが張り付き、涎すら垂らしている。
男も女も老いも若いもない、狂っていた、そして世界を壊し創造するという悲願の為にシマハラの言葉に従う。
「既にお気づきでしょうが警官達がここを包囲しています。他の施設も襲撃されていると聞いています」
退路はない、そう信者達に告げる。一部の信者が不安そうに身じろぎをするのを見て、染み入るような優しげな声をかける。
「ですが、ご安心を我々には神の愛がついています」
その言葉に信者達が興奮するかのように賛同の声を上げる、【魔法】による洗脳すら必要ない、これはシマハラの生まれ持った煽動の才能だ。
「さあ、盃を飲み干しましょう、古き悪しき世界に別れを告げ、神の愛をこの世界に取り戻しましょう!」
信者達がその声に合わせるように、盃を飲み干す。
ドラッグとアルコールの組み合わせ。
そして既に飲み干された天使の嘆きとの二重服用。
狂喜と狂気、絶叫、そして暴走、だれも彼もが正気を失い、意味もなく飛び跳ね、歌い、感涙に泣き叫んだ。
「さあ、我らが愛、始めましょう」
その声に少女は応えた。
少女は左手に持っていた天使の嘆き――数々の実験の末産まれた特殊調合のカプセル――を飲み干す。
「――ッ」
異常な発汗、開く瞳孔、嗚咽のような息切れ、吐き気すら感じる程の精神の高ぶり、そして。
肥大化した不安、不満、恐怖、渇望。
天使の嘆きにより拡張された現実への忌避感は少女の持つ【魔法】にも甚大な影響を及ぼす。
少女は表情を歪めた、耐えられない、泣きそうな顔で、失った右腕を振り上げる。
「―――――――ッ」
少女の右腕から【魔法】が爆発し、展望式場を包み込む。
信者達がその【魔法】によって失った正気の中に宿る、僅かな自我を喪失させていく。
シマハラは嗤った。もはや温厚な笑みではない、ただ内に秘める邪悪が吹き出すかのように嗤った。
「さあ皆さん――――」
「【祝祭を始めましょう】」




