白い覆面の少年《スプライト》
幼い頃のミツキの家庭はそれなりに裕福で普通の家庭だったミツキ自身は思っている。
少なくとも何か特定の思想もなく、そして衣食住に困った経験はなかった。
ミツキの両親がどのような立場だったのかそれはもう分からない。
ただ、まだ眼が見えた頃、向かいの家の母親が自分の母親に深く頭を下げていたのがミツキの印象に残っていた。
ある冬の日の夜、ミツキは暑苦しくて目を覚ました。
気付いた時に家の中は、炎の赤で染まり、煙が目にしみた。
自宅が火事に襲われていた。
動けなかったミツキを父が担ぎ上げ、急いで外に出た。
外には雪が降っていて、夜空の群青と降りしきる白を、我が家だったものが紅に染めていく光景を二人で呆然と眺めた。
ミツキの母は助からなかった。
原因は、火付けだった。
向かいの家の母親が犯人だった。
その頃にはもう世界は狂いきっていて、そんな犯罪は溢れかえっていて、世間はミツキ達に同情する素振りも見せなかった。
ミツキは父と共に駅から離れたボロアパートに引っ越した。
『ごめんな』
そう疲れた顔で謝る父の姿をミツキは覚えている。
それからミツキの父は仕事に打ち込んだ。
それは狂ったように。
ミツキは一人で居る時間が増え、家ではひたすら本を読んでいた。
今思えば、あの頃の父は母を失った絶望をそれで埋めようとしていたのだとミツキは思う。
そして、それを自分が気づき、父を支えることができればまた違ったかも知れないとも。
しばらくして、ミツキの父は家に奇妙な友達を連れてくるようになった。
職業にまとまりはなく、サラリーマンであったり、学校の先生だったり、主婦だったり、フリーターであったりした。
唯一、共通点を上げるとすれば皆見たこともない経典というものを持っていた。
一般的に知られるような宗教とはまた違った教義の、物々しい体裁のハードカバーの本だった。
そんな日々が続いたある日、ミツキはその友達の一人に家から連れ出された。
父が待っているからと言われて車に乗り、街の外れの埠頭に連れて行かれた。
確かに父が待っていた。
そこで、ミツキは父の友達に案内され埠頭にある倉庫へ連れて行かれた。
そこには、たくさんの子供が居た。
誰も彼もが泣き叫び、啜り泣き、中には動かない子供も居た。
ミツキは鎖に繋がれた。
『ごめんな』
あの日と同じ父の声をミツキは覚えている。
そこは悪魔崇拝者達のアジトで、ミツキは天使の嘆きの材料だった。
初日に、浮浪者のような男に両目を抉り取られた。
周囲で、大人たちが口々に言った。
『目を最初に奪うな』
『恐怖が減るぞ』
『ああ、勿体ない』
ミツキは暗闇の中でそんな言葉を聞き、同時に子供達の絶望と怨嗟の声を聞いた。
その目に光は永遠に届かず、波打つ音と人々の狂気の声だけを延々と聞き続けた。
そんな日々が何日も何日も続いた。
ミツキは狂った。
狂って狂って、思い込んだ。
そこにある光を幻覚を幸せな光景を逃避を僕は目が見えればなんでもできる。
いや目が見えるはずだ。
今ある現実をミツキは強く否定して、そう思い込んだ。
【魔法】はその誇大妄想に応えた。
ミツキには見えた、周囲の風景、音、人々の姿、それどころか自らを縛る鎖や錠の中身までも。
ミツキは大人たちが寝入る――彼らは既にそこに住み込んでいた――とすぐさまに自らの錠を拷問の為にミツキ自身に刺さっていた針で外した。
周囲の子供達の啜り泣く声がした。
ミツキはそれを無視して逃げ出した。
埠頭を抜け、道路を渡り、街に出て、警察へ向かった。
事情を説明し、ミツキは保護された。
その日も雪が降っていた。
警察は直ぐにその埠頭に向かった。
そこには確かに言われた通りの倉庫があって、それは紅い紅い炎を巻き上げていた。
ミツキが逃げた事に気付いた悪魔崇拝者達は事態が露見したと観念し、心中を図っていた。
その中にはミツキが見捨てた子供達もいて、大人たちの中にはミツキの父もいた。
ミツキは孤児になった。
「これが僕の【魔法】の理由、お互いにこんな話したことなかっただろ?」
ミツキは淡々とそんな事をアユムに話した。
アユムには分からなかった。何故ミツキが突然自らの傷を抉るような話をしたのかが。
「…それを俺に聞かせてどうして欲しいんだ」
アユムは酷く冷めた感情でそれに答える。
「よくあることだろ」
ミツキは答えた。
「そうだね」
光輪会の子供達は皆程度の差はあれ、悪魔崇拝者達の被害者だ。
アユムは知っている。
【魔法】に目覚めた者こそ少ないが、皆そんなものだと、その傷は深く、誰も話そうとしないだけだ。
「そうさ、よくあることなんだ、きっとアユムもこんなもんなんだろ?」
アユムは返答に困ったが、頷いた。
「だからなんだってんだよ、ミツキ」
ミツキは頷く、事実を確認しただけだとでも言いたげに。
「僕等は、そうなんだ、逃げようと思って逃げたんだ」
「僕等は逃げる社会を知っていたからそれが【魔法】になった」
「考えたんだ」
ミツキはそう言ってアユムに問うた。
「ねえ、アユム、あの子の【魔法】はなんでああなったと思う?」
アユムはその問に対し考えた。
少女はどうだったか。
少女は悪魔崇拝者の牧場で産まれ育った。
少女は何も知らなかった。
少女はあの日、アユムが施設に連れて帰るまで社会を知らなかった。
「……」
アユムは答えられなかった。考えたくなかった。
それをミツキは淡々と言った。
「あの子にとっての逃避の先は、目の前の相手に求められる事しかなかったんだ」
「あの子に僕等のように逃げる【魔法】は、悪魔崇拝者の牧場の中にしか無かった」
アユムは頭を殴られたかの衝撃を錯覚した。
「クソったれ…」
アユムは呟いた。
そして叫んだ。
「だったらどうだって言うんだよ!調子のいい事言ってんじゃねえぞミツキ!」
だからどうした、アユムは血を吐く思いでそれを言う。
「同情してどうなる!園長は目覚めねえ!リュウコ姐さんもやられた!ガキ共だって危ねえ!」
アユムは無理やり身体を動かし、ベッドの直ぐ側に座るミツキの胸ぐらを掴んだ。
「あの日あの場所に居なかったくせに!テメエに何が分かるってんだ!ふざけんなよ!」
アユムは見た、ミツキの空洞の目があるはずの場所を、包帯で隠されたそれを睨みつける。
「そうだね」
ミツキは静かに、答えた。
「僕はあの場所に居なかった、何もできなかった」
アユムは包帯の下の空洞に火が灯ったかのような気がした。
「僕は居れなかった!施設でリュウコさんが嬲られていた時も!アユムが戦っていた時も!園長が撃たれた時も!あの子が連れ拐われた時も!」
ミツキは叫ぶ、あまりにも苛烈な激情をミツキは隠そうもしない。
「病院での検診だ?ふざけんなよ!あの子が危険だって重々承知だったはずなのに仕方ないからだって!?」
「クソったれ!」
気づけばミツキはアユムの胸ぐらをつかみ返していた。
空洞の目がアユムを睨みつけアユムの心を串刺しにする。
「ふざけんなよ!僕の家族が傷つけられたんだぞ!ふざけんな!」
「僕にも戦わせろ!僕は負けてない!」
炎の如き闘志がミツキの中で燃え上がるのをアユムは見た。
だが、アユムは思った。ここで引き下がるわけには行かないと。
アユムは胸ぐらを強く引く、額がぶつかったが構わない。
「何が負けてないだ!現実見ろよミツキ!リュウコ姐さんは負けた!園長も負けた!俺もアイツをみすみす渡した!」
「負けてんだよ!完膚なきまでに!」
ミツキはそれでも叫び返した。
「負けてない!」
ミツキの目から炎が吹き出したかのような幻を見た。
「アユムは負けても、僕等はまだ負けてない!」
ミツキは言い切った。
二人ならまだ勝てる、そうアユムには伝わった。
アユムは掴んでいた手を放した、ミツキも同様に手を放す。
起こしていた身体がベッドに沈み込んだ。
「は、はは…」
アユムは知っていた筈だった。ミツキの内に秘める苛烈で高潔な感情を。
「キャラ違いすぎるだろ、ミツキ」
アユムは軽口を言った。
「そういうアユムこそ、諦めが良すぎるんじゃない?他人を気にする質じゃないだろ」
ミツキもそれに軽口を返す。
「リーベだ」
「うん?」
アユムはポツリと呟いた。
「あの子じゃねえ、アイツの名前はリーベって言うんだ」
「そっか」
ミツキは何かを噛みしめるかのような表情をして言った。
「覚えておく」
アユムは言う
「そこまで言うなら、考えはあるんだよな?」
ミツキは応えた
「当然、いつも通り僕を信じろよ、アユム」
くくく、と二人は笑っていた。
「リーベを取り戻すよ、アユム」
「ああ、リーベを取り戻そうぜ」
二人の少年が拳をコツンとぶつけあった。
きっとやることはいつもと同じ、偵察して、作戦を立てて、奇襲する。
そうなるだろう。




