3.生き残るための選択
ーーまだ、思い出してはならない。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。
「透?」
「……え?」
「大丈夫? 顔色悪いよ。」
美咲の声で我に返る。
目の前には、いつもの心配そうな顔があった。
「いや、ちょっと考え事。」
「考え事って顔じゃないんやけど。」
「そんなひどい?」
「うん。今にも倒れそうやで。」
美咲は俺の手元を覗き込んだ。
手帳には、さっきの文字がまだ残っている。
『記録対象:保科 透』
『分類:――――』
『閲覧権限:制限中』
俺はなぜか慌てて手帳を閉じた。
「何か書いてあった?」
「いや。魔獣の記録だけだよ。」
「ふーん……」
美咲は納得していない様子だったが、何かを察したのかそれ以上は聞いてこなかった。
今は、話すべきではない。
自分でも説明できないことを、どう伝えればいいのか分からなかった。
「それより、コアを確認しよう」
床に転がっていた赤黒い石を拾い上げる。
大きさは親指の先ほど。
表面には細い筋が走り、内部で赤い光が脈打っている。
不気味な見た目とは裏腹に、手に取っても熱さや冷たさはなにも感じない。
その瞬間、視界に文字が浮かんだ。
『魔獣コア』
『品質:低』
『用途:武具の強化』
『使用可能』
「うわっ!」
「どしたん?」
「これ、見てみ!触ったらなんか出た!」
「私にも見えるんかな?」
美咲もコアに触れる。
すると、彼女の視界にも同じ文字が表示されたらしい。
「ほんまにゲームみたいやな……」
「ゲームやったら、もうちょい難易度下げたってほしいけどな。」
「それは同感。」
美咲は軽護剣を見つめた。
先ほどの戦闘で、盾の表面には亀裂が残っている。
「これ、直るんかな。」
彼女がそう呟くと、護剣の横に新しい表示が現れた。
『武具名:軽護剣』
『耐久状態:軽微な損傷』
『修復可能』
『強化可能』
「おお……」
美咲の表情が少し明るくなる。
「直せるんや!」
「よかったな。」
「うん。おじいちゃんの時計が元になってるしさ。壊れたままなんは嫌やってん。」
美咲は軽護剣を両手で包むように持った。
その横顔を見て、俺はふと思った。
この武器は、ただの剣じゃない。
美咲が大切にしてきたものが、形を変えたものだ。
きっと、俺の手帳も同じなのだろう。
だとすれば、この世界の武具は一体何を基準に作られている?
人間の思い出か。
執着か。
それとも――。
「透?」
「ん?」
「また難しい顔してんで。」
「癖やねん。許したってや。」
「昔からそうやんな。考え込むと眉間にマリアナ海溝出来るん。」
「美咲は昔から人のこと突っ込みすぎ。」
「はいはい」
いつもの会話。
こんな状況なのに、少しだけ笑ってしまった。
◇
階段を下り、オフィスフロアへ戻る。
そこには、想像していた以上の光景が広がっていた。
机は倒れ、書類は床に散乱している。
窓ガラスは割れ、誰かが使っていたパソコンがメールの送信画面でエラーになっている。
「……誰もいない?」
美咲が小さく呟く。
さっきまで大勢いたはずの社員たちの姿がない。
「みんな避難したんかな。」
「そやったらええけど。」
俺はスマートフォンを取り出した。
画面は点灯する。
しかし、通信は圏外。
電話もインターネットも使えない。
代わりに、画面には見慣れない通知が表示されていた。
『世界共通システム:接続完了』
『生存者情報の取得を開始します』
『現在地周辺の生存反応:12』
「十二人……?」
「ゲーム的な思考で行くならこのフロアにおる人数なんかな?」
「分からん。建物全体かもしれへんで。」
そのとき、遠くから悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああっ!」
女性の声だった。
俺と美咲は顔を見合わせる。
「行こう!」
美咲が走り出す。
「待て、美咲!」
俺はその腕を掴んだ。
「何!?」
「さっき戦ったのを忘れたん!相手が何体おるかも分からへんねで!」
「でも、誰かが襲われてるかもしれへん!」
「だからって、無策で飛び込むのは危険だ!」
「じゃあ、見捨てるん!?」
言葉に詰まった。
美咲は俺の手を振りほどく。
「私は嫌やで。目の前に助けられるかもしれへん人がおるのに、何もしやんのは」
そう言って、彼女は走り出した。
……本当に、昔から変わらない。
俺は小さく息を吐き、手帳を握り直す。
「分かったよ。俺も行く。」
「ありがとう!」
「ただし、俺の指示はちゃんと聞いてや!」
「考えとく!」
「おい!ちょ待てよ!」
俺たちは悲鳴の聞こえた方向へ走った。
◇
廊下の奥。
そこには、三人の男女がいた。
一人は床に倒れ、もう一人は壁際で震えている。
そして、その二人の前に立っていたのは――。
黒い甲殻に覆われた、四足歩行の魔獣だった。
先ほどの灰色の魔獣とは違う。
座高は低く、背中には鋭い棘が並び、口元からは粘ついた液体が垂れている。
「助けてくれ!」
男性が叫んだ。
美咲が軽護剣を構える。
「透、どうする?」
俺は手帳を開いた。
ページに文字が浮かび上がる。
『記録対象:魔獣』
『分類:未確認生物』
『身体構造:四足型』
『危険度:推定・中』
『攻撃手段:突進、噛みつき』
『弱点:未解析』
その下に、もう一行。
『記録済み個体との差異を確認』
記録済み個体。
つまり、さっきの魔獣と比較しているのか。
その瞬間、黒い魔獣がこちらを向いた。
口元が大きく裂ける。
次の瞬間。
魔獣は、倒れている男性ではなく――。
俺たちに向かって突進してきた。
「美咲!!」
俺は彼女の腕を掴み、横へ飛び込んだ。
魔獣が通り過ぎる。
その勢いで、背後の壁が砕け散った。
粉塵が舞う。
そして、手帳のページが勝手にめくられた。
『記録対象:魔獣』
『追加情報を取得』
『攻撃行動:直線的な突進』
『予測可能時間:0.8秒』
たったの0.8秒。
それでも、今の俺たちには十分な情報だった。
「美咲! 次の突進避けたら、横から攻撃して!」
「分かった!」
魔獣が再び身を低くする。
俺は手帳を握りしめた。
次の攻撃が来る。
その瞬間、ページの一番下に小さな文字が浮かび上がった。
『記録対象:保科 透』
『未登録情報を検出』
『記録を継続しますか?』
選択肢が二つ。
『YES』
『NO』
……なんだ、これは。
俺が答えるより早く、魔獣が地面を蹴った。
美咲が横へ飛ぶ。
俺も反対側へ転がった。
そして、彼女の軽護剣が魔獣の側面を捉える。
その瞬間。
手帳のページが、ひとりでにYESへと書き換わった。
『記録を継続します』
俺の知らないところで。
俺の意思とは関係なく。
手帳は、俺自身の何かを記録し始めていた。
――その記録が完成したとき、何が起こるのか。
まだ、この時の俺には知る由もなかった。
最近のゲームってやったことないんですよね。
ゲームみたいって作中は言ってますけど…。




