4.記録されるもの
軽護剣の刃が、黒い魔獣の側面を切り裂いた。
しかし、浅い。
「硬っ……!」
美咲が顔をしかめる。
魔獣の身体を覆う黒い甲殻には、細かな傷がついただけだった。
先ほどの灰色の魔獣とは明らかに違う。
身体の大きさだけではない。
攻撃の重さも、動きの速さも、一段上だ。
「美咲、無理に正面から攻撃するな!」
「分かっとる!」
黒い魔獣が身体を反転させる。
背中の棘が壁にぶつかり、コンクリートを削った。
次の瞬間、長い尾のような器官が美咲を襲う。
「危ない!」
俺は叫んだ。
美咲はとっさに軽護剣を盾へ変形させる。
ガァンッ!!
「くっ……!」
衝撃で美咲の身体が後方へ吹き飛ばされた。
「美咲!」
「だ、大丈夫……!」
そう答えたものの、彼女は立ち上がるのに時間がかかっていた。
コアにより武器の修復は出来ていても失った体力や気力は回復していない。
さらに盾には、先ほどよりも大きな亀裂が入っている。
このままでは持たない。
俺は手帳を開いた。
『記録対象:魔獣』
『分類:未確認生物』
『危険度:中』
『攻撃手段:突進・噛みつき・尾撃』
『防御特性:外殻による高い耐久性』
『弱点:未解析』
『行動予測:継続中』
さらに、その下に文字が浮かび上がる。
『外殻の隙間を確認』
『右前脚付け根』
「……そこか!」
魔獣の身体を観察する。
黒い甲殻の隙間。
右前脚の付け根に、わずかに灰色の皮膚が見えていた。
「美咲! 右前脚の付け根や! そこを狙って!」
「分かった!」
しかし、簡単には近づけない。
魔獣は俺たちの動きを警戒するように、低い姿勢で唸っている。
そのときだった。
「お、おい! あんたたち!」
壁際で震えていた男性が声を上げた。
「俺も……俺も戦える!」
男性の手には、銀色の工具が握られていた。
いや、違う。
あれも武具だ。
「頼む! こいつを倒してくれ! こんなしょうもない死に方、死んでも死にきれん!!」
「武具を見せてください!」
俺が叫ぶと、男性は手を掲げた。
その手に握られていたものが光る。
「俺の大切なものだ! 仕事でずっと使ってた……!」
銀色の工具が、形を変えていく。
そして、一本の槍になった。
『武具名:穿槍』
『武具種:槍型』
『初期等級:C』
『成長適性:中』
『固有能力:貫通』
『大切なもの:父から譲り受けた金属加工用の工具』
槍の先端が鋭く尖り、淡い光を帯びる。
男性は震える手で槍を構えた。
「固有能力に貫通ってあるぞ!皮膚の硬そうな奴に効くんじゃないか!!」
その言葉に、俺は頷いた。
「分かりました!俺が合図します。タイミングを合わせてください!」
そしてへたりこんでいる女性にも声をかけた。
「あなたは動けますか!?今から戦闘が激しくなります!倒れている男性を抱えて離れてください!」
「わ、分かりました!」
無理を承知で声を掛けてみたが、状況を察したのか女性は今できる最前の行動をしている。
「俺が相手や!!!」
槍を持った男性は注意を引くため大きく叫んだ。
魔獣がこちらを向く。
俺は手帳を見た。
行動予測。
突進まで、約二秒。
「美咲、盾で受け止めてくれ!」
「また!? 今度こそ壊れんで!」
「一瞬でいい!」
「無茶言う!!分かった!」
美咲が前へ出る。
魔獣が地面を蹴った。
「今だ!」
軽護剣が盾へ変わる。
激突。
バキィッ!!
盾に亀裂が走り、表面の一部が砕け散った。
「美咲!!」
「まだ……大丈夫!」
魔獣の動きが止まる。
そのわずかな隙。
「今です!!」
男性が槍を突き出した。
「うおおおおっ!!」
穿槍の先端が光り、黒い甲殻を貫いた。
狙いは右前脚の付け根。
どうやら貫通が効いてるらしい。
魔獣の身体が大きく傾く。
「美咲!」
「任せて!」
美咲が剣を構え直す。
今度は、迷いがなかった。
軽護剣の刃が魔獣の首元を斬り裂く。
黒い魔獣は短く鳴き声を上げ、その場に崩れ落ちた。
やがて身体は黒い霧となり、消えていく。
床には、先ほどよりも大きな赤黒いコアが残された。
◇
「はぁ……はぁ……」
美咲が壁に寄りかかる。
「お疲れ」
「透もね……」
俺たちは互いの顔を見て、苦笑した。
男性もその場に座り込んでいた。
どうやらあとの2人もこの場から逃げれたらしい。
3人の息遣いだけが響く。
「ありがとう……本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ助かりました」
俺は男性に手を差し出した。
「俺は保科透です。こっちは白石美咲」
「俺は……田中です。田中修一」
田中さんは差し出された手を握り返した。
そのとき、彼の槍が淡く光った。
「おおっ!?」
視界に文字が表示される。
『魔獣討伐を確認』
『武具経験値を獲得』
『武具の成長条件を満たしました』
「経験値……?」
田中さんが驚いた声を上げる。
俺も自分の手帳を確認した。
だが、そこには経験値の表示がない。
代わりに、別の文字が浮かび上がっていた。
『記録進行度:2』
『新規記録を保存しました』
『対象:魔獣』
『記録者:保科 透』
そして、ページの端に小さな文字。
『記録者の情報を一部復元しました』
「復元……?」
思わず呟く。
直後、視界が揺れた。
頭の奥に、知らない光景が流れ込んでくる。
真っ白な空間。
無数の人影。
そして、誰かの声。
『記録者よ。お前は何を残す?』
次の瞬間、光景は消えた。
「透!」
美咲が俺の肩を掴んでいた。
「大丈夫!? 急に倒れそうになったよ!」
「……大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
「本当に?」
「ああ」
俺は手帳を閉じた。
今の光景は何だったのだろう。
俺は、あんな場所を知らない。
あんな声も知らない。
なのに、どこか懐かしい気がした。
◇
その後、俺たち3人は建物の出口へ向かった。
途中、いくつかの部屋を確認したが、社員の姿は見つからなかった。
ただ、廊下の壁には赤黒い血の跡が残っていた。
外へ出ると、街の様子は一変していた。
車は道路の真ん中で止まり、信号は消えている。
遠くのビルから煙が上がり、どこかで爆発音が響いた。
そして、空には見慣れない文字が浮かんでいた。
『第一段階:生存者選別』
『残り時間:71時間59分』
「……選別?」
田中さんが呟く。
「何のことや、これ」
俺たちの視界にも、同じ文字が表示されていた。
続いて、新たな通知が現れる。
『生存者は指定区域への移動を推奨します』
『区域外では、より高危険度の魔獣が出現します』
『生存者同士の協力を推奨します』
美咲が俺を見る。
「指定区域って……どこ?」
その答えは、すぐに表示された。
『最寄りの生存区域:大阪城公園』
大阪城公園。
ここからなら、決して遠くはない。
だが、今の街を見ていると、そこまで無事にたどり着ける保証はどこにもなかった。
「行くしかないか……」
俺は手帳を握り直した。
そのとき、ページの奥から微かな音がした。
紙をめくるような音。
開いてみると、そこには見覚えのない記録が一行だけ追加されていた。
『記録対象:田中修一』
『分類:人類』
『武具:穿槍』
そして、その下に。
『生存可能性:未確定』
俺は眉をひそめた。
生存可能性。
なぜ、そんなものまで記録される?
さらに、ページの最下部に小さな文字が浮かび上がる。
『記録対象の消失を確認した場合、記録は完了します』
その意味を理解する前に、遠くから地鳴りのような音が響いた。
大阪の街の向こう側。
巨大な何かが、ゆっくりと動いていた。
俺たちの生存区域まで、あと72時間。
そして、手帳は静かに次の記録を始めていた。
この物語にヒロインはいません。
美咲?いいえ、違います。




