2、ベガリア
訓練は翌日から始まった。
剣術の教官は、王都から派遣された壮年の騎士だった。
初日、キーラが名と出身を告げると、その男は片眉を上げた。
「ベガリアか」
その日から、キーラの木剣の握りは何度直しても直されつづけた。同じことをしても、シスレートの娘は褒められ、キーラは打たれた。
「これだからベガリアの者は駄目なのだ。四百年前、自分たちの王族を守れず魔王ごときに国を滅ぼされた連中の末裔だからな。血というのは争えんものだ」
(――違う)
言い返す言葉は、喉の奥で凍りついて出てこない。黙って頭を下げていた父の背中を、キーラは思い出す。
同年代のふたりも、すぐにそれを覚えた。
朝、防具の紐が切られている。井戸から運んだ水をひっくり返される。すれ違いざま、聞こえよがしに「ぶどうくさい」と言われる。
キーラは、なにも言わなかった。
言えば、両親の喜んだ顔が消えてしまう気がしたのだ。
(耐えなさい。選ばれれば、それでいいのだから)
ある日の昼、水差しを運んでいた小姓の少年が、訓練場の段差につまずいた。
盆が石畳に落ち、杯が高い音を立てて転がっていく。
「見て、水びたし」
「ほんとう。ベガリアの子と、どちらがのろまかしら」
ふたりの娘がくすくすと笑う。見物していた若い騎士たちまで、にやにやと口元を緩めていた。
キーラは木剣を置いて、少年のそばにしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……すみません……」
転がった杯をひとつずつ拾い、盆に戻して少年に返す。
「ベガリア! 誰が剣を置いていいと言った!」
教官の怒鳴り声が飛んできた。
「申し訳ありません」
キーラは木剣を拾い、列に戻った。
そのとき、視界の端で、城の二階の窓に白いものが揺れた気がした。
顔を上げたときには、もう、なにもなかった。
夜になると、キーラは中庭でひとり木剣を振った。手のひらの皮が破れて柄が赤くなっても振りつづけた。
そうしていれば、泣かずにすんだ。
◇
辺境伯が訓練場を視察に来たのは、ひと月ほど経ったころだった。
その日のソフィアは、淡い若草色の外出用のドレスを着ていた。石段の上に用意された椅子に腰かけると、裾がふわりと広がって、それだけで訓練場がすこし明るくなったように見えた。
ふたりの娘は、目に見えて張りきりはじめた。声を出し、大きく踏み込み、ちらちらと石段のほうを見る。
キーラは、ただ黙って木剣を構えた。
(頑張ってきた成果を見てもらわなければ……)
模擬試合が始まり、キーラの番が回ってきた。打ち合ってすぐに、キーラの木剣が、根元から折れた。
柄のすぐ上に、深い切れ込みが入っていた。
無防備になった肩に、トロワールの娘の一撃が入る。よろけたところに足を引っかけられ、キーラは前のめりに倒れた。昨夜の雨でぬかるんだ地面が、顔にべったりと張りつく。
笑い声が上がった。
娘たちが笑い、それを見た若い騎士たちも笑った。教官までが口の端を歪めて肩を揺らしている。
(ああ……)
泥のなかで、キーラは目を閉じた。
(やっぱり、こうなるんだ)
きっとあの姫さまも笑っている。みんなといっしょになって、指を差して笑っているに違いない。それが、この城のやり方なのだから。
顔を上げるのが、怖かった。
だから静かになったとき、キーラはなにが起きたのかわからなかった。
「いまのは、ずるいです」
小さな、けれどよく通る声だった。
顔を上げ、恐る恐る目を開けると、石段を下りてきたソフィアが泥のなかに立っていた。若草色の裾が、みるみる茶色く染みていく。
「木剣に、細工がしてありました。わたし、見ていました」
「ソ、ソフィアさま、それは」
教官が慌てて前に出る。ソフィアはその男を見上げた。真紅の瞳が、まっすぐに大人の顔を見据えている。
「見ていました」
もう一度、同じ言葉を繰り返した。
教官が口をつぐんだ。
ソフィアは泥に膝をつくと、キーラの顔にへばりついた泥を、絹の袖でぬぐった。汚れることを、まるで気にしていなかった。
「わ、わたひ……」
(また、噛んだ)
小さな辺境伯は、ぐっと唇を結んでから、言い直した。
「わたしは、弱い者をみんなで笑うような騎士はいりません」
訓練場が、静まり返った。
ソフィアはキーラの目を覗き込んで、言った。
「キーラ。わたしの近衛騎士になってください」
キーラは驚いて、ソフィアを見つめ返した。
(私の名前を覚えてくれてたんだ……)
とっさにそう思った。
そして、なぜ? とも思った。選ばれる理由が思い浮かばなかった。
その顔を読んだのだろうか。ソフィアはすこし恥ずかしそうに微笑んだ。
「貴女がいいです。貴女だけは、一度も、ほかの人を笑わなかったから」
キーラは、言葉が出なかった。




