表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パピニー  作者: 藤苺めぇ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/14

降りてくるもの

地下へ続く通路は、思っていたよりも長く、そして歪んでいた。階段の段差は均一ではなく、途中で材質が変わる。コンクリートだったはずの壁が、急に木材へと切り替わり、さらに奥では土がむき出しになっている場所もあった。人が意図して作った構造というよりも、積み重なったものがそのまま形になったような、不安定さがある。


少女は足を止めずに進んでいた。暗闇の中でも、不思議と足場に迷うことはない。どこを踏めば崩れないのか、どこに段差があるのかが、感覚でわかる。理由は考えない。ただ、今は止まることの方が怖かった。


「……まだ、いる」


小さく呟く。背後を振り返らなくても、わかる。あの“見られている感じ”が、完全には消えていない。上にあったものが、そのまま追ってきているわけではない。それでも、繋がっているような感覚が残っている。


少女は息を浅くする。呼吸の音が大きくなるのが嫌だった。


「……なんでだよ」


誰に向けるでもなく、言葉が落ちる。


「俺、なんもしてねぇのに」


足を速める。逃げている、という実感が遅れてついてくる。これまでの逃げるとは違う。ただ遠ざかるのではなく、何かから“選ばれている”ような感覚があった。見つかってしまった、という確信に近いものが、胸の奥に残っている。


それが怖い。


見られることは、ずっと怖かった。けれどそれは、曖昧なものだった。どこから来るのかも、どこまで届くのかもわからない。ただ耐えるしかないものだった。だが今のそれは違う。位置がある。距離がある。追ってくる。


逃げなければいけない理由が、はっきりと形を持ち始めていた。


少女は通路の途中で、ふと立ち止まる。壁に手をつく。冷たいはずのそれは、なぜか少しだけ温度を持っているように感じた。掌を押し当てると、じわりと何かが返ってくる。


「……なあ」


思わず声が漏れる。


「お前も、見てんのか」


もちろん返事はない。だが、完全な無反応でもない。触れている場所だけ、わずかに空気が歪むような感覚があった。


少女はすぐに手を離す。怖くなったわけではない。ただ、これ以上そこに意識を向けると、何かを思い出してしまいそうだった。


「……いい」


小さく首を振る。


「今はいい」


再び歩き出す。下へ、下へと降りていく。空から離れるように、光から隠れるように。だが同時に、別の不安がじわじわと広がっていた。この先に何があるのか、少女は知らない。ただ“行ける”という感覚だけで進んでいる。


その頃、地下施設では動きが加速していた。モニターの一部が切り替わり、新たなデータが表示される。先ほどまで一点に収束していた反応が、わずかに位置を変えている。


「……下降しているな」


「追跡可能か」


「可能です。軌道は不規則ですが、連続性は保たれている」


「やはり個体だ」


誰かが呟く。


「現象ではない」


「だから言っただろう」


別の男が息を吐く。


「反応があるなら、引き出せる」


画面の隅に、別のウィンドウが開く。そこには別の実験記録が映っていた。試作体の生成ログ。形状不安定、制御不能、破棄済み。いくつもの失敗が並んでいる。


「……あれを使う気か」


低い声が言う。


「まだ調整が終わっていない」


「終わるのを待っていたら、逃げられる」


「だからって、あれは」


言葉が途切れる。


「いいから出せ」


冷たい声が遮る。


「外に。反応を見たい」


数秒の沈黙のあと、操作音が響く。ロックが解除される音。遠くで何かが動き出す気配。


その頃、地上では異変が形を持ち始めていた。最初は小さな揺れだった。舗装された道路の一部がわずかに歪み、次の瞬間、内側から押し上げられるように隆起する。人々がざわめき、距離を取る。


「なんだあれ……」


誰かが呟く。


地面が裂ける。そこから現れたのは、異様な塊だった。丸いものが連なっている。ひとつひとつは水滴のように見えるが、それが無数に集まり、形を作っている。最初はただの塊だったそれが、ゆっくりと動き出す。


「……動いてる」


「生きてんのか?」


声が重なる。


塊は地面を擦るように進み、やがて一つの方向へと伸びる。形が変わる。丸が連なり、長くなる。まるで巨大な虫のような輪郭が浮かび上がる。


悲鳴が上がる。


誰かが走り出す。


だが、その動きに反応するように、塊の一部が弾ける。小さな粒が飛び散り、再び集まり、別の形を作る。制御されていない。だが、完全に無秩序でもない。何かを探しているような動きだった。


地下でその映像を見ていた男が、息を呑む。


「……反応している」


「対象に向かっているのか?」


「まだ断定はできないが……方向は一致している」


「いい。続けろ」


短く命じられる。


「データを取れ。壊れても構わない」


その頃、少女はさらに奥へと進んでいた。通路はやがて広がり、地下の空間へと繋がる。土の匂いが強くなる。湿った空気が肌に触れる。


そして、止まる。


足が、動かなくなる。


「……なんだよ」


前を見る。暗闇の中に、何かがある。形ははっきりしない。だが、そこに“ある”とわかる。


少女の心臓が強く鳴る。


「……来たのか」


逃げても、逃げても、結局は追いつかれるのか。そんな諦めにも似た感情が、一瞬だけ浮かぶ。


だが、違う。


それは“上から来たもの”ではない。


別の何かだ。


少女は一歩だけ後ずさる。そのとき、足元で何かが揺れた。小さな、水のような球体が、ひとつ、転がる。少女はそれを見下ろす。


「……これ」


どこから出てきたのか、わからない。


だが、見覚えがある気がした。


その球体は、ゆっくりと震える。呼吸するみたいに、膨らんで、縮んで。


少女はしゃがみ込む。手を伸ばすか、迷う。


「……触っていいのか」


誰に聞くでもなく、呟く。


指先が近づく。


触れた瞬間、球体は弾けることなく、形を変えた。広がるのではなく、集まるように。少女の指に沿って、まとわりつく。


「……あ」


声が漏れる。


冷たくない。


怖くもない。


むしろ、どこか落ち着く。


少女の呼吸が、わずかに緩む。


その感覚と同時に、胸の奥から何かが溢れそうになる。押さえていたものが、少しだけ緩む。


寂しさに似たもの。


ずっと、あったもの。


「……俺」


言葉が途切れる。


続きが出ない。


ただ、その場に座り込む。


指先にまとわりつくそれを、じっと見つめる。


外では、異形が街を壊し始めている。


上では、観測が続いている。


そして地下で、少女の中から、何かが生まれ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ