見えない数
地下施設の空気は、前日よりも明らかに重くなっていた。モニターの数は増え、映し出される情報も細分化されている。都市の俯瞰図、上空の機体配置、熱源分布、そして時系列で並べられた観測データ。それらはすべて、一点を中心に収束していた。
「依然として位置は変わらない」
淡々とした声が報告する。
「反応は継続中。強度は微増。変動パターンに規則性は確認できません」
「……規則性がない、か」
別の男が呟く。
「それ自体が規則だろうな」
「どういう意味だ」
「制御されていない、という意味だ」
短い沈黙が落ちる。
「自然発生的な現象にしては、持続時間が長すぎる」
「なら人工か?」
「人工でこの数値は出ない」
議論は堂々巡りに近い。それでも誰も席を立たない。答えが出ていないにもかかわらず、現象だけが確実にそこにあるからだ。
別のモニターに、別のデータが映し出される。過去数日の失踪者リスト。年齢、性別、居住地。共通点は薄い。ただ一つ、社会的に注目されにくい層に偏っているという点を除いては。
「……増えてるな」
誰かが低く言う。
「誤差の範囲だ」
すぐに返される。
「この程度、日常でも起きる」
「だがタイミングが重なりすぎている」
「関連づける根拠はない」
言葉は冷静だったが、その裏にある違和感を、全員が共有していることもまた明らかだった。
「仮に、だ」
年長の男が口を開く。
「この現象と失踪が無関係であると証明できるか?」
誰も答えない。
「できないなら、関連を疑うのが合理的だ」
「……それでも、証明にはならない」
「証明は後だ。今は対応だ」
画面が切り替わる。問題の建物、その周辺の詳細なスキャン結果。内部構造は不明瞭で、外殻の形状も歪んでいる。自然物とも人工物ともつかない混在した状態。
「遮蔽が強すぎる。通常のスキャンでは内部が読めない」
「だからこそ価値がある」
「だからこそ危険だ」
また、ぶつかる。
「接触班はどうなっている」
「待機中です。指示があればいつでも投入可能」
「……早すぎる」
苛立った声が上がる。
「まだ観測段階だぞ。段階を飛ばすな」
「時間がない」
静かな声が返す。
「反応は増幅している。このまま放置すれば、制御不能になる可能性がある」
「制御できる前提で話すな」
「だから確かめる」
言い切る。
「引きずり出す。中に何がいるのかを」
再び沈黙が落ちる。反対する理由はある。しかし、止める決定打はない。
「……最終確認だ」
年長の男が周囲を見渡す。
「接触を行う。異論は?」
誰も手を挙げない。
それが合図だった。
その頃、地上では異様な光景が広がっていた。空を旋回する複数の機体に、人々はようやく異常性を感じ始めている。スマートフォンを向ける者、指を差す者、ただ立ち尽くす者。ざわめきは徐々に膨らみ、不安へと変わりつつあった。
少女は、そのすべてを上から見ていた。だが、視線はすぐに逸れる。下を見続けることができない。あの中に、自分が入ることはできないと、はっきりとわかっているからだ。
少女は布の中で体を丸めている。さっきからずっと、同じ姿勢のまま動けずにいた。外の気配が消えない。むしろ、濃くなっている。
「……増えてる」
小さく呟く。
「さっきより」
見なくてもわかる。囲まれている。逃げ場を潰されている。そんな感覚が、じわじわと広がっている。
少女は指先で床をなぞる。無意識に、何かを確かめるように。
「……どこ行けばいい」
答えはない。
「ここ、だめか」
その言葉は、ゆっくりと落ちた。
少女は顔を上げる。布の隙間から、もう一度外を見る。機体は変わらず旋回している。ただ、その動きが少しだけ変わっていた。間隔が狭くなり、中心へと寄ってきている。
「……近い」
喉が乾く。
「やめろよ」
声は弱い。
「来んなって言ってんだろ」
返事はない。
少女は立ち上がる。ゆっくりと、しかし確実に。今までこの場所から動こうとしたことはほとんどない。それでも今は、ここに居続けることが危険だと理解していた。
「……逃げる」
自分に言い聞かせるように呟く。
「逃げなきゃ」
足が少し震える。それでも止まらない。
少女は振り返る。自分が過ごしてきた空間。歪な屋根、布、板切れ。ここは確かに安全だった。少なくとも、今までは。
「……ありがと」
誰に向けたのかわからない言葉が、ぽつりと落ちる。
少女はそのまま、奥へと進む。建物の内部へ。暗く、細く、入り組んだ通路の中へ。光はほとんど届かないが、足取りに迷いはない。なぜか、進むべき方向がわかる。
下へ。
もっと、下へ。
空から離れるように。
少女の姿は、やがて闇の中に消える。
その直後、上空の機体の一つが軌道を変えた。
「リード1より各機。反応に変化。座標、下降開始」
無線が走る。
「動いたのか?」
「いや……違う」
短い間。
「……逃げてる」
その言葉は、誰に向けられたものでもなかった。




