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パピニー  作者: 藤苺めぇ


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12/13

境界を越えるもの

施設の外郭は、遠目には無機質な箱にしか見えなかった。窓は少なく、表面は滑らかで、継ぎ目すら目立たない。だが近づくにつれ、その違和感は強くなる。光を吸収するような外壁、音を返さない構造、そして周囲の空気の流れが、わずかに内側へ引き込まれている。


少女はその前に立っていた。足を止める。呼吸が浅くなる。ここに来るまでの間、ずっと前だけを見ていたはずなのに、目の前にそれが現れた瞬間、体が拒否を始める。


「……ここか」


声は小さい。


返事はない。


それでも、確信だけがある。


「……いる」


胸の奥が強く反応する。引かれるような感覚。嫌なはずなのに、離れられない。怖さと、別の何かが同時に絡みつく。


「……あいつ、ここだ」


少女の足が一歩、前に出る。地面の感触が変わる。柔らかい土から、硬い素材へ。人工の領域に踏み込んだ証だった。


その瞬間、施設の一部が静かに動く。音はほとんどしない。ただ、空間がわずかに歪む。入口が開いているのかどうかすら、視覚では判別しづらい。


「……来るの、わかってんだろ」


少女は低く呟く。


「じゃあ、開けろよ」


答えはない。


だが、次の瞬間、空気が裂ける。


見えない壁が消える。


道が、現れる。


少女はそれを見て、一瞬だけ躊躇する。ここに入れば、もう後戻りはできない。それはわかっている。逃げ場はない。隠れる場所もない。


それでも――


「……行くって言った」


小さく言う。


「もう、止まんねぇ」


足を踏み入れる。


施設の内部は、外よりもさらに静かだった。白い壁、均一な照明、影の少ない空間。どこまでも続く通路が、同じ形で連なっている。方向感覚が狂う。どこを見ても同じで、どこにいるのかが曖昧になる。


少女はその中を進む。


迷わない。


わかるからだ。


どこにいるか。


どこに行けばいいか。


「……そこだろ」


小さく呟く。


胸の奥の引きが、強くなる。近づいている証だった。


そのとき、前方の通路に人影が現れる。複数。装備に覆われた無機質な輪郭。動きは速く、無駄がない。


「対象侵入確認」


無線が響く。


「迎撃に移行」


少女の足が止まる。


呼吸が乱れる。


怖い。


やっぱり、怖い。


「……来るな」


声が震える。


一歩、下がる。


逃げたい。


戻りたい。


その衝動が、強く出る。


だが――


胸の奥で、別の感覚が動く。


ベビーパピニー。


あの小さな手。


「……離すなって言っただろ」


ぽつりと落ちる。


「守るって、言っただろ」


その言葉と同時に、少女の周囲に粒が現れる。これまでとは違う。量だけではない。密度が、重さが、明らかに変わっている。


空気が歪む。


通路の壁がわずかに軋む。


「……どけ」


少女は言う。


「邪魔すんな」


人影の一人が装置を構える。光が収束する。粒を消すための光。


「発射」


光が放たれる。


粒に触れる。


だが――


消えない。


削れる。


だが、残る。


「……出力不足?」


無線に動揺が混じる。


少女は一歩、踏み出す。


怖いまま。


それでも進む。


「……効かねぇよ」


低く言う。


「もう、効かねぇ」


粒が前へと押し出される。塊ではない。流れでもない。圧のように、空間ごと押し潰す。


人影が後退する。


足が止まる。


その一瞬の隙。


少女は走る。


通路を抜ける。


まっすぐに。


止まらない。


止まれない。


「……そこだ!」


声が荒くなる。


前方に、扉がある。重く、厚い。だが、それが“違う”とわかる。そこにある。


少女は手を伸ばす。


触れる。


その瞬間、粒が一斉に反応する。扉の表面に沿って広がり、侵食するように形を変える。


音はない。


ただ、構造が崩れる。


扉が、開く。


その先に、光がある。


透明な容器。


その中に――


「……いた」


声が止まる。


ベビーパピニー。


そこにいる。


動いている。


生きている。


少女の視界が揺れる。


足が止まる。


「……よかった」


かすれた声が落ちる。


その瞬間、背後で音がする。


複数の足音。


無線の声。


「対象、コアへ到達」


「排除優先」


空気が変わる。


少女は振り返らない。


目の前だけを見る。


「……待ってろ」


小さく言う。


「今、出す」


手を伸ばす。


その動きは、震えていない。


怖さは消えていない。


それでも、止まらない。


少女は、境界を越えた。


戻らない場所へと。

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