名前をつけるもの
地下から地上へと続く通路は、これまでのどの道よりも直線的だった。歪みが少なく、壁面は比較的均一で、人工的に整えられた痕跡が強い。途中から素材も変わり、土や木ではなく、冷たいコンクリートと金属が続く。人の手が入った領域へと、確実に近づいていることがわかった。
少女はその中を進んでいた。足取りは速くない。だが止まることもない。腕は空のまま、それでも何かを抱えていた感覚だけが残っている。指先が時折、無意識に何かを探すように動く。
「……いる」
小さく呟く。
「上に」
気配がある。
人の気配。
あの時の、あいつらの。
胸の奥がざわつく。
怖い。
それでも足は止まらない。
「……待ってろ」
かすれた声で言う。
「今、行く」
通路の先に、光が広がる。地下とは違う、はっきりとした白い光。人工の照明ではなく、外から差し込む自然光。それが、出口を示していた。
少女はその手前で一度だけ立ち止まる。光の向こうを直視できない。目が慣れていないという理由だけではない。そこに出れば、もう戻れないとわかっているからだ。
「……怖ぇな」
ぽつりと漏れる。
誰に言うでもなく。
ただ、本音だった。
「……でも」
息を吸う。
胸が痛い。
それでも、吐く。
「……関係ねぇ」
その言葉とともに、一歩踏み出す。
光の中へ。
地上の空気は、地下とはまったく違っていた。乾いていて、広くて、音が多い。遠くで何かが燃えるような匂いと、焦げた金属の匂いが混ざっている。空は広く、しかしどこか歪んで見えた。
少女はゆっくりと顔を上げる。
そこには、壊れた街があった。
建物の一部は崩れ、道路は裂け、煙が上がっている。人の姿はほとんど見えない。逃げたのか、隠れているのか、それとも――考えるのをやめる。
「……なんだよ、これ」
小さく呟く。
自分がいた場所とは違う。
でも、無関係ではないと、直感でわかる。
そのとき、上空から音が降ってくる。重たい回転音。風を切る音。
少女が見上げる。
複数の飛行機が、低空で旋回している。
その一つから、声が落ちてくる。
「対象、地上に出現」
無線だった。
「視認確認。単体」
少女の体が強張る。
見られている。
今度は、はっきりと。
「……いたな」
少女は低く呟く。
「お前ら」
怒りが混ざる。
恐怖は消えない。
でも、それだけじゃない。
「返せよ」
空に向かって言う。
「返せって言ってんだろ」
その声は、震えていた。
だが、確かに届いていた。
上空の機体が動く。高度を下げる。少女を中心に、円を描くように配置される。
同時に、地上の奥から複数の人影が現れる。黒い装備に身を包み、武器のようなものを構えている。顔は見えない。だが、あのときと同じだとすぐにわかる。
「対象確認。捕捉優先」
冷たい声が響く。
少女の呼吸が荒くなる。
「……またかよ」
足が一歩下がる。
怖い。
体が拒否する。
それでも――
「……違う」
自分に言い聞かせる。
「今回は、違う」
逃げるためじゃない。
取り返すためだ。
少女は一歩、前に出る。
その動きに反応するように、粒が現れる。地面の裂け目から、空気の中から、水の球がいくつも生まれる。以前よりも密度が高く、形も安定している。
「……来いよ」
少女は低く言う。
「今度は逃げねぇ」
人影の一人が、装置を構える。光が収束する。あの時と同じ、粒を消す光。
「発射準備」
声が淡々と流れる。
少女はそれを見て、理解する。
消される。
また。
「……ふざけんな」
歯を食いしばる。
「もう、取らせねぇ」
その瞬間、粒が一斉に広がる。少女の前に、層を作る。厚く、重なるように。
光が放たれる。
ぶつかる。
粒が削れる。
だが、消えきらない。
「……残る」
少女の目が揺れる。
「……いける」
確信ではない。
でも、可能性がある。
そのとき、上空の機体から別の声が降りてくる。
「……確認した」
静かな声だった。
「これが、核だ」
わずかな間。
そして――
「この兵器に名称を与える」
少女はその言葉を聞く。
意味はわからない。
だが、嫌な予感だけがはっきりとある。
「名称――パピニー」
空気が凍る。
少女の思考が止まる。
「……は?」
声が漏れる。
「……なんで」
自分の名前。
それが、別のものに使われる。
理解が追いつかない。
「対象は“パピニー”として扱う」
無線が続く。
「回収、あるいは排除」
少女の中で、何かがはっきりと繋がる。
自分が――
狙われている。
ただの人間としてじゃない。
“何か”として。
「……ふざけんなよ」
声が低くなる。
「勝手に決めんな」
怒りが、はっきりと形を持つ。
怖さの奥に、燃えるように広がる。
「俺は――」
言葉が詰まる。
自分が何か、わからない。
それでも、これだけはわかる。
「俺は、あいつじゃねぇ」
叫ぶ。
「ベビー返せ!」
その声と同時に、粒が一斉に前へと押し出される。
戦いが、始まる。




