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浮気調査から始まる商業帝国築き上げた件について  作者: 白鼠


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翌朝、私は葵に一通の報せを送った。挨拶もなく、前置きもなく、ただ時刻と場所だけを記して。


「午後三時、花房で」


彼女の返事は早かった。「分かった」


ただ四文字。なぜとは問わず、断りもせず。彼女は私の手を待っている。


---


私が到着した時、彼女は既に花房のいつもの場所に座っていた。椿が幾輪か咲き、薄桃色の花びらが硝子の天井の下で静かに見える。彼女は今日は質素な装いだった。濃い藍色の手編みの上衣、髪は無造作に結い上げ、化粧はしていない。彼女には珍しいことだった。


彼女は立ち上がらず、ただ顎を上げただけだった。「座れ」


私は腰を下ろした。二人の間には石の机が一枚。机の上には茶もなく、煙草もなく、何もなかった。


「伯母上」私は口を開いた。「松本美月」


この名前。小石を静かな水に投げ入れたようだった。


彼女の指が膝の上で微かに強張った。小さな動きだったが、私は見逃さなかった。


「どうしてその名を知っているの?」


「それは重要ではない」私は言った。「重要なのは、私が彼女が誰であるかを知っていること、そして彼女とあなたとの関係を知っていることだ」


葵は私をじっと見つめ、唇を一文字に結んだ。


「一体、何が言いたいの?」


「私が言いたいのはこういうことだ」私は背もたれに寄りかかった。「三年前、佐々木資本の文化旅行事業の資金の入れ物から八千万の金があった。それが一つの貿易会社を経て、幾つかの小口に分かれ、国内の複数の口座に入った。そのうちの一つの口座の名義人は、中村という姓だった」


彼女の顔が一瞬、青ざめた。


「もう一つの口座は」私は続けた。「名義人が松本。松本美月。おじい様の遠縁のいとこ」


花房の中は、花びらが落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返った。しかし私は鋭く気づいた——葵がほっと息をついたように見えた。違う。ここに誤った情報がある。いや、決定的な間違いかもしれない。この部分は改めて深く調べ直さねばならない。


「あなた、佐々木の家の帳簿を調べているのね」葵の声は低く、喉から絞り出すかのようだった。「自分が何をしているか分かっているの?」


「分かっている」私は言った。「自分の身を守っているのだ」


彼女は顔を上げた。その目には恐れと怒り、そして私が見たことのないものがあった——睡魔から水を浴びせられて覚醒したかのような。


「これらを調べたところで、私を手玉に取れると思っているの?」彼女の声は震え始めた。「おじい様があなたが彼を調べていると知ったら——」


「彼は知らない。彼はもうほとんど会社のことに口を出していない」私は遮った。「あなたが知らせない限りは」


彼女の口が開いたまま、閉じなかった。


「伯母上」私は声の調子を整え、まるで既にまとまった商談を話し合うかのように。「先日、あなたに申し上げた。私たちは同じ杭に繋がれた蟷螂だと。あの時は例え話だと思われたでしょう。今は違うとお分かりのはずだ」


彼女は目を閉じ、背もたれに寄りかかった。指を膝の上で握り締めては緩め、握り締めては緩めた。


「何が欲しいの?」ようやく彼女が口を開いた。声は嗄れていた。


「三つのものだ」


彼女は目を開けた。


「一つ。あなたが佐々木の家で行う一切の動作を、事前に私に知らせること。相談ではない。報告だ」


彼女は歯を食いしばり、うなずいた。


「二つ。あなたが持つ7%の株で、いざという時に私の側に立つこと」


彼女の瞼が痙攣した。


「三つ」私は彼女を見た。「松本美月の件の全てを教えてもらう。あの八千万はおじい様が黙認されたのか、それともあなた自身が動かしたのか」


沈黙。


長く、長い沈黙。


花房の外では庭師が水を撒いている。水の管のじゃあじゃあという音が硝子越しに聞こえ、別の世界の雑音のようにぼやけていた。


「おじい様よ」ようやく彼女が言った。声は胸の奥から引きずり出されたようだった。「あの金は……彼が私に回すように命じたの。松本美月の口座は、彼のものよ」


私は彼女の続きを待った。


「あの金は、彼女にやっているの」葵はうつむき、指を絡めた。「おじい様の若い頃の話よ。松本美月は……彼のいとこなんかじゃない。彼の女よ。あれからずっと、彼はあちらを養ってきた。使っているのは佐々木資本の金でね」


彼女は顔を上げた。目の縁は赤かった。


「私がなぜ去れないと思う? なぜ佐々木の家に嫁いで三十年、三十年も辛い思いをしてきて、それでもこの家に居座っていると思う?」彼女の声は震え始めた。「このことを知っているからよ。おじい様の金がどこへ行ったのかを知っている。彼も私が知っていることを知っている。だから私たちは誰も動けない——彼は私を動かせない。私はあの金を動かせない。これが、この家における私の立場なの」


彼女は笑った。その笑顔は泣き顔よりも辛かった。


「あなたは今、それを知った。それでもあなたは、この家の婿になりたいと思う?」


私は彼女を見つめ、何も言わなかった。


「これが何を意味するか分かっているの?」彼女は続け、声は次第に大きくなった。「おじい様がなぜ佐藤にあんなに丁寧なのか分かる? 彼の人柄が良いからじゃない——彼の祖父が昔、おじい様のこの件の処理を手伝ったからよ! あの老いぼれは、おじい様の命綱を握ったまま死んで、その借りを孫に残したの!」


この言葉を聞いて、私の頭の中の全ての破片が突然、一つに組み合わさった。


佐藤の祖父。佐々木のおじい様の借り。松本美月の八千万。


佐藤一郎は佐々木結衣を取り戻しに来たのではない。彼は一枚の駒だった。上一代から埋められていた駒だ。


「つまり」私は言った。「佐藤が結衣を訪ねてきたのは、彼が諦めきれなかったからではないのだな」


葵は首を振った。


「彼が諦めきれないのは本当よ。だが彼がこうして生きてここに立っていられるのは、彼の祖父が遺言を残したから——『この借りを握って佐々木の家に行き、生きる道を開けてもらえ』と」彼女は嘲り笑った。「ただあの小僧は馬鹿で、借りを使おうとせず、どうしても感情の話をしたがったのよ」


私は背もたれに寄りかかり、全ての情報を頭の中で繰り返し整理した。


佐々木結衣。佐藤一郎。佐々木のおじい様。佐々木葵。八千万。三十年の古い網。


そして私は、その網の中に自分自身をも織り込んでいた。


「伯母上」私は言った。「先ほどあなたは私に尋ねた。それでもこの家の婿になりたいか、と」


彼女は私を見た。


「なりたい」私は言った。「だが今は、ただの婿ではない」


彼女の目の色が変わった。


「どういう意味?」


「意味はこうだ」私は立ち上がった。「あなたの7%の株に、結衣の18%を合わせれば、25%になる。おじい様は信託と一票拒否権を持っているが、それは株ではない。それは決まりだ。決まりは変えられる——もし決まりを定めた者自身が、先に決まりを破ったと証明できれば」


葵は目を見開いた。


「あなたは正気じゃない」


「いや」私は言った。「私はただ計算しているだけだ。あなたはこの家で三十年辛い思いをしてきた。それはあなたが外から来た人だからではない。あなたの手におじい様と対抗できる切り札がなかったからだ。今、あなたにはそれができた」


「あなたは私を手先に使おうとしているのね」


「私はあなたに武器を渡している」私は彼女を見下ろした。「使うかどうかは、あなた自身が決めなさい」


彼女は長いこと私を見つめた。長く、長く。


そして彼女は笑った。その笑顔は葵のいつもの抜け目のなさとは違っていた。ひどく疲れた、もう芝居を続けなくてもいいというような笑顔だった。


「あなたは確かにおじい様がおっしゃるよりも危険だ」彼女は立ち上がり、衣襟を整えた。「だが、あなたは一つ忘れている」


「何だ?」


「結衣よ」彼女は言った。「あなたのしているこの全てを、もし結衣が知ったら——」


「彼女は知らない」私は言った。「あなたが知らせない限りは」


彼女は一瞬呆け、それからうなずいた。


「三日以内に」私は言った。「松本美月の件を、書き物にして私に渡せ。細かすぎる必要はない。だが説明がつくものに。これは私たちの切り札であって、武器ではない」


「それから?」


「それから」私は振り返って入口へ向かった。「この切り札が、いつ必要になるかを見ていればいい」


---


花房を出る時、携帯が震えた。鈴木からの報せだった。


「松本美月の件、調べがつきました。彼女はおじい様のいとこではありません。二人の関係は二十年以上にわたります。八千万は分割して彼女に送金され、沖縄での不動産購入と生活費に充てられています。おじい様は毎年、絡繰り会社を通じて彼女に約二百万の『相談役報酬』を支払っています。全ての経路は既に固まっており、証拠の収集は難しくありません」


私は画面を閉じた。


これ以上調べる必要はない。情報量は十分だ。


私に必要なのは証拠の連鎖ではない。核による抑止だ。そして今や、私と葵の手には、その起爆の緒を引く資格が備わった。


---


夜、結衣から報せが届いた。


「明日、おじい様のところでお食事。きちんとした服装で来てね。彼、最近よくあなたと碁を打ちたいって言っているから」


私は「分かった」と返した。


そして計算機を開き、差し込み記録盤の中の全ての書類を、鈴木から届いた資料と共に、全て暗号化し、三か所に保存した。一つは計算機の中、一つは家、一つは銀行の金庫の中に。


これらを終えて、私は計算機を切った。窓の前に立つ。


川の向こう、佐々木の家の建物はあのまま高い。だが私には分かっている。あの建物の土台の下には、暗い川が流れているのだ。


そして今、私の手には、その暗い川の地図がある。

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