剣士と案内人
「私も、その道へ連れて行って」
赤い髪の女剣士――セラ・ヴァレンティアは、まっすぐ俺を見つめてそう言った。
ついさっきまで黒い魔獣と戦っていたとは思えないほど、その声は落ち着いていた。
けれど、青い瞳には強い意志が宿っている。
「……えっと」
俺は返事に迷った。
セラは命の恩人だ。
彼女が駆けつけてくれなければ、俺もニナも無事では済まなかっただろう。
それに、あの魔獣を倒せたのは、俺とセラが協力できたからだ。
正直、一緒に来てくれるなら心強い。
だけど。
「どうして、あの道へ行きたいんですか?」
俺が尋ねると、セラの表情がわずかに変わった。
「……理由が必要?」
「はい」
「さっき助けたのに?」
「それは、本当に感謝しています。でも……」
俺はニナを見た。
少女はまだ俺の服の裾を握っている。
「この子を、無事に家へ帰したいんです」
セラは黙って俺の話を聞いていた。
「道の先に何があるか分かりません。さっきみたいな魔獣が、また出るかもしれない。だから、目的が違う人と一緒に進んで、途中で危険なことになったら困るんです」
言い終えてから、少し後悔した。
せっかく助けてくれた相手に、ずいぶん失礼なことを言ってしまった気がする。
「……ごめんなさい」
俺は慌てて頭を下げた。
「そんな言い方をするつもりじゃ……」
「謝らなくていいわ」
セラが言った。
「むしろ、安心した」
「……え?」
「あなた、あの子を守るために考えてるのね」
彼女はニナに視線を向けた。
「私がどれだけ強くても、知らない相手を簡単には信用しない。それは正しい判断だと思う」
そして、少しだけ笑った。
「さっきの戦いを見て、あなたは危なっかしい人だと思ったけど」
「……はい」
「ちゃんと考えるところは考えるのね」
……それ、褒められてるんだろうか。
「じゃあ、私も正直に話すわ」
セラは近くの倒木に腰を下ろした。
剣を鞘に収め、腰の小さな袋から銀色の護符を取り出す。
丸い銀板に、一本の細い道のような模様が刻まれていた。
ずいぶん使い込まれているらしく、縁は擦り減っている。
「これね、弟のものなの」
「弟さん?」
「ユリウスっていうの。私より六つ年下の、ちょっと泣き虫な子」
セラは護符を親指でなぞった。
「でも、誰かが困っていると、必ず助けようとする子だった」
その声は優しかった。
さっき魔獣を斬った人と同じとは思えないほどに。
「六年前、弟と一緒に旅をしていたとき、道が消える事故に巻き込まれたの」
俺は息を呑んだ。
「……道が消えた?」
「ええ。昨日までそこにあった橋も、街道も、突然見えなくなった」
セラの指が、護符を握りしめた。
「私たちは逃げた。でも、霧が濃くて……前も後ろも分からなくなって」
彼女はそこで言葉を切った。
風が木々を揺らす。
少し長い沈黙があった。
「気がついたとき、弟がいなくなっていた」
「……」
「何度も探した。冒険者ギルドにも頼んだし、王国の調査員にも話を聞いた。でも、誰も見つけられなかった」
セラは小さく笑った。
けれど、その笑顔は悲しそうだった。
「たぶん、死んでるんだろうって言われたわ」
その言葉に、俺は胸が痛くなった。
十年前。
母さんが帰ってこなくなったとき、俺も似たようなことを言われた。
『もう諦めたほうがいい』
『生きている可能性は低い』
みんな、俺を心配してくれていたのだと思う。
でも。
諦めることと、納得することは違う。
俺は今でも、母さんを探したいと思っている。
「……それで、消えた道を調べてるんですね」
俺が尋ねると、セラはうなずいた。
「そう。もし弟が道の向こうへ行ったのなら、私もそこへ行きたい」
そして、俺の目を見た。
「あなたは、誰にも見えない道が見えるんでしょう?」
「……はい」
「だったら、私が六年間探しても見つけられなかった場所に、たどり着けるかもしれない」
その声は、真剣だった。
「お願い。力を貸してほしいの」
俺は返事ができなかった。
この人も、誰かの帰りを待っているんだ。
いや。
ただ待っているだけじゃない。
自分の足で探しに行こうとしている。
俺と同じように。
◇
「……ルカお兄ちゃん」
ニナが、そっと俺の袖を引いた。
「ん?」
「セラお姉ちゃんも、一緒じゃだめ?」
「ニナ?」
少女はセラを見つめた。
「だって、セラお姉ちゃんも、会いたい人がいるんでしょ?」
セラが目を見開く。
ニナは、少し恥ずかしそうに続けた。
「私も、お父さんとお母さんに会いたいもん。だから、気持ち分かるよ」
「……ニナ」
「それに、セラお姉ちゃん、すごく強いし!」
ニナは両手を大きく広げた。
「さっき、しゅばーって魔物を倒したもん!」
「しゅばーって?」
セラが思わず笑う。
「そんな感じだった?」
「うん! すっごく格好よかった!」
「……そ、そう?」
意外にも、セラは少し照れたようだった。
その姿を見て、俺も笑ってしまった。
だけど。
ニナが望んだからといって、すべて任せていいわけじゃない。
俺はセラへ向き直った。
「……セラさん」
「セラでいいわよ。そんなにかしこまらなくても」
「じゃあ、セラ」
「うん」
「一緒に来てもらえるなら、本当に助かります。でも、条件があります」
「条件?」
「ニナの安全を最優先にしてほしいんです」
セラは黙って聞いていた。
「もし弟さんの手がかりが見つかっても、この子を危険にさらすようなことはしないでほしい」
言いながら、少し怖くなった。
相手は、あの魔獣を倒した腕利きの剣士だ。
俺なんかより、ずっと頼りになる。
それなのに、偉そうに条件を出している。
けれど、ここだけは譲れなかった。
「……分かったわ」
セラは静かに答えた。
「ニナを危険にさらすようなことはしない」
そして、少しだけ目を細めた。
「でも、私からも一つ条件がある」
「……何ですか?」
「あなたも、自分の命を大切にすること」
思わず、きょとんとした。
「……俺?」
「そう。あなたよ」
セラは俺の額を指で軽く小突いた。
「さっき、魔獣が襲ってきたとき、あなた、ニナを守るために一人で死ぬつもりだったでしょ?」
「……え?」
「分かるわよ。あんな顔してたら」
俺は何も言えなかった。
確かに。
あのときは、ニナさえ助かればいいと思っていた。
自分がどうなっても構わないと。
「それ、やめて」
セラの声が、少し強くなった。
「守りたい人がいるのは分かる。でも、自分が死んでもいいなんて考え方は、好きじゃない」
「……でも」
「でも、じゃない」
セラはまっすぐ俺を見た。
「あなたがいなくなったら、この子はどうするの?」
その言葉に、俺はニナを見た。
少女は不安そうに、俺の手を握っていた。
「……ルカお兄ちゃん、いなくなるの?」
「……っ」
胸が痛んだ。
俺は、また同じ間違いをしようとしていた。
誰かを助けるためなら、自分のことなんてどうでもいい。
そう思っていた。
でも。
助けられる側の人にとって、それは本当に嬉しいことなんだろうか。
「……ごめん、ニナ」
俺はしゃがんで、少女の目を見た。
「勝手にいなくなったりしないよ」
「……ほんと?」
「うん。ちゃんと、一緒に帰ろう」
ニナは、ようやく笑った。
「約束だよ!」
「約束」
セラが、満足そうにうなずいた。
「よし。じゃあ、交渉成立ね」
彼女は手を差し出してきた。
俺は、その手を握った。
「よろしく、セラ」
「こちらこそ、ルカ」
こうして俺たちは、正式に一緒に行動することになった。
◇
問題は、目の前にある崩れた橋だった。
「……で、どうやって渡るの?」
セラが腕を組んだ。
俺たちの前には、古い石橋の残骸がある。
橋の両端は残っているものの、中央部分が大きく崩れていた。
谷底は深い霧に隠れ、どれほどの高さがあるのか分からない。
「……飛び越えるとか?」
俺が呟くと、セラが即座に首を振った。
「無理。私一人なら可能性はあるけど、ニナを抱えては危険すぎる」
「……ですよね」
「それに、向こう側の足場がちゃんと残ってるかも分からないし」
俺はうなずいた。
そのとおりだ。
橋の向こうには、青白い道の輪郭が見えている。
けれど、途中が途切れている。
あそこへ飛び移ったとしても、安全に着地できる保証はない。
なら、別の道を探すしかない。
俺は地図を広げた。
ロイさんからもらった百年前の地図。
橋の周辺を確認する。
「……あれ?」
少し気になるものがあった。
橋の南側。
小さな点線が、谷の斜面に沿って描かれている。
「……これは?」
俺は地図を近づけた。
点線の先には、小さな記号。
古い街道の補助道を示す印だった。
「どうしたの?」
セラが覗き込む。
「昔、この橋を使わずに谷を渡る道があったみたいなんです」
「……本当?」
「はい。でも、今の地図には載ってない」
俺は周囲を見回した。
崩れた石橋。
苔むした岩壁。
霧に覆われた谷。
そして。
……見えた。
谷の右側。
草木に隠れた岩壁の途中に、かすかな石畳が続いている。
「あった……!」
俺は思わず声を上げた。
セラが顔を上げる。
「何が?」
「別の道です!」
俺は岩壁を指さした。
「あそこ! 古い道が残ってる!」
セラは目を細めた。
「……何も見えないけど」
「俺には見えるんです」
セラは少しだけ笑った。
「そうだったわね」
そして、剣の柄に手を置いた。
「じゃあ、案内して」
その言葉に、俺は胸が温かくなった。
昨日までの仲間たちは、俺の見える道を信じてくれていた。
けれど、最後には戦えないという理由でパーティーを外された。
俺はずっと、自分の力が足りないのだと思っていた。
でも。
この人は、俺の力を必要としてくれている。
戦う力ではなく、道を見つける力を。
「……任せてください」
俺は、少しだけ胸を張って答えた。
◇
補助道の入り口は、橋の右側にあった。
岩壁に沿って細く続く、古い石段だ。
普通の人には、崩れた岩と草木にしか見えないだろう。
けれど、俺が近づくと、石畳の輪郭がはっきりしてきた。
「……ここです」
俺は足を踏み出した。
靴底に、硬い石の感触が返ってくる。
「セラ、俺の近くに来てください」
「分かった」
セラが一歩近づく。
すると。
「……あっ」
彼女が小さく声を上げた。
「見えた」
「本当ですか?」
「ええ。さっきと同じ。あなたの近くに来ると、急に道が見えるのね」
俺はうなずいた。
「ただ、離れすぎると見えなくなることがあります」
「……なるほど」
セラは足元の石畳を見つめた。
「面白い力ね」
「……面白い、ですか?」
「ええ。すごく」
あまりにも当然のように言われて、俺は少し戸惑った。
「……変だとは思わないんですか?」
「変?」
「普通の人には見えない道が見えるなんて、気味が悪いとか……」
セラは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……それって、褒め言葉じゃないの?」
「……え?」
「誰にも見えない道が見えるんでしょ?」
彼女は笑った。
「普通じゃないから、すごいんじゃない」
俺は何も言えなくなった。
そんなふうに考えたことはなかった。
俺の力は、戦いでは役に立たない。
だから、普通の冒険者には必要とされない。
そう思っていた。
けれど。
もしかしたら。
この力には、俺が知らない価値があるのかもしれない。
「……ありがとうございます」
俺が小さく答えると、セラは首をかしげた。
「何でお礼を言うの?」
「……何となくです」
「変なの」
そう言って、彼女は笑った。
俺も、つられて笑ってしまった。
「ルカお兄ちゃん!」
ニナが俺の袖を引く。
「私も見えるよ!」
「うん。ニナは、最初から見えてたね」
「うん!」
少女は嬉しそうに笑った。
「だって、私のおうちに続く道だもん!」
その言葉に、セラが少しだけ表情を緩めた。
「……そうね」
彼女はニナの頭に手を置いた。
「じゃあ、ちゃんと帰らないとね」
「うん!」
俺たちは、ゆっくりと石段を下り始めた。
◇
道は、想像以上に狭かった。
片側は岩壁。
もう片側は深い谷。
足元の石畳はところどころ欠け、苔で滑りやすくなっている。
「……これは、なかなか怖いわね」
セラが呟いた。
「さっき魔獣と戦ってた人の台詞とは思えませんね」
「魔獣なら斬れるけど、崖は斬れないでしょ?」
「……確かに」
妙に納得してしまった。
ニナが小さく笑う。
「セラお姉ちゃんも、怖いの?」
「そりゃ怖いわよ」
「すごく強いのに?」
「強くても怖いものは怖いの」
セラは笑った。
「怖くない人が勇敢なんじゃないわ。怖くても、ちゃんと考えて動ける人が勇敢なのよ」
俺は、その言葉を心の中で繰り返した。
怖くても、ちゃんと考えて動ける人。
……俺も、そうなれるだろうか。
しばらく進むと、道が急に細くなった。
幅は、せいぜい大人一人分。
しかも、途中の石畳が大きく欠けている。
「……ここ、危ないですね」
俺は足を止めた。
セラが覗き込む。
「うわ……本当に崩れてる」
「俺が先に行って、安全を確かめます」
そう言って、一歩踏み出そうとした。
その瞬間。
「待って」
セラが俺の肩をつかんだ。
「……え?」
「何をするつもり?」
「先に行って、足場を確認しようかと……」
「その足場が崩れたら?」
「……えっと」
「あなた、落ちるわよね?」
俺は答えに詰まった。
セラは、呆れたようにため息をついた。
「さっき約束したばかりでしょ」
「……はい」
「自分の命も大切にするって」
「……そうでした」
セラは少しだけ目を細めた。
「あなた、誰かを助けるとき、自分の危険を数に入れてないでしょ?」
その言葉が、胸に刺さった。
確かに。
俺はいつも、誰かの役に立つことばかり考えていた。
危険な場所に行くのも。
無理をするのも。
それで誰かが助かるなら、仕方ないと思っていた。
けれど。
それは、本当に正しいことなんだろうか。
「……ごめんなさい」
俺が答えると、セラは首を振った。
「謝らなくていいから、別の方法を考えましょ」
「……はい」
俺は周囲を見回した。
石畳。
岩壁。
古い石柱。
そして、少し先にある、太い木の根。
「……そうだ」
俺は鞄からロープを取り出した。
「これを使いましょう」
俺は岩壁に突き出た丈夫な石の輪にロープを通した。
昔、道を通る人が手すりを固定していたものらしい。
軽く引っ張る。
まだしっかりしている。
「まず、俺が道の位置を確認します。セラはロープを支えてください」
「うん」
「ニナは、俺たちが安全を確認するまで動かないでね」
「分かった!」
俺は石畳を慎重に見つめた。
欠けた部分のすぐ下。
そこには、細い石の出っ張りが残っていた。
足を置けるかもしれない。
ただし、ニナ一人では危険だ。
「……セラ」
「何?」
「ここを越えるとき、ニナを支えてもらえますか?」
「もちろん」
セラが即答した。
「あなたは道を見て。私は二人を支える」
その言葉に、俺はうなずいた。
「……お願いします」
そして俺たちは、互いの役割を分けて進んだ。
俺が足場を示し、セラが安全を確かめる。
ニナは、俺たちの指示に従ってゆっくり進む。
一歩。
また一歩。
そして。
「……渡れた!」
ニナが嬉しそうに声を上げた。
俺たちは、無事に崩れた場所を越えていた。
「やったね、ニナ!」
「うん!」
ニナは笑った。
セラも、ほっと息を吐く。
「……よし。これで一つ突破ね」
俺は、二人を見た。
不思議な気持ちだった。
今まで俺は、仲間の足を引っ張らないことばかり考えていた。
けれど今は。
俺が道を見つけ、セラが守り、ニナが頑張って歩いている。
誰か一人だけでは、ここまで来られなかった。
「……こういうの、いいですね」
思わず呟いた。
「ん?」
セラが首をかしげる。
「何でもないです」
俺は笑った。
「もう少し、進みましょう」
◇
それから、しばらく歩いた頃だった。
森の空気が、急に冷たくなった。
「……?」
俺は足を止めた。
何かがおかしい。
さっきまで見えていた石畳が、妙に薄くなっている。
青白い光も、弱まっていた。
「……セラ」
「どうしたの?」
「ちょっと、止まってください」
俺は足元を見つめた。
石畳の輪郭が、揺れている。
まるで水面に映った景色のように。
「……何、これ」
セラも異変に気づいたらしい。
「道が……薄くなってない?」
「……はい」
俺は胸元の方位磁針を取り出した。
針は、ゆっくりと回っていた。
今度は、さっきの魔獣に反応したときとは違う。
何かを探しているように、左右へ揺れている。
「……まずいな」
俺は小さく呟いた。
この道は、普通の道じゃない。
百年前に消えた道。
誰も歩けなくなった、失われた街道だ。
もし、道そのものが不安定になっているのなら。
「……ルカお兄ちゃん?」
ニナが不安そうに俺を見た。
「どうしたの?」
「……大丈夫」
そう答えかけて、俺は口を閉じた。
いや。
大丈夫だと、簡単に言ってはいけない。
セラにも、ニナにも。
今の状況をちゃんと伝えるべきだ。
「……道が、少し不安定になってる」
俺は正直に答えた。
「このまま進むのは危ないかもしれない」
ニナの顔が曇った。
「……帰れないの?」
「まだ、そう決まったわけじゃないよ」
俺は周囲を見回した。
来た道も薄くなっている。
戻ることも、簡単ではなさそうだ。
セラが剣の柄に手を置いた。
「……何かできることは?」
「……少し、考えさせてください」
俺は目を閉じた。
道を見る。
ただ、目の前の石畳を見るんじゃない。
その先に続く道。
昔、誰かが歩いた道。
今は忘れられてしまった道。
俺には、それが見える。
そう信じて、もう一度目を開いた。
すると。
「……あ」
霧の奥に、一本の細い光が見えた。
青白い石畳の先。
まだ道が続いている。
ただし、その輪郭は途切れ途切れだった。
まるで、何かが道を消そうとしているように。
「……セラ」
「うん?」
「この先に、まだ道があります」
「……本当?」
「はい。でも、かなり不安定です」
俺は二人を見た。
「だから、ゆっくり進みましょう。危なくなったら、すぐ止まる」
セラがうなずいた。
「分かった。私が後ろを守る」
ニナも、小さく手を上げた。
「私も、頑張る!」
俺は笑った。
「うん。ありがとう」
そして、三人で霧の奥へ進み始めた。
一歩。
二歩。
三歩。
石畳が、足元で淡く光る。
その光は、まるで俺たちを導いているようだった。
けれど。
五歩目を踏み出した瞬間。
――カチリ。
方位磁針が、突然止まった。
「……え?」
俺は足を止めた。
針が、まっすぐ前を指している。
そして。
どこからか、音が聞こえた。
ごおん。
ごおん。
低く、澄んだ鐘の音。
俺は息を呑んだ。
「……今の」
セラが顔を上げる。
「……鐘?」
ニナが、突然声を上げた。
「あっ!」
少女の瞳が、大きく見開かれる。
「……あの音!」
ニナが、霧の奥を指さした。
「あの鐘の音、知ってる!」
「……ニナ?」
「村の鐘だよ!」
少女の声が震えていた。
今にも泣き出しそうだった。
けれど、その顔には笑顔が浮かんでいた。
「エルダ村の鐘!」
俺は、霧の奥を見つめた。
青白い石畳。
揺れる光。
そして、遠くから響く鐘の音。
百年前に消えた村。
誰もたどり着けなかった場所。
その村が、本当にこの先にあるのかもしれない。
「……もう少しだ」
俺は、小さく呟いた。
ニナの手を握り直す。
セラが、俺たちの隣に並んだ。
三人で、霧の向こうを見つめる。
そこには、まだ何も見えない。
けれど。
鐘の音だけは、確かに聞こえていた。
そして俺たちは、再び歩き始めた。
百年前に消えた村へ向かって。




