案内人の戦い方
役立たずの道案内人に、魔物は倒せない。
だけど。
――魔物から逃げる道なら、見つけられる。
「ニナ! 絶対に手を離さないで!」
「う、うんっ!」
俺たちは霧の中を走っていた。
足元には、青白く光る石畳。
百年前に消えたエルダ村へ続く、誰にも見えない道だ。
背後から、獣の咆哮が響く。
グオオオオッ!
振り返らなくても分かった。
あの黒い魔獣が追ってきている。
「くそっ……!」
俺はニナの手を握り直した。
十歳の女の子が、大人ほど速く走れるはずもない。
しかも、ニナは片方の靴をなくしている。
さっき足に布を巻いたけれど、これ以上走らせるのは危険だ。
どうする。
どうすれば、この子を守れる。
胸元では、母さんの方位磁針が激しく震えていた。
カチリ、カチリ。
針が狂ったように回り続けている。
俺には、あの魔獣が方位磁針を狙っているように見えた。
だったら、これを投げ捨てればいいのかもしれない。
……でも。
方位磁針に指をかけた瞬間、胸が締めつけられた。
母さんが残してくれた、たった一つのもの。
十年間、どこへ行くにも持ち歩いてきたもの。
そんなものを、簡単に手放せるだろうか。
「……っ!」
背後の石畳を、重い足音が打った。
近い。
考えている暇はない。
俺は鞄から短いロープを取り出し、片端を自分の腰に、もう片端をニナの腰に結んだ。
「ニナ。手を離しても、このロープがある。でも、できるだけ俺の近くにいてね」
「……うん!」
「あと、足元が見えなくなったら、すぐ止まること」
少女は強くうなずいた。
青白い石畳は、今のところ二人の足元に続いている。
けれど、この道がどこまで安全なのかは分からない。
俺は呼吸を整え、前を見た。
見える。
霧の奥に、道が見える。
それだけじゃない。
右手には、崩れかけた石段。
左手には、苔に覆われた旧街道。
そして正面には、かつて橋が架かっていたらしい、細い谷。
普通の人間なら、目の前の一本道しか見えないだろう。
でも俺には、古い道の跡がいくつも見えていた。
……なら。
この地形を利用できるかもしれない。
◇
最初に選んだのは、右手の石段だった。
幅は狭く、途中で大きく曲がっている。
けれど、石段の先には、倒れた大木が横たわっていた。
俺はそこを目指した。
「ニナ、こっち!」
「うん!」
石段を駆け上がる。
背後の魔獣が、鋭く吠えた。
次の瞬間。
ドンッ!
黒い影が、俺たちの横を飛び越えた。
「うわっ!」
魔獣の前足が石段を砕く。
破片が顔に当たり、頬に熱い痛みが走った。
俺はニナを抱き寄せ、ぎりぎりで攻撃をかわした。
……速すぎる!
普通の狼とは比べものにならない。
それに、霧の中でもこちらの位置を正確につかんでいる。
逃げ切れるのか?
魔獣が振り返る。
赤い瞳が、俺の胸元を見つめていた。
やっぱり、方位磁針だ。
俺は唇を噛んだ。
このままじゃ、ニナまで巻き込んでしまう。
「……ニナ」
「な、なあに?」
「ちょっとだけ、俺から離れられる?」
そう言った瞬間、少女の顔が青ざめた。
「……いや」
「でも、あいつは俺を――」
「いやっ!」
ニナが俺の服をつかんだ。
「ひとりにしないで……!」
その声を聞いて、俺は言葉を失った。
そうだ。
何を言ってるんだ、俺は。
この子は、家族と離れ離れになっている。
知らない街を一人で歩き、誰にも村の存在を信じてもらえなかった。
そんな子に、今度は俺が離れろと言うのか。
守るためだから、仕方ない?
でも、それはニナにとっても正しいことなのか?
「……ごめん」
俺はしゃがんだ。
「怖かったよね」
ニナが泣きそうな顔でうなずく。
「うん……」
「もう勝手に置いていこうとしない。一緒に逃げる方法を考えよう」
そう言うと、ニナはぎゅっと俺の手を握った。
「……約束だよ?」
「約束」
そして俺は立ち上がった。
魔獣が、ゆっくりと近づいてくる。
俺は短剣を握り直した。
剣で勝てない。
魔法でも勝てない。
でも。
俺には、道が見える。
だったら、その力で戦うしかない。
◇
「ニナ、俺の足元を見て!」
俺は左手の旧街道へ飛び移った。
石段から一段低い場所にある、細い道だ。
ニナも、俺の後を追う。
背後から魔獣が飛びかかってきた。
けれど。
ズザッ!
魔獣の前足が、旧街道の端にある崩れた石を踏み抜いた。
黒い巨体が傾く。
「今だ!」
俺はニナを引いて、倒木の下をくぐり抜けた。
魔獣は勢いのまま倒木に衝突する。
ドガンッ!
凄まじい音が響いた。
木が揺れ、枯れ葉が舞う。
「やった……!」
ニナが小さく叫んだ。
けれど、俺は首を横に振った。
「まだ!」
倒木の向こうで、黒い影が動いた。
魔獣は倒れていなかった。
むしろ、さっきより怒っているようだった。
赤い瞳が、こちらを睨みつける。
……やっぱり、地形だけじゃ倒せない。
でも、動きを止めることはできる。
だったら、もっと大きな障害物を使えばいい。
俺は地図を思い出した。
ロイさんからもらった、百年前のエルダ村周辺図。
あの地図には、この先に古い橋が描かれていたはずだ。
ただし。
現在の道は、橋の手前で途切れているように見えた。
霧の向こうに、続きがあるのか。
それとも、本当に崩れているのか。
分からない。
「……行ってみるしかないか」
俺は小さく呟いた。
そして、ニナの手を握った。
「もう少しだけ、走れる?」
ニナは息を切らしながらうなずいた。
「……うん!」
「ありがとう。あと少し、頑張ろう」
俺たちは再び走り始めた。
◇
どれくらい走っただろう。
霧が少しずつ薄くなってきた。
その向こうに、古びた石橋が見えた。
「……あった!」
俺は思わず声を上げた。
百年前の地図に描かれていた橋だ。
橋の向こうには、さらに石畳が続いている。
これなら。
そう思った瞬間。
足が止まった。
「……え?」
橋が、ない。
正確には、橋の中央部分が崩れていた。
両端だけが残り、真ん中には深い谷が口を開けている。
谷底は霧に隠れて見えない。
崩れた橋の先には、かすかに青白い道の輪郭が見える。
けれど、その輪郭は途中で途切れていた。
俺にも、足場が見えない。
「……そんな」
思わず呟いた。
この先へ進めない。
逃げ道が、なくなった。
背後から、低い唸り声が聞こえた。
振り返る。
黒い魔獣が、ゆっくりと近づいてきていた。
さっきの倒木にぶつかったせいか、額の一部が割れている。
けれど、その傷からは血ではなく、黒い霧のようなものが漏れていた。
……何なんだ、こいつ。
「ルカお兄ちゃん……」
ニナが俺の服を握った。
「……どうしよう」
俺は答えられなかった。
前には崩れた橋。
後ろには魔獣。
左右は切り立った崖だ。
逃げ道がない。
こんなとき、バルドならどうしただろう。
大盾で魔獣を止めてくれたかもしれない。
トッドなら、弓で足を狙ってくれたかもしれない。
エリナなら、魔法で道を作ってくれたかもしれない。
でも、今は誰もいない。
俺には、何もできない。
……いや。
違う。
ここにいるのは、俺とニナだ。
まだ、諦めるわけにはいかない。
俺は周囲を見回した。
橋の残骸。
崩れた石柱。
谷の壁面。
そして、霧の奥にかすかに残る石畳。
何かあるはずだ。
どこかに、道が。
そのとき。
胸元の方位磁針が、再び強く震えた。
カチリ。
針が、橋の向こうを指す。
俺は息を呑んだ。
……あそこに、道がある。
ただし、今はつながっていない。
だったら、ここから飛び移れる場所を探せば――。
「ルカお兄ちゃん!」
ニナの悲鳴が響いた。
振り返る。
黒い魔獣が、地面を蹴っていた。
赤い瞳。
鋭い牙。
巨大な爪。
全部が、一瞬で目の前に迫った。
俺はニナを抱き寄せた。
せめて、この子だけでも。
そう思った瞬間。
――ガキィィンッ!
鋭い金属音が響いた。
「……え?」
目の前に、銀色の刃があった。
黒い魔獣の爪を、一本の長剣が受け止めていた。
その向こうに立っていたのは。
赤い髪の、若い女剣士だった。
「……ったく!」
女剣士が歯を食いしばる。
「こんなところで、子供相手に何やってんのよ!」
彼女は魔獣の爪を弾き返した。
そして、素早く俺たちの前に立つ。
鮮やかな赤い髪。
鋭い青い瞳。
動きやすそうな軽装の鎧と、使い込まれた長剣。
歳は、俺と同じくらいだろうか。
けれど、その立ち姿には隙がなかった。
「あなたたち、大丈夫!?」
女剣士が振り返らずに叫ぶ。
「は、はい!」
俺は慌てて答えた。
「でも、あの魔獣は……!」
「見れば分かる! 普通じゃない!」
彼女は短く答えた。
魔獣が唸る。
女剣士は長剣を構え直した。
「下がってて。ここは私が――」
「待って!」
俺は思わず叫んだ。
「そのまま戦ったら危ない!」
「……は?」
女剣士が一瞬だけ振り返った。
「何言ってるの? あなた、戦える?」
「……戦えません!」
「じゃあ下がって!」
「でも、道なら分かります!」
女剣士の眉がぴくりと動いた。
「……道?」
俺は魔獣の足元を見た。
さっきの攻撃で、古い橋の石畳が大きく欠けている。
その右側。
崩れた石柱の手前に、細い溝があった。
雨水が長い年月をかけて削ったものだろう。
さらに、その奥には、昔の橋を支えていた石の土台が残っている。
俺には、その位置がはっきりと分かっていた。
ここは、ただの崖じゃない。
昔、確かに道があった場所だ。
「……あの魔獣を、右側へ誘導できますか?」
「右?」
「はい! あの崩れた石柱のところです!」
女剣士は一瞬、俺を見た。
「……理由は?」
「足場が弱いんです! あそこなら、魔獣の体重で崩れるかもしれない!」
女剣士が、素早く周囲を確認した。
「……なるほど」
そして、口元を上げた。
「面白いじゃない」
魔獣が飛びかかってきた。
女剣士は正面から受け止めず、身をひねってかわす。
そのまま横へ移動し、魔獣の注意を引いた。
「ほら! こっちよ!」
剣が閃く。
魔獣の肩に浅い傷が走った。
けれど、黒い外皮が硬すぎるのか、深くは斬れていない。
「……硬っ!」
女剣士が舌打ちする。
俺は叫んだ。
「あと三歩、右です!」
「分かった!」
「そこから一歩下がって!」
女剣士は迷わず動いた。
魔獣が彼女を追い、石柱の手前へ踏み込む。
その瞬間。
ミシッ。
石畳に亀裂が走った。
「今です!」
女剣士が大きく跳び退く。
魔獣は勢いを止められず、崩れかけた足場に前足を乗せた。
バキィッ!
石畳が砕け散る。
黒い巨体が、大きく傾いた。
「――もらった!」
女剣士が地面を蹴った。
長剣が青白い光を帯びる。
俺は思わず息を呑んだ。
剣に魔力を流している。
魔法剣だ。
彼女は跳び上がり、魔獣の首元を狙った。
その一撃は、さっきまでの攻撃とは比べものにならないほど鋭かった。
ザシュッ!
黒い外皮が裂ける。
魔獣が苦しそうに吠えた。
けれど。
「……っ!」
まだ倒れない。
魔獣は崩れた足場に後ろ足をかけ、無理やり身体を引き上げた。
そして、女剣士へ向かって突進する。
「危ない!」
俺は叫んだ。
彼女が剣を構え直す。
でも、間に合わない。
そう思った瞬間。
俺の目に、一本の細い道が映った。
女剣士の背後。
崩れた橋の脇に、古い石畳が残っている。
普通の人には、ただの空間にしか見えない場所。
でも俺には、そこに足場があることが分かった。
「右後ろ!」
俺は叫んだ。
「そこに、一歩だけ下がって!」
「……は!?」
「大丈夫! 俺を信じて!」
女剣士は、一瞬だけ迷った。
その目に、警戒の色が浮かぶ。
当然だ。
初対面の人間に、崖の外へ下がれと言われているのだから。
それでも。
彼女は、踏み出した。
右足が、何もない空間へ伸びる。
そして。
――止まった。
「……え?」
彼女が驚いた声を上げる。
足元に、青白い石畳が現れていた。
俺が見ている道が、彼女にも見えたのだ。
魔獣の突進が、目の前を通り過ぎる。
勢い余った黒い巨体は、崩れた石柱に激突した。
ドガァァンッ!
石柱が砕け、魔獣の体が地面に倒れる。
女剣士は、すぐさま元の石畳へ跳び戻った。
「……何なのよ、今の!」
「説明はあとで!」
俺は叫んだ。
「首の下! さっき斬ったところが、まだ開いてます!」
女剣士の目が細くなる。
「……なるほどね!」
彼女は剣を構えた。
青白い魔力が、刃に集まる。
魔獣が立ち上がろうとする。
けれど、崩れた石畳に足を取られ、動きが鈍っていた。
「これで――!」
女剣士が踏み込む。
「終わりよっ!」
長剣が、一直線に振り抜かれた。
ザンッ!
一瞬の静寂。
次の瞬間。
魔獣の巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
黒い外皮の隙間から、紫色の光が漏れる。
やがて、その光も消えていった。
「……倒した?」
俺は呟いた。
女剣士が剣を振り、刃についた黒い霧を払う。
「……みたいね」
そして、こちらを振り返った。
「あなたたち、怪我は?」
「だ、大丈夫です!」
俺は慌てて答えた。
ニナも、俺の背中から顔を出す。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
女剣士の表情が、少しだけ柔らかくなった。
「どういたしまして」
彼女はしゃがんで、ニナの顔を覗き込んだ。
「怖かったね。もう大丈夫よ」
ニナがこくりとうなずく。
その様子を見て、俺もようやく息を吐いた。
助かった。
本当に、助かった。
もし、この人が来てくれなかったら。
俺たちは、どうなっていただろう。
「……ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
「あなたが来てくれなかったら、俺たち……」
「ちょっと待って」
女剣士が手を上げた。
「それ、私の台詞でもあるんだけど」
「……え?」
「あなたが足場を教えてくれなかったら、あの魔獣を倒すのはもっと大変だったわ」
俺は目を瞬いた。
「でも、俺は戦ってないし……」
「戦ってたわよ」
彼女は、当たり前のように言った。
「私が剣で攻撃して、あなたが道を教えた。それで勝ったんでしょ?」
「……あ」
言葉が出なかった。
俺は、ずっと戦えないことを気にしていた。
剣も魔法も使えない自分は、仲間の足を引っ張るだけだと思っていた。
だから、昨日パーティーを追放されたときも、仕方ないと考えた。
けれど。
この人は、俺も一緒に戦ったと言ってくれた。
たったそれだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……そう、ですね」
俺は小さく笑った。
「一緒に、戦いました」
女剣士も、にっと笑った。
「そういうこと!」
◇
少し落ち着いてから、俺たちは互いに自己紹介をした。
「私はセラ・ヴァレンティア。冒険者よ」
赤い髪の女剣士が、そう名乗った。
「ルカ・アルベインです。こっちはニナ」
「ニナです!」
「よろしくね、ニナ」
セラはにこりと笑った。
さっきまで魔獣と戦っていた人とは思えないほど、優しい笑顔だった。
「それで、ルカ」
「はい?」
「あなた、さっき何をしたの?」
……やっぱり、そこを聞かれるよね。
「何って……」
「崖の外に、道が見えたの」
セラは真剣な顔だった。
「私、あんな場所に道があるなんて知らなかった。なのに、あなたが言った瞬間、確かに石畳が見えたのよ」
「……そうなんです」
俺は少し迷ってから答えた。
「俺には、誰にも見えない道が見えるんです」
セラの眉が上がった。
「……誰にも見えない道?」
「はい。地図に載ってない道とか、昔はあったけど今はなくなった道とか……そういうものが、時々見えるんです」
セラはしばらく黙っていた。
……やっぱり、変なやつだと思われただろうか。
そう考えた瞬間。
「……なるほど」
彼女が、小さく呟いた。
「じゃあ、さっきの道も?」
「はい」
「この霧の中にある石畳も?」
「そうです」
セラは俺をじっと見つめた。
その瞳には、さっきまでとは違う光が浮かんでいた。
驚き。
期待。
そして、どこか切実なもの。
「……ルカ」
「はい?」
「一つ、聞いてもいい?」
「もちろんです」
セラは、少しだけ言葉を選ぶようにしてから尋ねた。
「あなたが見える道って……」
その声が、わずかに震えた。
「誰かが消えた場所にも、続いているの?」
俺は息を呑んだ。
「……どういう意味ですか?」
セラは答えなかった。
代わりに、腰のあたりへ手を伸ばした。
小さな銀色の護符が、指先に触れる。
その動きは、とても大切なものを確かめているように見えた。
「……ごめん。今のは忘れて」
セラは、すぐに笑った。
けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。
俺は何も言えなかった。
この人にも、何か事情があるのかもしれない。
そう思ったときだった。
「……ルカお兄ちゃん」
ニナが、俺の袖を引いた。
「ん?」
「村……」
少女は、霧の奥を指さしていた。
「あの道、まだ行ける?」
俺は顔を上げた。
崩れた橋の向こう。
青白い石畳が、霧の中へと続いている。
途中は壊れている。
でも、道そのものが完全に消えたわけじゃない。
「……うん」
俺はうなずいた。
「まだ、道はあるよ」
ニナの顔が明るくなった。
「じゃあ、行こう!」
「ちょっと待って、ニナ」
俺は少女を止めた。
「橋が壊れてるから、渡る方法を考えないと」
「……そっか」
ニナがしょんぼりとうつむく。
その様子を見ていたセラが、口を開いた。
「……村?」
「はい」
俺は説明した。
ニナの故郷が、百年前に消えたエルダ村だということ。
その村へ続く道が、俺には見えていること。
そして、ニナを家へ帰してあげたいこと。
セラは最後まで黙って聞いていた。
「……百年前に消えた村」
やがて、ぽつりと呟く。
「それって……消失路の話?」
「消失路?」
俺が聞き返すと、セラはうなずいた。
「昔あったはずの道が、突然消える現象よ。私も詳しくはないけど、冒険者の間では時々噂になるの」
俺は、胸元の方位磁針に触れた。
消失路。
母さんが最後に向かったという道も、そう呼ばれていた。
「……ルカ」
セラが、まっすぐ俺を見た。
「あなた、本当にその道を歩けるのね?」
「……はい」
「私にも、歩ける?」
「俺の近くにいてくれれば、たぶん」
セラは静かに息を吸った。
そして。
「……お願いがあるの」
彼女は、真剣な表情で言った。
「私も、その道へ連れて行って」
俺は目を見開いた。
「……え?」
「あなたたちを助けたい。それに、私にも確かめたいことがある」
セラの手が、もう一度、銀色の護符に触れた。
「どうしても、見つけたい人がいるの」
霧の奥で、風が吹いた。
青白い石畳が、かすかに光る。
百年前に消えた村。
母さんが残した方位磁針。
そして、行方不明の誰かを探す女剣士。
俺には、まだ何も分からない。
けれど。
この道は、きっとニナの故郷だけにつながっているわけじゃない。
そう思えた。
俺は、目の前のセラを見た。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……分かりました」
ニナの手を握り直す。
「でも、まずはこの子を家まで送り届けたいんです」
セラは、少し驚いたように目を見開いた。
それから、ふっと笑った。
「……いいわ」
彼女は長剣を鞘に収めた。
「じゃあ、まずはその子を帰してあげましょう」
俺はうなずいた。
「はい!」
こうして。
役立たずと呼ばれてパーティーを追放された俺は。
百年前に消えた村へ帰りたい少女と。
誰かを探している女剣士と。
三人で、霧の向こうを目指すことになった。
目の前には、崩れた古い橋。
その先には、誰にも見えない道。
そして、その道の向こうには。
まだ誰も知らない景色が、待っているはずだった。




