7.妖精将軍の力
それから十日かけて、第四軍は二つの森と山とを越え、廃墟となったカナンを抜けてシトーの砦に至った。
その間に年は明けていたが、人の戦いに時節の関わるはずもなく、世界は相変わらず血生臭い新年を迎えた。
人間側、カナンの主力軍はすでになかったが、その報を受けた残党が寄り集まり、シトーの守りは万全であった。
砦から東に半時ほど、森を隔てた川辺の平地に、ひとまずイレーヌは陣を取った。
「ピルケリアからの援軍はまだ参らぬ様子です。とはいえ、敵の総数は一万を下りませぬ」
偵察を済ませてきたメッサーが、イレーヌの前に跪いて言った。
魔剣士ミレアン・メッサー。短いが濃い金色の巻き毛が目を引く、華やかな風貌のエルフである。
イレーヌのもう一人の側近であるジークとは、容姿も気性も対照的で、どこか才気走った自尊的なところが、顔かたちにも現れていた。
「そちらにはダイスが向かっている――となれば、我らの相手は一万の兵か」
イレーヌは淡々と応える。
ゆったりと座るその様子はいつもと変わらず、戦闘前の緊張感は微塵も感じられない。
「結界が張られているとのことだが、例の魔導士か?」
「確認はなりませんでしたが、おそらく。ユヌフからここ、シトーまで軍を率いたとしても、三日もあれば間に合いましょう」
「我らの動きは十日も前に知れている。此度も後手に回ったわけか」
そう言ってイレーヌは立ち上がり、膝に掛けていたマントを羽織った。
「行かれますか?」
メッサーも立ち上がる。
「いや、まだだ。そなた、ここで待て」
「は……」
何か言いたげなメッサーに軽く微笑みかけると、イレーヌは幕舎を出た。
「俺はどうするんだよ。まさか、お前がずっと見張ってるんじゃねえだろうな」
小さな幕舎の中、地面に座り込んでいるラシードが苦々しげに言った。
向かいに立つジークは、黙って腕を組んでいる。
「ここの軍勢はせいぜい四千人ってとこだろ。将軍の側近が遊んでられるほど、楽な戦いにゃならねえだろうさ。“あいつ”がいるんならな」
ラシードは薄く笑った。
「あの野郎の魔力はとんでもねえからな。嫌な男だが、もし俺たちの軍にいたら……」
「ダイスなどには負けなかった、か?」
そう言いながら、幕舎にイレーヌが入ってきた。
ラシードは驚いて振り向き、ジークは腕を下ろすと、一歩退いて軽く頭を下げた。
「そなた見知っておるのか。バドルとやらいう魔導士を」
イレーヌはゆっくりとラシードに近づいた。
「かなりの使い手だそうだな。どんな男だ?」
答えないラシードを、上から見下ろす。
「ん?」
「俺は寝返ったわけじゃねえ」
ふっと笑ったイレーヌを、ラシードは上目遣いに睨んだ。
「何も、そなたの話から敵の戦力を計り知ろうというわけではない。ただ、そなたも嫌うからには理由があろう?」
イレーヌは、単なる好奇心だとばかりに笑った。
「何が“嫌”なのだ?」
ラシードは、イレーヌから目を逸らせた。
「あんたが出てくるのを今ごろ、舌舐めずりしながら待ってるだろうぜ。そういう男だよ」
なぜか恥ずかしげに眉を寄せ、ラシードは俯いた。
「……あのヒヒジジイ」
独り言のように呟いたその顔は、怒っているようでもあった。
「なるほど。では、遠慮は要らぬか」
イレーヌはジークを振り返って言った。
「早々に片をつける。そなたはここで待っていろ。兵も半数でよい」
「はい」
二人の会話に驚き、ラシードは顔を上げた。
「先にメッサーに抑えさせるゆえ」
「ちょ、ちょっと待てよ! 俺の話を聞いてたんじゃねえのか!?」
慌てて立ち上がり、ラシードは声を大きくした。
「半数の兵で、こいつまで置いてってどうする気だよ! あいつは……」
「私はダイスのように弱者を嬲る趣味はないのでな。できれば降伏させたい。そのためには――」
イレーヌは冷たい笑みを口元に浮かべた。
「指揮官には速やかな死を。済まぬがラシード、かの者の首は貰うぞ」
目を見開いて棒立ちになっているラシードを顧みず、イレーヌは出ていった。
――
シトーは古城の跡地であった。
かつては豪奢な貴族の邸宅だったのだろう。もう二百年以上も前の戦いで城壁のほかは見る影もなくし、以後は野戦の砦として戦の場となるのもたびたびだった。
だが、これ以上ここを拠点に据える軍など、もはやありはしないだろう。
「逃げた兵の数は?」
「六千人というところだ」
「残った捕虜が約三千」
「死者は一千か」
「数十の犠牲で済んだものを……まったく、人間という奴は諦めが悪い」
「イレーヌ様だから、それでも千人で済んだのだ。ほかの者は“わかった”のだからな」
「目の当たりにすれば、嫌でも思い知らされよう。我らが御方のお力をな」
すでに弾避けにもならない瓦礫の山の中、魔天軍の兵士たちは囁き合った。
戦闘が開始されたのが今朝早く、そして正午前には剣の音もやんでいた。
「貴様もいたのか、ジーク」
上機嫌のメッサーが、同僚を目ざとく見つけて声を掛けた。
「陣にいて、戦場に姿を見せぬとはな。なんぞ密命でもあったのか?」
「……余計な血は流さぬようにとの、イレーヌ様のご配慮だ」
「なるほど、剣のみにては牽制するも難儀ということか。貴様、聖騎士ではなかったか?」
小馬鹿にする口調で、メッサーは続けた。
「剣技を究めるもいいが、もう少しは魔術も修めることだな。
もっとも、聖騎士の白魔術では戦いに大任は負えまいが」
あからさまな侮辱の言葉に、ジークは表情も変えず黙っている。
「私はまた、軍を離れる。不在の間、精進するがよかろう」
言いたいだけ言うと、メッサーは去っていった。
「お気になさるな、ジーク殿」
ジークが振り返ると、口髭を生やした壮年の白魔族が立っていた。
第四軍の第一騎兵隊長、イアン・クリムトである。
「メッサー殿も久方ぶりの軍功を挙げられて、少々饒舌になられておるのよ」
イアンはジークを慰めつつ、メッサーも庇う。とはいえ、メッサーがジークに絡むのはいつものことである。
「戻られたのもひと月ぶりであられたし、イレーヌ様のお側におれず、やっかみもあるやもしれん」
「また、偵察の任を受けたらしい」
「ほう? それは忙しないことだな。此度はいずこへ参られるのやら」
側近の任にありながら、メッサーはほかの軍への派遣や偵察など、第四軍を離れることが多い。
それはイレーヌの側近が、一人でも十分その任を負えるほど、優秀だからである。
「なんであれ、すべてはイレーヌ様のご意向。我ら兵は、従うのみだが」
イアンの言葉に、ふと、ラシードのことがジークの脳裏によぎった。
――その真意がどこにあろうと、自分は主人に従うのみ。
「ジーク様、イレーヌ様がお呼びです!」
エルフの兵卒が、遠くで声を張り上げた。




