表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 1 MASTERLESS - 第1章 神の眷族
7/86

6.敵軍での修行

「どうした、もう動けぬか」


林の合間で、ジークが冷然と言い放った。

ラシードは膝をつき、剣を支えにして喘いでいる。


「畜……生っ……」


気力を振り絞って立ち上がろうとしたが、前のめりに倒れた。息をするのがやっとである。


「調子はどうだ?」


不意に、木立の間からイレーヌが姿を現した。

ジークは一歩引き、恭しく一礼する。


「ご覧の有り様です」


「ふむ。下がれ、ジーク」


ジークはラシードを一瞥し、主人にもう一度礼をすると、その場を去っていった。


「だいぶ扱かれたようだな」


倒れているラシードを真上から見下ろし、イレーヌが言う。

ラシードは仰向けになり、目を閉じたまま、まだ苦しげに呼吸していた。


「それが今のそなたの力だ。ジークが本気で渡り合えば、一刀の下にその命、露と消えよう。

ダイスはおそらく、『遊んだ』のであろうが」


ふと、ラシードの脳裏に男の姿がよぎる。

まるで楽しむかのように剣を振るっていた敵の顔。闇緑色の、悪鬼の眼。


「あの者は、気に入った者だけを嬲るのだ。そなたはそれだけ見込まれた、ということだな」


揶揄する声に、ラシードは目を開けた。

いつの間にかしゃがみ込んでいたイレーヌが、自分の顔をじっと覗き込んでいる。


「大した……将軍だ」


ようやく呼吸の整ってきたラシードが呟くと、イレーヌはふっと笑った。


「あれは例外だ。陛下に心を寄せて臣下となったわけではないからな。

平和を手に入れる気など、毛頭ないのであろうよ」


そう言って、腰を下ろし直す。風にたなびく金の髪が、ラシードの鼻先をかすめた。


「あんたは、魔天王に惚れてるのか」


ラシードが尋ねると、イレーヌは艶然と微笑み、静かに答えた。


「私を救い出してくださった方だ。あの方でなければ、今、ここにはおらぬ」


救い出すとは、どういう意味だ。

そう問うより先に、イレーヌは遠くを見る目で語り出した。


「私だけでなく、魔天軍に籍を置く者は皆同じ。国でも軍でもない、あの方自身に忠誠を誓った者だ。

異種族に限らず、同種族でさえ部族間の争いが絶えたことのないこの世界を、一つにまとめ上げるために」


魔族も、エルフも、小人も巨人も――妖精も皆、種族の別なく等しく生きる国を創る。

それが、魔天王が掲げる戦争の名目である。


「その理想郷を頑なに拒むというのだから、人間の排他主義たるや、エルフの純血主義にも優るな」


ラシードはむっとし、眉根を寄せた。


「そんな世界ができるもんかよ。いくら力でねじ伏せたところで、結果は同じだ。必ずどこかから不満が出る。

種族の力の差がある限り、戦いは終わらねえ。化け物みてえな魔族の連中に、人間の辛さがわかってたまるか」


ひと息に言い切るラシードを、イレーヌは憂いを帯びた瞳で見つめ、囁いた。


「力を妬む、というだけならまだわかる。なぜ蔑む? 己と同一でなければ、許せぬのか?」


紅紫色の瞳が翳る。


「手にできぬとあれば壊すのか。己を護るためとあらば、すべてが正当化されるのか? 誰しも皆、自分の意志で」


次第に語気が強まる。


「立場を選べるものではないのだぞ……」


最後はか細い声で言い、イレーヌは立ち上がって背を向けた。

ラシードは戸惑いながら体を起こす。


「“あの方”とて、そうだ」


ぽつりと落とされた言葉に、ラシードは思い当たった。


――魔天王のことか。


現魔天王ガルシアは、先の魔天王が若き日に通じた、白魔族の娘の産み落とした子である。

名門貴族令嬢と、王位を継ぐ者の恋。

同じ魔族でありながら種の異なりによって引き離され、その子は庶子としてすら認知されず、人知れず成人した。


今では誰もが知る、冷酷な魔天王の哀しき出自だった。


かたや魔天公爵ラルフは、純然たる白魔族であり魔天公爵の庶子であった。

が、その力の強大さゆえに生家からも縁を切られ、ガルシア同様に不遇の少年期を過ごした。


第二軍の将軍ヴェナは、エルフと黒魔族の混血児だ。

里を追われ親を亡くし、偶然出会ったガルシアに拾われて養女となった。


「ヴォルグナー公爵やヴェナ様。私のあとから将軍位を受けた者も、皆、その不条理を知っている。

魔天軍は今や『魔天国軍』に非ず。エルフや妖精までも将にいただく、混成軍だ。

望むなら、すべての者を受け入れる」


イレーヌは振り返り、自身の右手を見つめた。


「だから、あのような痴れ者は要らぬ。己が欲求のために血を流す、不埒者はな」


その手の中のブローチに、ラシードの視線が止まる。


「それは!」


勢いよく立ち上がったラシードに、イレーヌは静かに告げた。


「先ほどダイスが持って参った。……そなたの将が宝だな?」


ラシードの脳裏に、ある男の言葉が蘇る。


(妻の家に代々伝わる物でな。本来は公式の場でなければ用いぬ品なのだが、身の守りにと持たされて。

お陰で、これまで生き延びてこられた。剣を振るっていて、落としはせぬかと不安になるがね)


そう言って笑っていたのは、つい十日ほど前のことだった。

激しい怒りが体の奥底から湧き上がり、言葉が出ない。


「そなたが持て。その宝石(いし)に血を吸わせた相手と、再び相まみえる時までな」


そう言いながら、イレーヌはラシードの手に宝石を握らせた。


「その想い、忘れるでないぞ。しかと胸に刻み、精進することだ」


――


「して、手応えは?」


「イレーヌ様のご慧眼に間違いはございません」


ジークは相変わらず無表情に答えた。


「技としては未熟ですが、剣の才は天賦のもの。ひとかどの使い手となるまで、そう遠くはないかと」


「ダイスに()()()()()()だけのことはあるわけか。

魔力も見たところ人並み以上。これまで何も習得した様子はなさそうだが、どれほどの者になるか楽しみだ」


イレーヌは木陰の岩に寄りかかり、本当に楽しそうに笑った。

水と戯れ、森に親しむ時の彼女は、まったく無邪気な表情を見せる。側近の立場にあって、ジークは主人の涙さえも見たことがあった。


――この方は純粋すぎるのだ。

ジークはいつも思う。


なぜこの女性が将軍などという地位にいるのか。なぜ自分のような男が仕えているのか。

その軍才と魔力とを十分すぎるほど知りながら、ジークは不思議に思わずにはいられなかった。


「何を考えている?」


見透かすような瞳で、イレーヌが尋ねた。

ジークは思わず目を逸らせ、頭を下げた。


「……ダイス様がおいでになられたと、侍女に報告を受けました。お側に控えず、申し訳ありません」


「ああ……構わぬ。ラシードの指南を命じたのは私だ。それに」


イレーヌは岩の上に生う花を見つけ、それを優しく撫でている。


「あれが来たところで何もない。不愉快ではあるがな」


「ですが、メッサーも不在の折にお側を離れたことは」


わたくしの手落ちです、とジークが言おうとしたその時、一陣の風が吹き抜けた。

髪が舞い上がった刹那、イレーヌの背に普段現れぬ羽が見えた――気がして、ジークは息を呑んだ。


「よいのだ、ジーク」


イレーヌは部下に近づき、軽く胸を反らせた。


「そなたは私に忠実すぎるだけだ。それがゆえ、陛下は私の側にそなたを付けられたのだから」


まるで子供を宥める仕草で、ジークの頬に手を当てて微笑む。


「わかっておろう?」


瞬間、ジークは自責の念に捕らわれた。

許された些細な過失に対してではなく、今現在、自分の中に噴き出した堪えがたい衝動に対して、である。


そして蘇る記憶――主人にとってはただ、口止めをしただけであるはずの、甘く罪深いほんの一時の。


そんなジークの想いを躱すかのように、イレーヌはふわりと身を引いた。


「メッサーが戻り次第動く。兵に伝えておけ」


もう「将軍」に戻っている主人に、ジークはやっとの思いで礼をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ