5.剣鬼
数日後、イレーヌ率いる第四軍は、さらに南へとさしたる戦闘もなく進軍を続けていた。
クラウ河より数倍も広いマチスの大河に面し、陣営を設けた。その夜が明けて一刻ほど経ったころである。
「イレーヌ殿はどこにおられる? さっさと案内せぬか!」
野太く威圧的な男の声が響いた。
いかにも剛腕そうな体躯に、ひと目で剣士とわかる鎧を着けた、顎髭を蓄えた黒魔族の男。老けては見えるが、日焼けした肌にはまだ若さが残り、左の頬には古い刀傷が走っている。
「イレーヌ様はただ今お休み中にて、しばらくお待ちを」
「このダイス・グウィドをこれ以上待たせると申すか! もうよい、自分で参る!」
なかなか取りつがない白魔族の侍女に痺れを切らし、ダイスは強引に陣営内へ踏み入った。背後で侍女が喚くのを、ダイスの従者が押し留めている。
陣内の兵士たちは遠巻きに頭を下げ、将軍が通りすぎるのを見送った。皆一様に冷たい視線を浴びせているが、当のダイスは周囲に目もくれず、一直線にひときわ大きな幕舎へと向かった。
見張りのエルフが一礼する。
「よもや止め立てすまいな?」
そう言うが早いか、返事を待たずに中へ足を踏み入れた。
ダイスの姿が幕舎のうちに消えると、エルフは眉をひそめ、舌打ちした。
薄暗い内部には衝立代わりの布が吊られ、隔ての向こうが微かに見える。静まり返った様子に、ダイスは息を殺し、足音も立てずに奥へ進んだ。
布をそっと避けて入る。
膝の高さに設えられた寝台には、イレーヌが毛布も掛けず、背を向けて横たわっていた。
本来、裸体で暮らすフェアリアにとって、衣装とは単に煩わしいだけのものにすぎない。ゆえにイレーヌの服装は、白い布をまとった踊り子のようだ。今は横を向いているために、大きなスリットから、膝上より足元まで露になっている。
あまりにも無防備なその寝姿に、思わずダイスが手を伸ばした、その瞬間――
レイピアの鋭い剣先が、ダイスの喉元に突きつけられていた。
「っ! イ、イレーヌ殿……」
太い首筋に冷や汗が流れる。
「――貴公か」
眠っていたかに見えたイレーヌは、剣を手にしたまま振り返り、冷静に男の顔を確かめた。
「気配を消して近づく者があったので、侵入者かと」
イレーヌは身を起こし、口元に冷笑を浮かべて剣を収める。
「い、いや……よくお休みのようだったので、その、起こそうかと」
ダイスは戸惑いを隠せず、言葉を濁して脇へ退いた。
イレーヌはそれに応えず、ブーツを履いて立ち上がると、何事もなかったかのように尋ねた。
「我が陣営に、わざわざ参られた用向きは?」
ダイスは一つ咳払いをし、低い声で答える。
「実は先日、トルキスにてカナンの人間どもと戦いまして」
「殲滅なされたのであろう?」
イレーヌが言葉を遮ると、ダイスは破顔し、さらに大きな声を張り上げた。
「おお、すでにお聞き及びか」
「我が陣を置いた地からトルキスは目と鼻の先。クラウ河を遡るだけのこと――下流には、カナン軍のなれの果ても流れてきた」
イレーヌは手袋をはめながら、意味ありげに笑った。その真意に気づくはずもないダイスは、得意げに語り出す。
「いや、中にはそれなりの剣士もいたが、所詮は人間。数の上でも我が軍が明らかに優位で、いささか物足りぬほどの圧勝であった。
奴ら、カナンより南下し、シトーまで撤退するつもりだったらしい。我が先鋒隊がそれを察知して」
「ダイス」
寝台脇の台から杯を手に取り、イレーヌが遮った。
「報告は陛下になされよ。私への用向きは?」
「あ、ああ、では、詳細はまた後日ということで」
ダイスは声の調子を落とし、気を取り直すように懐を探った。
「実は、これを」
そう言って小さな袋を取り出し、イレーヌに差し出す。
「此度の戦利品の一つなのだが」
杯を空け、受け取ったイレーヌの手に零れ落ちたのは、大粒のルビーをあしらった金細工の胸飾りだった。
「見事な品だな」
「大将とおぼしき男が持っていたものでして。ぜひあなた……いや、貴公にと」
イレーヌの反応を窺いながら、ダイスは上目遣いで言う。
「私に? 陛下には」
「陛下からは、敵軍の物品は好きに処分せよとのお達し。ゆえに直ちにお持ちした。よくお似合いかと」
ブローチを見つめたまま、イレーヌは動かない。
「お、お気に、召されぬか?」
「……いや、いただこう。お気遣い、感謝する」
不安げに問うダイスに、イレーヌは微笑み、別の杯を差し出した。
「我らが勇壮なる剣士殿に――」




