Part2 15.変わらぬ想いと変わったもの
長い時が過ぎた。
レ=オンとマルガレータの間の子は、八人を数えた。年の暮れには、王太子ダリウスが百五十歳――成人になろうとしていた。相変わらず、そのほかに庶子はいない。
長女のシルリア王女は十年も前の春、兄に先立って有力貴族の元に降嫁していた。
「そろそろ、ダリウスにも妃を迎える頃合いだな」
ドルアーグは目を細めて言った。向かいに座るレ=オンは、無言で父を見る。
先の魔天王は譲位後、王都の西にある離宮に移り、表向きは隠居していた。が、未だ政務には発言力を持ち、王宮を訪れては執務室に入ることもたびたびだった。
今もレ=オンと二人で午前の執務を終え、昼食を摂りひと息ついたところである。
「そなたはまだ若くあるし、即位は遠い先のこととしても、成人となれば独り身で置くわけにもいくまい」
「私も、考えてはおりますが」
背中を覆うほどに長く髪を伸ばし、人の親らしく落ち着いた風貌になったレ=オンは、静かに応えた。
「あれにも、思うところはあるようです。もうしばらくは……と思っております」
「甘い父親だな、レ=オン」
ドルアーグはちらりと息子を見た。
「万一のことがあったなら、どうする」
「ご心配なく、父上。それには気を配っておりますし……」
レ=オンはふっと笑って、立ち上がった。
「ダリウスはその父に似ず、賢明です。王室に泥を塗るような愚行は致しますまい」
そう言うと、執務室を出ていった。
(……変わったものだな、お前も。レ=オン)
ドルアーグは一人、思いを馳せた。
(ダリウスが成人するか。となれば……)
――
(“あの子”も、今年成人なのだ)
中庭に出たレ=オンは、空を見上げた。
新年を迎えてひと月あまり、柔らかな雲が流れていく天の様子は、すでに春の空である。これが雨の季節となり、一層暖かな春と長い夏が過ぎゆけば、涼やかな秋がやってくる。年の瀬には王太子の成人を祝う鐘の音が、国中で響き渡ることだろう。
それより三ヶ月も先立つ夏の日、もう一人の王の子が同じ晴れの日を迎えることなど、民の一人として知る者はいないのだ。
――ガルシア。
一度も会ったことのない、己が息子。遥か遠い地で、わずかばかりの侍従に祝福され、その日を送るのだろう。
(お前が見ているか、カミーユ)
今朝方、レ=オンは懐かしい夢を見た。遠い日の、愛しい者と過ごした頃の。
(忘れてなどおらぬ。お前も、ガルシアも。今も――愛している)
その左耳には、変わらず輝くピアスがある。
「――お父さま!」
奥庭に続く茂みの向こうから、可愛らしい声が呼んだ。
「オルフェリアか。おいで」
レ=オンが答えて、手を広げる。すると巻毛の小さな女の子が現れて、嬉しげに駆け寄ってきた。まだ五歳ほどの、一番末の王女である。
レ=オンは娘を抱き上げ、大きな緑の瞳を見つめた。
「何をしていたのだ?」
「日光浴です。雨季が近いからって、ドリスが」
舌足らずの口振りが、なんとも愛らしい。
「そうか。ドリスと二人か?」
「いいえ、お母さまが……」
「オルフェ!」
マルガレータが、遅れて現れた。夫の姿を見て、少し驚く。
「陛下、ご公務は?」
「衛兵に話があって出てきたのだが、兵舎に行く前に捕まってしまった」
レ=オンは、娘に優しく笑いかける。
「まあ……失礼を。オルフェ、こちらにいらっしゃい」
「や!」
母が手を差し出しても、娘は父の首にしがみついて、離れない。
「オルフェリア!」
「ああ、よい。顔を見るのも久方振りだからな」
そう言って娘の髪に口づける仕草は、子煩悩な父親そのものである。マルガレータは恐縮して目を伏せた。
「……お前にも話がある。ダリウスの縁談だ」
「そのようなお話があるのですか?」
「いくつかな。今年で成人となることであるし」
ゆっくりと庭を並んで歩きながら、二人は親の顔で話し合う。
「急がせたくはないが、もう決めてよいころだろう。できることなら、あれの意向に沿うようにしたい」
「……ご存じなのですか」
「グレイド伯の娘の、ディーリアであろう。気品のある、美しい娘だ」
言いながら、レ=オンはその姿を思い浮かべた。
宴で幾度か目にしたその娘は、どこか雰囲気がマルガレータに似ていた。
「ディーリアはわたくしには姪で、ダリウスにとっては従妹に当たります。あまり近い縁戚同士の婚姻では……」
「ディーリアの母は確かにお前の妹だが、脇腹の異母妹だ。近すぎる血縁といって、禁じられるほどのものではあるまい。
何より当人は非の打ちところのない伯爵令嬢、王太子にとってこれ以上の相手はおらぬ」
マルガレータの言葉も道理だったが、レ=オンは息子の恋路を阻むことはしたくなかった。
「母としては不満か?」
「……陛下がそこまでお認めくださるのでしたら、わたくしは何も」
「では折を見て、重臣たちと協議に入ろう」
「お任せ致します」
中庭の先から兵舎の前まで出たところで、衛兵がレ=オンのほうを見ていることに、二人は気づいた。
「もういいな、オルフェ」
レ=オンは小さな頬に口づけると、娘を抱き下ろした。
「お母さまには?」
娘は頬に指を当てて、無邪気な瞳で父を見上げる。
「オルフェ……」
マルガレータは眉を顰めたが、レ=オンはふっと微笑んだ。
「……そうだな」
レ=オンはマルガレータを抱き寄せて、その頬にも口づけをした。
「またあとで奥に行く」
「――はい。失礼致します」
マルガレータは俯きがちに答えると、娘の手を引いて歩いていった。オルフェリアは何度も振り返って、父に手を振る。
それを見送って、レ=オンも歩き出した。
(カミーユを忘れたわけではない。だが……)
ちらと、妻子を振り返る。
(あれも、私の妻なのだ)
八人の子を成し、永い時をともに過ごしてきた妃。誓約通り自分は側室を持たず、唯一人の妻として遇してきた。これまでなんの恨み言も言わずに、仕えてくれたマルガレータ。
(カミーユ、私を責めるか?)
けれど、掛け替えのない女が側にいる。
男として生涯――生ある限り王妃を護り、誠実な夫でありたいと心底願う。
その想いもまた、真実なのだ。
若さゆえの情熱以外にも確かな想いのあることを知った、それが今のレ=オンに得られた幸福だった。




