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MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 3 FORTUNE - 第3章 二人の王
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Part2 14.母の想い

奥に向かって歩きつつ、ダリウスはまだ、不信と疑惑の念に駆られていた。

そんなはずはないと思いながらも、幼い日の記憶に捕らわれ、邪心を振り払うことができない。心は千々に乱れて、今にも叫び出しそうになる。


「いかがなさいました、殿下」


顔を上げると、スエロが立っていた。


(スエロ様は……お父上の、陛下にご報告するために……)


女官の言葉が脳裏に蘇る。


「お……お前こそ、奥から参るとはどうしたのだ。これより先の奥の宮に足を踏み入れられる男子は、父上のほかには我ら王の子のみぞ」


平常心を装いつつ、ダリウスの言葉は自然に絡んだ言い方になる。


「陛下に許可をいただき、王妃様のお見舞いに伺いました。わたくしの妻も、奥におりますので」


スエロの妻は、マルガレータに仕える女官の一人である。先刻レ=オンを冷やかした、物静かなスエロとは対照的に陽気な女だった。


「あ……ああ」


「殿下のことをご心配なさっておいででした。すぐに退出なさったはずだと」


「父上には謝罪申し上げた。これから母上にも申し上げる!」


ダリウスは顔を背けて、吐き捨てるように言った。


「では、失礼致します。広間にて、のちほど」


スエロは慇懃に頭を下げて、表の宮へと去っていこうとした。が、


「――スエロ!」


ダリウスの声に、足を止めて振り返った。ダリウスは背を向けたまま呟く。


「お前、先ごろ王宮から退(さが)っていたな」


「はい。母の具合が思わしくありませんでしたので」


「シェラの?」


繰り返す声が、知らず知らずのうちに震える。


「本当に、それだけか」


「は?」


「父上に何か、密命を受けていたのではないの……か?」


ダリウスの心臓は早鐘を打ち、握りしめた拳はじっとりと汗をかく。


「何もございません。仮にご命令があったとしても、密命とあれば、殿下にも申し上げることは叶いません」


思わず、ダリウスは振り向いた。スエロはいつもの無表情である。


「何もございません。……失礼致します」


そう言ってもう一度礼をすると、スエロは立ち去った。


(そんな、はずは……!)


――


「ダリウス、どうしたのです」


やってきた息子を見て、マルガレータは眉を顰めた。


「あれからすぐに広間に行かれたのではなかったのですか? 宴が始まっても姿が見えなかったと、スエロ様に聞きましたよ」


「申し訳、ございません……」


ダリウスは立ったまま、うなだれて応える。


「私に謝っても仕方がないでしょう。お待たせした方々に、きちんとご挨拶なさったのですか?」


「……いえ、その」


母は沈んだ様子の息子に、きつい言葉で畳みかけるようなことはしない。何事かと、黙ってその顔を見つめる。


「母上」


ダリウスは椅子に座ると、不意に顔を上げた。


「なんですか?」


まっすぐに自分を見る母の顔。誰より美しく、気高い女性。


「母上は……」


たった一度だけ見た、その涙。


「母上は、お幸せですか」


突然の問いに、マルガレータは目を丸くした。


「父上の妃になられて、ご満足ですか?」


ダリウスは混乱しながら、言葉を続ける。


「本当に、幸せでいらっしゃいますか。父上に、ご不満は」


「ダリウス!」


母は落ち着いた口調で、息子を窘める。


「……何を言い出されるかと思えば。そのような言葉、口にしてよいものではありません」


「ですが、母上」


「ご自分の父上を、侮辱なさるおつもりですか!?」


マルガレータは、小さくため息をついた。


「王太子殿下ともあろうお方が、軽率な……父上と何かあったのですか」


ダリウスは俯いて、何も答えようとしない。そんな息子の様子を見て、マルガレータは静かに言った。


「……私は、王国一の果報者と自ら信じています。陛下に嫁いで、身に余るご恩情を受けて」


寝台の上から、息子の頬に手を伸ばす。


「ご立派なお子を、天より授かりました。なんの不足があるというのです?」


「……っ!」


「母は幸せです、ダリウス。なぜ疑うのですか」


穏やかに、微笑む。その深い瞳に、慈しむが浮かぶ。


「母上……」


「陛下にも、あなたにも感謝しています。たとえ、この先何があろうとも死する時まで、幸せだったと言えるでしょう。

ご恩に報いることのできるよう、生きていきたいと願っています」


その言葉と温かな手に、ダリウスは何も言うことができなかった。


――


(母上は、きっとご存じなのだ)


塔に上って夜風に吹かれながら、ダリウスは一人考え込んでいた。


(すべて承知の上で、王妃として座していらっしゃる……)


穏やかな瞳の優しさの中には、一抹の翳りが感じ取れた。


(幸せです、ダリウス。なぜ疑うのですか)


そう言った言葉の裏に潜んでいた、強い決意。おそらくは血を分けた息子の自分だからこそ気づいた、いや自分にしかわからないだろう真実だ。


(父上さえ、もしかしたら……いや、母上が気づかれまいとなさっているのだろう。母上は、父上を愛しておいでなのだから)


何も語らず、耐え抜く決意。夫を責めずに王妃たろうとする、哀しい心。


立ち聞きした噂の真偽のほどはわからない。だが、母にあの決意を強いた「誰か」は存在しているだろう。


(父上が想いをかけた、誰か……

だが、それがなんだというのだ?)


どこの誰であろうと、構わない。魔天王の正妃は唯一人。

庶子があろうと、変わりない。王太子は唯一人。


「未来永劫変わらぬ事実だ! ――私こそは王太子、魔天王ルーク・エリス・レ=オンの長子、エリス・ダリウス・ディ・ラング!」


ダリウスは己を鼓舞して叫んだ。

「エリス」の称号。王太子に与えられる、王位を継ぐ正統なる者の証である。


(王になる、私は王に……父上を越える魔天王に、必ずやなってみせる!)


ダリウスにできる、心からの誓いだった。

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