Part2 12.庶兄
ダリウスに三人目の弟妹が生まれた時のことだった。
「お二人目の弟君ですわね、殿下」
乳母にそう言われて対面した赤子は、母に似て見えた。
王太子であるダリウスは早くから母と引き離され、弟妹とも縁遠かった。レ=オンも体験した、魔天王家の風習によるものである。だが、祖父の魔天上王に似ている自分はなおさら母と遠いようで、何も知らずに眠る弟は少し憎らしくも思えた。
しかし生誕の宴の際には、普段入室できぬ母の元へも出入りが許され、嬉しくもあった。
ダリウスももう、人間で考えるなら十三・四歳にはなろうかという年頃である。若き日のドルアーグに似て体格も立派で、すでに一人前の男子であった。
さすがに奥の宮へ無断で入り込むことはしなくなったが、ダリウスの母を慕う気持ちに変わりはなく、その日も宴前に母を見舞いに行った。
「母上、ご気分はいかがですか」
慶事にあって城内の慌ただしい時でさえ、落ち着いた風情を失わない部屋の中、母は寝台に上体を起こして座っていた。豊かな黒髪をきちんと編んで背に垂らし、床にいても乱れた様子は見せない。
「王太子殿下にご足労いただくほどの重態ではありません。今宵の宴には、臨席致します」
静かに答えるマルガレータは面やつれしていて、それがまた艶めかしく美しい。四人の子を産みながら、容貌は衰えるどころか一層、高雅な気品に溢れていた。
「結構なことですが、ご無理はなさらず……」
寝台の横に座ったダリウスは、久方振りの母との対面に少なからず緊張する。
「その通りだな、マルガレータ」
レ=オンが、前触れもなく入ってきた。
「父上」
「顔色がまだ悪い。親孝行な息子の言葉は聞くものだ」
言いながら、寝台の側に歩み寄る。ダリウスは立ち上がって、父に席を譲った。
「陛下、皆様は……」
「臣下らは生まれた王子の顔を見に参ったのだ。私が応じることもない」
見舞われて却って気遣うマルガレータに、レ=オンは微笑する。
「王妃様、陛下は逃げてこられたのですわ。またご嫡子ばかり儲けられて庶子を一人もお持ちにならない、と皆がからかうものですから」
側勤めの女官が、自分も冷やかすような口調で言った。
「……ダリウス、あなたが代わりにお相手なさい。陛下もすぐに戻られると、皆様にお伝えして」
マルガレータは平静を装って言う。レ=オンも済まなそうに息子を見た。
「――ではそのように。失礼致します」
ダリウスは内心残念に思いつつ、礼をして部屋を出た。
「わたくしどもも、しばらく失礼を」
女官たちも続いて退出してくる。
「本当に仲がおよろしくていらっしゃるわ」
「でもお逃げになる先がマルガレータ様のところじゃ、また、みんなの話の種になるだけよ」
囁きながら反対側に去っていく女官たちをちらりと振り返って、ダリウスも歩き出した。
(――父上には敵わぬ)
あんな風に王妃の心構えを優先させながら、母が深く父を愛していることを、ダリウスは誰より知っていた。王妃として王を敬慕し、妻として夫を信頼し、女として男を――レ=オンという男を、愛している。
(ダリウス、忘れてはなりませんよ。あなたは偉大なる魔天王の、レ=オン様の息子。己の身分に慢心することなく、その血において精進なさい)
母が自分を激励する言葉の裏には、いつでも父への想いが感じられた。
昔、垣間見た母の涙は、子にはわからぬ夫婦の機微であったのだろう。父の涙も、王の尊厳を重んじて見過ごそうとなされたのに違いない。
もののわかる年になって、ダリウスはそう考えるようになっていた。
「……ですってよ」
「まあ! じゃあやっぱり」
近道しようと女官の私室が続く前を通ろうとした時、声が洩れ聞こえてきた。王の近くに仕える、年のいった女官たちである。
「道理でね、おかしいとは思ってたのよ。いくら陛下が愛妻家とはいえ、一度の浮気もなさらないなんて」
父のことを噂しているのかと、ダリウスの足が止まった。
「でもまさか、本当に?」
「あら間違いないわよ。陛下には四人のお子様のほかに、確かに庶子がおありになるの」
――庶子!?
その言葉に、ダリウスの頭の中は真っ白になった。
「シェラ様は引退なさったということになってるけど、本当は陛下のお子様を養育なさってるのよ」
「そういえば、突然だったものね。レ=オン様がお妃様を迎えられたからって」
「でも乳母としてというより、レ=オン様づきの侍女頭として長く王宮に仕えてらしたでしょう? 引退なんてお年でもないのに、奇妙なこととは思ってたわ」
(シェラ? 父上の乳母の? なんの……なんの話だ!?)
ダリウスの思考は混乱して、女官の言葉を正確に認識できない。
(浮気が、引退がなんのと……庶子、だと!?)
「スエロ様が時折、シェラ様のところへ行かれるのは」
「陛下の庶子のご様子を、見に行かれてるってわけよ。お父上の、陛下にご報告するためにね」
(父上の、子――庶子……!)
ダリウスは呆然と、その場に立ち尽くした。
「でも待って、シェラ様が王宮を辞されたのは確か、レ=オン様のご成婚からまだ半年も経ってなかったころの……」
「そうよ、雨季の直前。だからたぶん、庶子ができたのはご成婚以前のことじゃないかって」
「じゃあ、もしかしたら、その庶子がレ=オン様の一番最初のお子様!?」
一番、最初の。
「そうなるのよね。レ=オン様って独身でいらしたころは、しょっちゅう出歩いてらしたでしょ?
それがマルガレータ様をお迎えしてから、ぱったりとやめられて」
「あのころ、噂になっていたわよね。レ=オン様には、恋人がいらしたんじゃないかって」
「そうよ、ご成婚の前に別れさせられたんじゃないかって話。たぶん、ドルアーグ様に」
「ドルアーグ様だって、王妃のフェリシア様より先にご側室をお持ちだったのに!」
「だから、よほど身分の低い娘だったとかね。まさかただの村娘を、王の側室には迎えられないでしょう?
せめて田舎の成り上がり者でも、貴族の血は引いていないと」
女官たちの言葉が、ダリウスの耳を駆け抜けていく。
「でもわざわざ、シェラ様を遣わすなんて」
「……心底、その方を愛してらしたってことかしらね」
「まあ! それ、マルガレータ様は……」
「ご存じかどうかわからないけど、知ってたらあんなに王妃然としていられるものとは思えないし」
「それじゃ、陛下はずっと奥様を騙してらっしゃるわけ? ご側室も持たないのは、マルガレータ様のためじゃなくて」
「せめてもの罪滅ぼしか、想う方に操立ててらっしゃるのか、それもどっちかしらねえ」
父の、母に向けられた笑顔が脳裏に蘇る。誰の目にも円満な、夫婦の姿。
「――あらいけない、もうそろそろ宴の始まるころだわ。広間に行かないと!」
「嫌だわ、うっかりして!」
女官たちの出てくる気配に、ダリウスは柱の影に身を潜ませた。慌ただしく駆けていく足音が響く。
気配が廊下の先に消えていったあとも、しばらくの間、ダリウスは動くことができなかった。




