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MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 3 FORTUNE - 第3章 二人の王
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Part2 9.遠い憧憬

夕暮れ時、ルイーゼがガルシアたちのいる部屋に入ってきた。


「失礼致します、セイレーンを見かけておられませんか」


「いや。おらぬのか?」


例によって本を読んでいたラルフがそう答えると、本を手にしながら窓辺に立っていたガルシアが言った。


「戻ってきたぞ」


窓の外を見るその視線の先に、ふらふらと力ない足取りで、屋敷のほうへ歩いてくる侍女の姿があった。


「森にいたようだな」


「まあ、今ごろまで? では、失礼を」


礼をして、ルイーゼは慌ただしく出ていった。

その時、ラルフはガルシアが微かに笑うのを見た。


「――ガルシア?」


「ん?」


振り向いて、ガルシアもラルフを見る。


「なんだ」


真顔になっている友に、ラルフは言葉を飲み込んだ。


「……別に」


「そうか」


無表情に本を捲り始めたガルシアを見ながら、ラルフは何か奇妙な感じを覚えていた。


――


数日後、夜も更けたころだった。侍女たちも一日の勤めを終えて、厨房近くの休憩部屋で紅茶を飲みながら、一息ついていた。


「セイレーン、ガルシア様にもお茶をお持ちして」


厨房から、フィアナがやってきた。


「まだお寝みにならないようだからって、シェラ様が」


「え……」


セイレーンは立ち尽くして、微動だにしない。フィアナは心配そうに尋ねた。


「セイレーン? 気分でも悪いの?」


「あ……あの……」


「このごろ変よ。どこか具合が悪いんじゃない?」


「休んでたほうがいいわ、私が代わりに」


ほかの侍女が立ち上がると、


「あなたは昨夜お持ちしたでしょう、エルマ」


手にしていたカップを置いて、ルイーゼが厳しく言った。


「あなたの番よ、セイレーン。早くお行きなさい」


「……はい」


俯きがちに、セイレーンは出ていった。


「ルイーゼ、あんな言い方……」


「シェラ様のお言い付けでしょう。病気のようにも見えないわ」


フィアナの言葉を制して、ルイーゼは廊下のほうへきつい視線を向けた。


「でも……」


「さ、私たちはまだ片づけがあるわ」


立ち上がったルイーゼに促されて、残った侍女たちもそれぞれに部屋を出ていった。


――


「失礼致します」


声が震えるのを必死で抑えながら、セイレーンはワゴンを押してガルシアの部屋に入った。寝室に続く部屋の、窓の下にある長椅子に腰掛けて、ガルシアは本を読んでいた。


「お茶を、お持ち致しました」


セイレーンの声など聞こえていないかのように、顔を上げることすらしない。


セイレーンは無言で、ワゴンの上のカップを手にした。震える手が不自然にカップを滑らせて、陶器の澄んだ音を部屋に響かせる。


「今は要らぬ」


ガルシアは本を見たまま、普段と変わらない声で言った。その声もいつの間にか、低い大人のものになっていることに、セイレーンは今さら気づいた。


「で……ではお下げ致しま……」


「セイレーン」


本を閉じて、ガルシアは顔を上げた。


「来い」


金の瞳が、まっすぐに自分を見る。その鋭さに畏れと羞恥を感じて、とっさにセイレーンは俯いた。


「――来い」


静かに、繰り返す声。

セイレーンは俯いたまま、おずおずとガルシアに近づいた。


ガルシアは立ち上がり、右手を侍女の顎に当ててその顔を上に向けさせた。

人を射抜く金色の眼に宿る光は、幼いころから変わらない。だが今では、その目はセイレーンの目線よりも高いところにあって、彼女を見下ろしている。


「……ガルシア様」


「私が好きか、セイレーン」


その声は穏やかに響き、けれど心を波立たせる。


「それとも、嫌いか」


「い……いいえ!」


思わず、声が大きくなる。セイレーンがはっと我に返ると、ガルシアは優しく微笑んだ。

あの日とは別人のような静かな抱擁に、セイレーンも拒むことはできなかった。


――


書庫から自室に戻る途中、ラルフはガルシアの部屋の前で足を止めた。

微かに、洩れ聞こえてくる声。


……セイレーン?


侍女の優美な笑顔が、脳裏に浮かぶ。数多い侍女の中でも、最も安心を得られた笑顔。

そして、あの時一瞬見たガルシアの表情。


(あなた様の星はその者に飲まれ……)


かつて言われた予言が、心に浮かぶ。

ラルフは、静かに歩き出した。


――すべては、友のために。友の手に。


それが自分の運命であることを、ラルフは改めて感じていた。

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