Part1 3.父の苦悩
少年は、いつも孤独だった。
母とは滅多に会わせてもらえず、父も近くにいない。小さな邸内は閑散としていて、数人の侍女や侍従と医師たちが、どこかよそよそしい態度で働いていた。
乳母も早くに亡くした少年を気遣ってくれるのは、一人の若い侍女だけだった。
「カタリナ、父上はいつおいでになる?」
「公爵様は、お忙しくていらっしゃいますから……」
カタリナは、目を伏せて答える。
久しく会っていない父の姿は、幼いラルフには朧気な影のようにしか記憶になかった。父も本邸にいたころから、何やら自分を避けているように思われた。
(公爵様にもまったく困ったものだ。傾国傾城の美女とも見えぬのに、あの側室ばかり、ご寵愛を向けられて)
(その上、あの庶子……!)
(末恐ろしき力だ。公爵家のためには、忌むべき力よ)
心ない人々の言葉は、ラルフの耳にも入っていた。
その意味はわからずとも、言葉の裏に秘められた自分と母に対する悪意は、幼心にも自然に感じ取れた。
なぜか、他人は皆自分を恐れる。
父の素っ気なさも、同じ原因によるものだったのだろうか。優しかったはずの母は、今では近くに寄らせてももらえない。
「ラルフ様……」
寂しい自分に優しい声を掛けてくれる、カタリナが唯一人の味方だった。
しかし、カタリナも自分づきの侍女というわけではなく、ラルフはいつも一人で遊んでいた。遊戯の相手であり、恰好の玩具であったのは、ほかでもない自分自身の魔力だった。
呪文を教えてくれる師匠などいるわけもなく、呪文を唱えずに魔術を行う「黙呪」がほとんどであったが、光や水を思いのままにし、また、獣と心を通わせることは、確かにラルフの慰めとなった。
その行為が期せずして魔術の修練ともなり、自分を満足させようとするラルフの純真な心は、魔力をより強めていったのである。
――
ある日、屋敷に珍しく来客があった。
その客は屋敷に入って一番に、ウィストリアの寝室に足を踏み入れた。
「ウィストリア!」
寝台のウィストリアはその姿を見るなり、飛び起きて駆け寄った。
「エヴァン様!」
「長らく放って置いて済まなかった……」
エヴァンはやつれた恋人を、万感の想いで抱きしめた。
――
そのころ、ラルフは屋敷の裏手にある森で、木登りをしていた。するとカタリナが大声を上げながら、自分の元に走ってきた。
「ラルフ様、急いでお戻りなさいませ! お父上様がいらっしゃいましたよ!」
「……父上が!?」
その言葉を聞くや否や、ラルフは木から降りることなく“翔び上がり”、一目散に屋敷へ向かった。
「あ、ラルフ様、お待ちを!」
――
「よくおいでくださいました、公爵閣下。ウィストリア様もお待ちかねで」
「聞いていたよりも、落ち着いて見えたが」
「閣下にお会いになれたからでございましょう」
廊下で、侍医とエヴァンが話していると、
「父上!」
ラルフが駆け込んできた。嬉しそうに両手を広げて、父の元へ走り寄る。
「……ラルフ。元気そうだな」
エヴァンは控えめに笑って、息子を抱き上げた。侍医は上目遣いに、その様子を見ている。
「どこで遊んでいたのだ? 裏の森か?」
「はい。父上がおいでと聞いて戻りました!」
ラルフは無邪気に笑って、父の首にしがみつく。少しあとから、カタリナが息を切らせてやってきた。
「ご苦労だったな、カタリナ」
「……失礼を、公爵様……」
カタリナは苦しげに、呼吸を整えながら礼をする。
「公爵閣下の御前で、見苦しいぞ」
侍医が咎めると、カタリナは胸を抑えて答えた。
「も、申し訳ございません。ラルフ様が一飛びなされたところを、走って追いましたもので……」
その言葉に、エヴァンの表情が硬くなった。
(怖いのです、ラルフが)
(……ウィストリア)
(確かに、この身体から生まれた我が子ですのに……可哀想なことと思います、愛しくもありますわ。
けれど、得体が知れなくて……)
震えながら、ウィストリアが言った言葉。
腕の中の無邪気な瞳の蒼さに、一瞬エヴァンも戦慄する「何か」を感じた。
「ラルフ、私は侍医と話がある。向こうで待っていなさい」
「……はい」
少年は寂しげに頷くと、父の首から手を放した。エヴァンはラルフを抱き下ろして、カタリナに向かった。
「頼むぞ」
「はい。ラルフ様、さ……」
ラルフは俯きがちに、侍女と廊下を歩いていく。二人の後ろ姿を見送ると、エヴァンは呟いた。
「発作は、あの子のせいか」
「はい。お会わせしないよう、心掛けておりますが」
「それも、哀れなことだ……」
エヴァンは目を伏せた。
――ラルフが悪いわけではないのだ。生まれた子に罪はない。
だが、どうしてあれほどの魔力を与えられたものか。
自身もウィザードであるエヴァンのほうが、ウィストリアよりもはっきりとその脅威を知ることができた。
異常なほどに、強大な力。会うたび、増幅されているような気さえする。
家臣に言われるまでもなく、漠然とした不安が胸に湧き起こる。
「……公爵閣下」
主人の懊悩を察して、侍医が声を掛ける。
「ご安心ください。この屋敷の中には、結界を張っております。ここにおられる以上、滅多なことは……」
「ああ……いや、いっそのこと、やはりラルフはよそに移そうかとも思うのだ」
エヴァンは重苦しく語る。
「結界の中で力を封じ込めるよりも、正しく伸ばして制御させるほうがよいかと思ってな。
母と離すは不憫なことだが、ラルフにとっても側にいて疎まれるよりはよかろう」
「それは……」
沈黙する二人を、従者が離れて見つめていた。




