Part1 蒼き雷皇 1.母と子
私は求めていた。
私は望んでいた。
私は愛していた――父を、母を。
……もはや、顔も憶えておらぬ。
――
魔天王国の南、リストルの町外れにその屋敷はあった。
町から林を隔てた森近くに建っている、瀟洒で静かな屋敷。魔天公爵が有する、別邸のひとつである。
「ラルフ様、どちらにおいでですか。ラルフ様!」
その裏庭を、若い侍女が走り回っている。
夕暮れの逆光に人影が見えて、侍女は足を止めた。
「ラ……!」
立ち止まった侍女の前には、無数の山鳩が、小さな男の子を中心に集まっていた。
餌を撒いているわけでもないのに、鳩たちは男の子のほうを向いて、クックッと喉を鳴らしている。白いローブを着たその子はゆっくりと振り返って、侍女の名を呼んだ。
「カタリナ!」
賢そうな顔立ちの、品のある子供である。
ラルフ・サー・バージェ、四歳の春。
「な……何をしておいでですの、一体」
あまりに数多くの鳩の群れに、侍女は怯えて近寄れない。
「話をしていた」
「話? 鳩とですか?」
「そうだ。ほら!」
ラルフが手を伸ばすと、鳩が一斉にその体に飛びついた。小さな体が、茶色い翼の向こうに見えなくなる。
「ラ、ラルフ様!」
カタリナが叫ぶと、ぱっと、鳩は散り散りに飛び立った。あっという間に上空高く上ると群れをなして、東の空へと去っていく。
ラルフはあどけない青い瞳で、じっとその群れを見送っていた。
「綺麗だろう? 東の谷に巣があるそうだ」
侍女は呆然として、何も言えない。
「母上も皆と話せば、きっと楽しくなる」
ラルフは無邪気に笑って言った。
「……ウィストリア様がご覧になったら、腰を抜かしてしまわれますよ。さ、お戻りください」
侍女はやっと気を取り直して、答えた。
「あまり驚かさないでくださいませ。鳥の言葉がわかる方など、そうはおりません」
「――そうなのか?」
ラルフは納得のいかない顔つきで、侍女と屋敷の中に戻っていく。
その様子を、窓の中から見ている人影があった。
――
屋敷の中はしんとしていて、幾人かの侍女が忙しげに働いていた。静かな長い廊下の端で、カタリナは水差しを乗せたワゴンを止め、扉を叩いた。
「失礼致します、奥様」
カタリナが礼をして入ったその部屋は、薄暗い寝室だった。広い室内にはほとんど余計な家具はなく、窓には厚いカーテンが鬱陶しく掛かっている。
そして奥の寝台に、この屋敷の主人が――ウィストリアが、上半身を起こして座っていた。
小柄な体に白い寝衣を纏い、しっかりと座っている様は、重病人のものには見えない。
が、長い髪は乱れてその横顔は青白く、憔悴している。蒼い瞳は侍女を見ようともせず、焦点の合わない眼差しが何を見るでもなく、宙を彷徨っていた。
「お夕食はいつも通り、こちらでお召し上がりになりますか?」
カタリナは寝台横の台までワゴンを押していくと、台上の水差しを取り替えながら尋ねた。
「ラルフは、何をしていたの」
侍女の問いには答えず、ウィストリアは呟いた。
「裏庭で、あんなに鳥に囲まれて」
「ご覧になっていらしたんですか?」
カタリナは遠慮がちに苦笑する。
「鳩とお話なさっていたそうです。東の谷に棲む群れだと、鳩から自己紹介されたのだとか……」
「鳩……と? 話を?」
ウィストリアの表情が、恐怖に歪んだ。
侍女がはっとしたときには、もう遅かった。
邸内に甲高い叫び声が響き、カタリナは部屋を飛び出した。
「先生! 奥様が……ウィストリア様がまた発作を!」




