13.恋人たちの夜
遅い日が暮れ、屋敷をすっかり夜の帳が包み込む。
レ=オンはどこからか卓と燭台を持ってきて、小さな火を灯した。
「父上から拝領した土地の屋敷だ。この辺りにはいくつもこんなところが点在しているが、今はどれも無人になっている」
落ち着きを取り戻して語る声を聞きながら、カミーユはじっと床に座っている。
「これから、どうなさるおつもりですか」
ぽつりと、カミーユが呟く。レ=オンは故意に明るい声で、
「さてどうするか……明日以降はおそらくここにも、探索の手が伸びるであろうし」
そう言いながら、カミーユを笑顔で振り返る。
「いっそ、南へ逃げるか。まず西へ行って南下して、人間どもの勢力圏まで逃げ切れれば、なんとかなろう」
「レ=オン様」
カミーユは責めるような目で、レ=オンを振り仰ぐ。
「本気で、そんなことをお考えですの?」
レ=オンも作り笑いをやめて、真顔になった。
「――本気では悪いのか」
卓上に置かれた燭台の火が、金の瞳を照らし出す。カミーユは青い瞳で、射すようなその目を見つめ返した。
「王も、ご親族も……国をも、捨ててゆかれるのですか」
「元よりその覚悟だ」
「王として、今この不安定な国を、民を見捨ててよろしいのですか!?」
カミーユの顔と声とが、一段と険しくなる。
「レ=オン様は次代の――」
「王位など要らぬ!」
レ=オンも声を荒げた。
「好きで生まれ就いた身分ではないわ!
この百年、国が私に与えてくれたものと言えば、束縛と重圧でしかなかった! 今さら、なんの未練があるものか!!」
長い間の鬱積を、勢いに任せてカミーユにぶつける。
「国がどうなろうと知ったことか! もはや何も望まぬ!
……私は」
言い知れぬ激情が体の中を駆け巡るのを、レ=オンは堪えがたい想いで感じていた。
「お前さえいれば、それでいい……!」
噛みしめるように言ったレ=オンの、拳が震えていた。
「無理ですわ」
カミーユはゆっくりと、厳しい声で言った。
「どこまで逃げても、振り切れるはずがございません」
「な……」
「レ=オン様もおわかりのはず……」
「何がだ!」
レ=オンはカミーユの前に膝を着き、説得というには激しすぎる声で怒鳴った。
「この広大な世界に、たった二人隠れられぬわけがどこにある。人知れぬ地にて隠棲する者など、山とおろうが!
エルフや妖精や……世捨て人と自ら名乗る、隠者どももな!」
「そういうことを、申し上げているのではございません。
レ=オン様には国をお捨てになることなど、おできにならない、と申し上げているのです」
カミーユはことさら、穏やかな調子で語った。
「今、魔族は極めて政情不安な状態にありますわ。
前の内乱から百年を経たとはいえ、僻遠の地にある諸侯らも未だ野心を育て、隙あらば王に叛意を向ける二心を抱いておりますのに……王太子殿下の出奔など、謀叛の口実を与えてしまうようなものです」
「だからなんだ!? 私は国など知らぬと」
「いいえ!」
カミーユはレ=オンの視線を避け、横を向いた。
「忘れることなど、できませんわ。
レ=オン様は……」
哀しげに、微笑を浮かべる。
「確かに王の血を、そのお心を宿しておられるのですから」
カミーユは目線を外したまま、言い続ける。
「この戦乱の世にあって誰より強靱な……あなた様以上に王に相応しい方など、どこにもおられません」
きっぱりと言い切るその声に、レ=オンのやり場のない怒りが噴き上がった。
「では、どうすればよいのだ!」
両手でカミーユの体を、必死に揺さぶる。
「戻って、素直に妃を娶れというのか!
王の宿命と甘受して、お前を忘れて……それでよいのか!?」
カミーユの頬を、涙が流れ落ちた。
「お許し、ください。私は――」
蒼い、空を溶かした瞳が、レ=オンのほうを向く。
「……生涯忘れることは、叶いません」
嗚咽も上げず、慟哭するでもない、ただ静かに流れる涙。
「想い続ける自由だけは……どうか……」
それ以上の言葉は、レ=オンの唇に塞がれた。
まったくの同種族であったなら、側にいられたかもしれなかった。
貴族でさえなかったなら、禁じる者もおそらくなかった。
何より、王族でなければ――せめて嫡男でさえ、なかったら。
その夜が精一杯の、二人に許された一夜だった。




