12.逃避行
カミーユは旅の支度を整えて衣装箱を閉めると、ほっとため息をついた。
明日には実家からの迎えの馬車が、ロメオに到着する予定だった。
レ=オンに別れを告げられず、顔を見るのも辛くて、今日は森に行くこともできなかった。
つい涙が出そうになって、カミーユは頭を振った。長椅子に腰掛けて、ぐっと両手を握りしめる。
忘れなくては、いけない。
その時。
カミーユは顔を上げた。レ=オンの声が、聞こえたような気がしたのだ。
空耳?
カミーユは苦笑した。
――馬鹿なことを。あの方が来てくださればいいだなんて。
今ここに来て、私を連れ出してくだされば……そんなことを願って、空耳まで……
(カミーユ!)
今度ははっきりと、声が聞こえた。カミーユは思わず立ち上がる。
「……レ=オン様?」
辺りを見回して、必死にその姿を探す。
だが西日の差し込む部屋の中には、自分のほかには誰もいない。
「レ=オン様!」
カミーユの声が、涙声になる。
(カミーユ……“そこ”か!)
カミーユの目の前の、空間が歪んだ。
「きゃ……!」
瞬時に風が巻き起こり、光とともにレ=オンが現れた。
「カミーユ!」
「――レ=オ……」
驚きのあまり立ち尽くしているカミーユの手首を掴み、レ=オンは言った。
「カミーユ、私が好きか」
見たこともない真剣な目で、カミーユに問う。
「え……」
カミーユはその目に射抜かれたようになり、何も言うことができない。
「答えろ、好きか!」
レ=オンが業を煮やしてか、掴んだ手に力を込めた。
手首が、痛い。
「……は」
その迫力に戸惑いながら、
「はい……」
カミーユは、消え入りそうな声で答えた。
「ならば来い!」
レ=オンが叫んだ時、部屋にウラカが入ってきた。
「カミーユ様、湯浴みのご用意が……」
ウラカの目に、主人と主人を腕に抱く少年の姿が映った。
「!? 誰っ……」
その少年に見覚えのあることに気づいて、ウラカは驚愕した。
「あ、あなた様は!?」
二人の周囲を、風が取り巻き出す。
「ウラカ……!」
カミーユの声が風音に消されて、一瞬後にはその姿も消えていた。
「カ……カミーユ様!!」
――
自分を包む瞬く閃光と、烈風。
目を閉じてその中を飛んでいく間、カミーユは無我夢中でレ=オンにしがみついていた。
実際にはほんの数十秒のことだったが、それは果てしなく続く永い営みに感じられた。
不意に、周囲の「嵐」がやんだ。
カミーユがそっと目を開けると、そこは見知らぬ屋敷の中だった。しんと静まり返った邸内には誰の気配もなく、広い部屋はがらんとしていて、いくつかある椅子の上に、白い布が掛けられている。
掃除は行き届いているようだが、人の住んでいないこの様子は、どうやら貴族の別邸らしい。
「――レ=オン様、一体」
「父上が、私の妃を決めた!」
一瞬の暇も与えず、レ=オンが言った。カミーユの肩を両手で掴んで、まっすぐな目を向ける。
妃?
カミーユは、頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「式はひと月後――婚約式は明日。
私の預かり知らぬところで、話を進めていたのだ!」
レ=オンの声が震える。
「勝手に、決定済みだと……
強いられた妻など、誰が娶るものか! 私が欲しいのは……」
カミーユを胸に抱き寄せて、
「私が欲しいのは、お前だけだ!」
絞り出すように、レ=オンは言った。白い髪を、必死に掻き抱く。
「カミーユ……」
カミーユはただ、呆然としていた。
息もつけぬほどの力で自分を抱きしめるその腕が、微かに震えているのがわかる。
悲壮な声の、レ=オンの言葉が頭に木霊する。
(私が欲しいのは……)
知らず知らず、青い瞳に涙が溢れてくる。
(お前だけだ)
同時に、カミーユの胸を止めどもない想いが満たしていく。
「……レ=オン様!」
カミーユは必死で自分を抱くレ=オンに、自らも抱きついた。




