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MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 2 LOVERS - 第2章 知られざる日々
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12.逃避行

カミーユは旅の支度を整えて衣装箱を閉めると、ほっとため息をついた。

明日には実家からの迎えの馬車が、ロメオに到着する予定だった。


レ=オンに別れを告げられず、顔を見るのも辛くて、今日は森に行くこともできなかった。


つい涙が出そうになって、カミーユは頭を振った。長椅子に腰掛けて、ぐっと両手を握りしめる。

忘れなくては、いけない。


その時。


カミーユは顔を上げた。レ=オンの声が、聞こえたような気がしたのだ。


空耳?

カミーユは苦笑した。


――馬鹿なことを。あの方が来てくださればいいだなんて。

今ここに来て、私を連れ出してくだされば……そんなことを願って、空耳まで……


(カミーユ!)


今度ははっきりと、声が聞こえた。カミーユは思わず立ち上がる。


「……レ=オン様?」


辺りを見回して、必死にその姿を探す。

だが西日の差し込む部屋の中には、自分のほかには誰もいない。


「レ=オン様!」


カミーユの声が、涙声になる。


(カミーユ……“そこ”か!)


カミーユの目の前の、空間が歪んだ。


「きゃ……!」


瞬時に風が巻き起こり、光とともにレ=オンが現れた。


「カミーユ!」


「――レ=オ……」


驚きのあまり立ち尽くしているカミーユの手首を掴み、レ=オンは言った。


「カミーユ、私が好きか」


見たこともない真剣な目で、カミーユに問う。


「え……」


カミーユはその目に射抜かれたようになり、何も言うことができない。


「答えろ、好きか!」


レ=オンが業を煮やしてか、掴んだ手に力を込めた。

手首が、痛い。


「……は」


その迫力に戸惑いながら、


「はい……」


カミーユは、消え入りそうな声で答えた。


「ならば来い!」


レ=オンが叫んだ時、部屋にウラカが入ってきた。


「カミーユ様、湯浴みのご用意が……」


ウラカの目に、主人と主人を腕に抱く少年の姿が映った。


「!? 誰っ……」


その少年に見覚えのあることに気づいて、ウラカは驚愕した。


「あ、あなた様は!?」


二人の周囲を、風が取り巻き出す。


「ウラカ……!」


カミーユの声が風音に消されて、一瞬後にはその姿も消えていた。


「カ……カミーユ様!!」


――


自分を包む瞬く閃光と、烈風。

目を閉じてその中を飛んでいく間、カミーユは無我夢中でレ=オンにしがみついていた。

実際にはほんの数十秒のことだったが、それは果てしなく続く永い営みに感じられた。


不意に、周囲の「嵐」がやんだ。


カミーユがそっと目を開けると、そこは見知らぬ屋敷の中だった。しんと静まり返った邸内には誰の気配もなく、広い部屋はがらんとしていて、いくつかある椅子の上に、白い布が掛けられている。

掃除は行き届いているようだが、人の住んでいないこの様子は、どうやら貴族の別邸らしい。


「――レ=オン様、一体」


「父上が、私の妃を決めた!」


一瞬の暇も与えず、レ=オンが言った。カミーユの肩を両手で掴んで、まっすぐな目を向ける。


妃?

カミーユは、頭を殴られたような衝撃を覚えた。


「式はひと月後――婚約式は明日。

私の預かり知らぬところで、話を進めていたのだ!」


レ=オンの声が震える。


「勝手に、決定済みだと……

強いられた妻など、誰が娶るものか! 私が欲しいのは……」


カミーユを胸に抱き寄せて、


「私が欲しいのは、お前だけだ!」


絞り出すように、レ=オンは言った。白い髪を、必死に掻き抱く。


「カミーユ……」


カミーユはただ、呆然としていた。

息もつけぬほどの力で自分を抱きしめるその腕が、微かに震えているのがわかる。


悲壮な声の、レ=オンの言葉が頭に木霊する。


(私が欲しいのは……)


知らず知らず、青い瞳に涙が溢れてくる。


(お前だけだ)


同時に、カミーユの胸を止めどもない想いが満たしていく。


「……レ=オン様!」


カミーユは必死で自分を抱くレ=オンに、自らも抱きついた。

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