7.別れ
それから十日あまりの間、レ=オンは森に行くことができなかった。
父のドルアーグ王に同行させられて、南西方面の地方評議会を、視察に回っていたのである。
王宮に帰還したその日、ようやく侍従の隙を見て抜け出した。
“二人”が変わらず待っていてくれることを願って、レ=オンは翔んだ。
森に着くと、大股で歩きながら声を張る。
「クーガ! クーガ!!」
レ=オンは大声で呼んでみたが、ドラゴンは現れず、森は静まり返っている。
何者かの気配を感じて、レ=オンは川へ向かった。
岸に出たそこに、カミーユが座っていた。
「カミー……」
レ=オンが安堵して近づくと、その腕にはクーガが抱きかかえられていた。
眠っているかのように、瞳を閉じた小さな体。
――違う。眠っているのでは……ない。
「……クーガ」
レ=オンの声に、もはや答えることもない。
クーガの体は全身の鱗が抜け落ちて、青みの失せた、白灰色の抜け殻に変わり果てていた。
カミーユは無表情で、視線を落として微動だにしない。
レ=オンはその横に座り、友の亡骸を見つめた。湧き上がる哀惜の念を、じっと耐えるほかなかった。
「……水葬、でしたわね」
ぽつりと、生気のない声でカミーユが呟いた。
「ドラゴンは皆、水に還るものだと、聞いたことがございます」
カミーユの目は前方の川を見つめていて、レ=オンには視線を移さない。いつにも増して白いその横顔に、レ=オンの胸は痛んだ。
「――ああ」
レ=オンは短く応えて、クーガの遺体をカミーユの手から抱き上げた。
その体はあまりに軽くて、驚くほど冷たい。
せめて、最期を看取ってやりたかった。
レ=オンが立ち上がって川に進み出ると、
「私が!」
カミーユが制するように立った。まっすぐ、毅然とした顔でレ=オンを見つめる。
「……わかった」
レ=オンは友を、カミーユに手渡した。
カミーユは愛おしげに竜を抱いて、川縁にしゃがんだ。
ドレスの腰に垂れた帯の先を切り裂いて、丁寧に遺体をくるむ。白い布の中に、なお白いクーガの顔が見えなくなる。
カミーユがそっと水の中に滑り込ませると、白い塊は一旦沈みかけてから浮き上がり、ゆっくりと下流へ流れていった。
二人は無言で、友の行き先を見送った。小さな包みが見えなくなり、それでも動かなかった。
随分と長い間そうしていたが、上のほうから羽ばたきが聞こえて、思わずレ=オンは空を仰いだ。
山鳥が、頭上高く飛び立っていく。その姿を確認すると、レ=オンはカミーユに目をやった。
動かない白い頬を、涙が伝っていた。
「――カミーユ……」
声も出さず、身動き一つせず、カミーユは泣いていた。
涙だけが青い瞳から溢れ、流れ零れ落ちていく。
レ=オンは堪らず、カミーユを抱きしめた。
「泣くな……!」
細い肩を、精一杯の想いで抱いた。
カミーユは驚いたのか、声も出さない。
やがて、張りつめていたものが切れたように、カミーユはレ=オンの肩口に顔を埋めた。
声を殺しながら、泣いている。
「泣くな……」
レ=オンは必死に、その想いを受け止めていた。
――
その日、王城に戻ってからも、カミーユのことが頭から離れなかった。
レ=オンはもちろん、女の涙を初めて見たわけではなかったし、それに弱いわけでもない。
――あんな風に泣くとは、思わなかった。
気の強いカミーユのこと、泣くときもさぞかし、派手に号泣するのだろうとレ=オンは思っていた。ヒステリックに喚き回って、醜態を晒すことだろうと。
だが今日、自分が目の当たりにしたのは、静かな涙だった。気丈に、哀しみに耐えているというよりも、無表情に近い泣き顔。
その姿がかえって、レ=オンの胸を打った。
「……レ=オン! 聞いているのか、レ=オン!」
ドルアーグの怒声に、レ=オンは我に返った。
大事な話があると、王の私室に呼ばれていたところだった。
「お前に与える領地の話をしているのだぞ。真面目に聞かぬか!」
「……はい、父上」
「よいか。お前もすでに、百年を生きた。成人には間があるが、此度北部の……」
素直に答えておきながら、レ=オンはまだ、カミーユに心を占められていた。
自分の腕の中で、声を立てずに泣いていたカミーユ。抱きしめた体の震えが、痛いほどその悲しみを告げていた。
(もう大丈夫です。――申し訳ございません)
そう言いながら、帰り際にまだ赤く、潤んでいた瞳。
「レ=オン?」
レ=オンは立ち上がって、父に頭を下げた。
「少々、気分が悪しくございます。お話はまた」
「待て、レ=オン!」
父の声を顧みず、レ=オンは部屋を出た。
――クーガはもういない。
あの森を訪れる理由も、なくなってしまった。
廊下を歩きながら、レ=オンはクーガの姿と、カミーユの泣き顔を思い返していた。




