3.拒まれる者
「不満そうだな、ジーク」
物問いたげな表情で黙っている側近に、イレーヌのほうから口を開いた。
人間の男は鎖すら繋がれず、ほかの幕舎内に移されている。もっとも、抵抗の気配はなかったが。
「何も裏などないぞ。ダイスはいつの日か、必ず報復を受けるであろう」
杯を空けながら語る主人の言葉を、ジークは俯いたまま聞いていた。
「なぜ、と問わぬのか?」
ちら、と視線を投げる。こうした思わせぶりな態度は、いつものことだ。
ジークはずっと考えていた。
自分はイレーヌが第四軍の将軍位に就いたころから、十年あまり仕えてきた。
気まぐれでわがままな、妖精特有の気性もよく知っている。そして彼女が、魔天王を心底愛していることも。
裏切るはずがないことも……。
「私の心は、以前から知っておろう? あの男に、どれほどの嫌悪を感じていたか」
そうなのだ。
ダイス・グウィド将軍。
平民ながら、その剣才を王に認められ将軍位を授けられた。それより二十年の間、元帥のラルフ・ユージィン・ヴォルグナー公爵、そして魔天王の養女ヴェナ・ヴィ・ラング将軍とともに、魔天軍を支えてきた男である。
魔天王ガルシアの幼なじみであり「魔天公爵」の身分を持つラルフは、当初将軍として第一軍を率いていた。
だが将軍が増えたころから元帥となり、もっぱら征服地において軍の統率と民の統治を行っている。
第一軍は少数精鋭の軍に再編成され、彼らはラルフの命を受けて各地を治める軍事行動を取るか、第二軍以降の支援活動をする。
王女であるヴェナも、最前線より追撃や征服の仕上げとなる動きが多い。
ゆえに十年前、イレーヌが第四軍の将軍となるまで、実質的に戦場の総大将であったのはダイスだった。
しかし、あの男は――。
「確かに、剣士としてはその才を認めよう。
しかし、あの者の働きは陛下の理想を助くるためのものではない」
イレーヌは二杯目の杯を飲み干し、酒瓶の置かれた台座にもたれて軽く息を吐いた。
「あの者の欲するところは、己自身の権力と――この、私だ」
ジークは顔を上げ、主人を見た。
「ダイスは謀叛を企んでいる。己が欲望を満たすためにな」
目を見開くジークに、イレーヌは淡々と続ける。
「わかるか、ジーク。あの痴れ者は、たかがフェアリア一人を手中にするため、主を弑逆するつもりでいるのだ。
あろうことか、その力が己にあると過信している」
侮蔑を含んだ口調でそう言いながら、イレーヌは三杯目を手に取った。
「あの無骨者は、私が陛下の何に惹かれているのか、まるでわかっておらぬのだ」
黙ったまま咎めるようなジークの視線に、イレーヌは口を付けずに、杯を台に置いた。
「酔ってはおらぬぞ。……人間は、他種族に比べ力も魔力も寿命すら劣る者だ。
しかし、この地上に最も多く存在する。そのわけは、病に対する肉体の強靱さのみではない。
何よりも、己を支える野心があればこそだ」
魔天軍が魔天王ガルシアの下、大侵攻を開始してから、五十年近くが経過した。
その間、魔族にエルフ、巨人に小人、果ては妖精に至るまでが、その力の前に屈し、制圧されてきた。
現在では全土の四分の三ほどが、魔天軍の配下にある。
だが人間だけは頑強に抵抗を続け、今なお最大の敵軍として、存在している。
個々の兵士としても、魔天軍に人間はほとんどいない。
「劣っていながら、明らかに種の上限を超えた者が、必ず少数出現する。それが人間の強さなのだ。
……あの者の眼を見たか、ジーク」
言われて、ジークは先刻見た人間の目を思い出した。
漆黒の闇色をしていた。喰らいつくような眼で、気圧されながらもジークを睨んで。
「ラシードも、あるいは人間を超える者やもしれぬ。試してみる価値はある」
「ですが、何も敵兵を助けてまで」
「ようやく答えたな」
一瞬怯んだ側近に、イレーヌはふっと笑った。
「臣下の離反など、主人の恥となる。名誉の戦死とあらば、将軍の名にも傷はつくまい?
だから……な、ジーク」
近づき、背の高い部下を見上げながら、イレーヌは囁いた。
「メッサーには、気取られぬようにしておけ」
「は……?」
少し退こうとするジークの首に手を回し、優しく髪を撫でる。
「あれも側近としては有能だが、エルフにしては他種族に打ち解けぬ。
ことに人間に対しては、敵愾心が強い」
「イレーヌ様……」
困惑するジークの様子など意に介さず、イレーヌはさらに顔を近づけた。
「ラシードは必ず承諾する。剣技はそなたが見てやれ。魔術は追々、私が見る」
「イレーヌ様が!?」
「そう……よいな、ジーク」
返事をするより先に、唇が触れていた。




