2.思わぬ再会
「カミーユ、お前をしばらくの間、このお屋敷にて公爵に預かっていただく。
このロメオは交易の場でもあり、公爵の別邸ということで、来客が多い。さまざまな方々のお相手をして、子爵の娘として恥ずかしくない、相応の立ち居振る舞いを身に着けるがいい」
こうした父の意向で、カミーユはウラカとともに、ロメオに留まることとなった。
年頃になっても縁談を渋る娘に対し、いわば「花嫁修行」を申し渡したわけである。
子爵は当然娘の反発を予想していたが、意外やその返事は素直なものだった。
「はい、お父様」
不満げな顔をするでもなく、そう応えたカミーユに、父は不安と戸惑いを覚えた。
ともあれ、気の変わらぬうちにと後ろ髪引かれる思いを振り切って、子爵は一人寂しく帰っていった。
父の思惑をよそに、カミーユはのびのびと日々を過ごした。
我が家にいても、礼法等の勉強をしなければならないことに変わりはない。それならば他家にいるほうが、遠慮のない小言を言われない分、いくらかましというものだった。
「お父様は、私を誤解なさっているわ。まあ、そのほうが好都合でもあるけれど」
その言葉通り、子爵が思っているほど、カミーユは礼儀知らずというわけではなかった。
むしろ、貴族の娘には十分な作法や教養を、人並み以上に身に着けていると言える。
お転婆であるが公式の場に出れば、立派に振る舞う。少々利発すぎて控え目とは言いがたい言動もあるものの、それも自由な若い娘の、魅力の一つであった。
ただ、素直に「修行」をする一方で、カミーユはしょっちゅう屋敷を抜け出した。一体どこに行っているのか、乳母のウラカも知らなかった。
「姫様、また、外へお出かけになったのですか?
どちらにおいでなのか、せめてウラカには、お教えくださいませ」
「駄目よ、まだ。そのうちには、連れていってあげるわ」
「カミーユ様……」
「心配しないで、危ないことをしてるわけではないから。
びっくりすることだとは思うけど……もう少し、そっとしておきたいの」
悪戯っぽく、カミーユは笑った。
――
抜けるように青い空を、飛翔している黒い人影があった。
「……! 見えた」
一直線に森の中に降りていったのは、レ=オンだった。今日はゆったりとした、普段着の黒装束を身に纏っている。
「いい風だ。この森の『気』は、心地よい」
先日ロメオに赴いた際、南の山間に見つけた小さな森だ。王宮を抜け出して散策するのに、絶好の場所である。
昼寝をするだけでも、王太子としての身分に縛られた王宮では、息がつまる。魔術の修練も剣の稽古も、すでに師匠は必要なく、相手になる者もいない。
王宮にいては、なんの気晴らしもないのである。
「この辺りでよいか」
小川の横の木陰に寝転ぶと、レ=オンは目を閉じた。
涼やかに吹く風が、木々のざわめきを子守歌にする。うららかな午後の、静かなひととき。
忍び寄る睡魔にレ=オンがまどろみ始めたころ、何かが、額に触れた。
「――ん?」
ゆっくりと目を開けると、自分の顔に覆い被さった「何か」が、今度は鼻の上まで、赤い舌先を伸ばしていた。
「うわっ!」
飛び起きて見ると、それは小さな「雷皇」だった。
「サンダードラゴン……の、幼生!?」
白く輝く鱗に全身を覆われた、鶏よりも少し大きいぐらいの、竜の子供だ。成体とは似ても似つかぬあどけない顔で、黒い瞳を見開いている。
ドラゴンはキイイッと一声鳴くと、小さな翼をばたつかせて、レ=オンの胸に飛び込んできた。
人懐こい飼い犬のように、レ=オンの顔を舐め回す。
「こら! こら、やめぬか!」
言いながら、レ=オンは両手でその竜を捕まえた。ドラゴンはきょとんとした顔で、レ=オンをじっと見ている。
「お前、本当にドラゴンか……?」
レ=オンはこれまで、竜族を見たことがなかった。
話に聞くその性情は、幼生といえども、容易く人には懐かないはずである。成体とならなければ知能も能力も発達しないとはいえ、野性の獣以下の警戒心のなさだ。
しかし、小さな一対の角、鼻先の突起、尾と翼と爪までの鱗――その姿はまさしく、書物にて知るサンダードラゴンだった。
「……だな。しかし……」
あまりに無防備な愛くるしい様子は、笑いを誘う。レ=オンが吹き出すと、ドラゴンは唸るように鳴いて、またレ=オンの顔を舐め出した。
「ああ、わかった、わかった。――信じられんな」
おかしくて、レ=オンは声を上げて笑った。その間も、ドラゴンはレ=オンにじゃれていた。
「お前、この森に独りでいるのか?」
ようやく笑いを堪えると、レ=オンはこの竜の出自が気になった。
ドラゴンは今や、世界に十数体しか存在しないと言われる。その中でもサンダーに限ると、五体もいないだろう。こんな小さな森に、成体の棲み処があるとも思えない。
竜は単体生殖であり、卵を産み落とすと死ぬという。
目の前の幼生が生後どれほどになるのか、レ=オンには見当がつかなかった。
ドラゴンが不意に耳を立てて、誰かを呼ぶように鳴き声を上げた。
何かが、近づいてくる気配がある。
……まさか。
レ=オンが思わず立ち上がると、茂みの向こうから声が応えた。
「クーガ!」
現れたのは、カミーユだった。
宴の時に纏っていた薄布を外したような、白い簡素なロングドレス姿である。
ドラゴンは尻尾を振って、カミーユのほうに飛んでいく。
カミーユはドラゴンを抱き止めながら、目を見開いてレ=オンを見た。
「な……え……?」
「お前は……」
しばらく二人とも呆然と、互いを見つめた。
やがて、ドラゴンがクンクンと鼻を鳴らして甘えるのにはっとして、カミーユのほうから口を開いた。
「王太子殿下には、ご機嫌麗しく。
妙なところでお会いしますこと。こんな森に、一体なんのご用ですの?」
頭を下げて挨拶をしながらも、棘を感じる物言いにむっとして、レ=オンも応じる。
「お前こそ、どうしたのだ。公爵家で礼儀を学んでいるのではなかったのか?
あまりのがさつさに子爵も手を焼いて、頼み込んで花嫁修行をさせているのだと聞いたぞ」
「がさつですって!?」
「もっともその様子では、大した成果は上がっておらぬようだな」
小馬鹿にするような目で畳みかけるレ=オンに対し、カミーユはぐっと堪えて、静かに言った。
「相変わらず、口がお悪くていらっしゃいますわね。
そちらこそ気ままに遊び歩いておられるので、王太子の自覚が足りぬと、陛下は嘆いておいでだとか。
王宮から程遠いこんな森まで抜け出してこられるなんて、周囲の方々のご苦労が偲ばれますわ」
冷ややかな口調で、カミーユは大袈裟に目を伏せてみせた。
「言わせておけば……」
レ=オンが勢いづいて近づくと、
「キギャーッ!」
と、ドラゴンが仲裁するように大声で鳴いた。
「クーガ……」
カミーユがドラゴンに視線を落とすと、その頬を舐めて、尻尾を振っている。
カミーユはふっと息を吐いて、再び頭を下げた。
「――失礼致します。口論は、『主』のお気に障るようですので」
そう言うとくるりと背を向け、ドラゴンを抱えたまま、歩き出した。
が、少し行ったところで振り返り、
「ここは、主の許可なしでは入れませんの。これからはご遠慮くださいませ!」
と言って、茂みのさきへ行ってしまった。
レ=オンは呆気に取られ、立ち尽くしていた。
「何を、偉そうに。言われずとも、来るものか!」
遅れて叫んだ声が、カミーユに届いたかどうかは、わからなかった。




