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MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 2 LOVERS - 第2章 知られざる日々
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1.最悪の出逢い

これは、かの王が生まれる以前の物語。

やがて世界を揺るがす炎となる、一番はじめの火種。

誰に知られることなく燃え上がり、消えていった小さな……


小さな、想い――


――


夏の始めの昼下がり、穏やかな陽光に緑が美しく映えていた。

屋敷内には魔族の人々が、白きも黒きもさざめき笑い合い、宴の準備はつつがなく執り行われている。


王宮の東方に位置するロメオの街、ここは街の南側に離れた丘の上にある、魔天公爵の別邸である。

公爵の屋敷にしては手狭だが瀟洒なこの屋敷で、今日は魔天王も招いての貴族の集会――と無粋な呼び方の似合わぬ、華やかな宴が催されることになっていた。


夕暮れ前でまだ主人の挨拶も行われていないが、すでに招待された有力貴族は到着し、大広間に集って談笑し合っている。厨房や裏方の者は忙しく働き、間もなくの開宴を皆が心待ちにしていた。


その中で騒がしく、表側の廊下を走り回っている女たちがいた。


「姫様ー!

姫様、カミーユ様ーっ!!」


白魔族の侍女たちが、廊下から階段へと慌ただしい声を響かせている。


「公爵の邸内だぞ、騒々しい。

ウラカ、カミーユはどうしたのだ」


口髭を貯えた中年の白魔族が、一人の侍女を捕まえて顔を厳めしく曇らせた。

背は低いが招待客の中でも一際品があり、着飾ってはいないものの、白装束にそこはかとなく威厳を漂わせている。


「申し訳ございません、子爵様。先ほどから、お姿が見えません」


小太りで少し歳のいった侍女が、恐縮して頭を下げた。


「控えのお部屋にも、広間にも……お屋敷の隅々まで、お探ししているのですが」


「――またか!

今日は魔天王陛下も、王太子殿下を伴われてのご臨席なのだぞ!?

それを公爵の血縁たる、ヴァロア家の娘ともあろう者が……!」


主人の叱責に、その娘の乳母でもあるウラカは、丸い体をさらに丸めて身を縮ませた。


「ええい、探せ、探せ!

お目通りの時までに、探し出すのだ!」


「は、はい!

姫様ーっ! カミーユ様、どちらにおられますかー!?」


――


そのころ、中庭の茂みの中に、何か動くものがあった。


「……ふうっ!」


四つん這いになって出てきたのは、美しく着飾った白魔族の娘だった。

長くウエーブがかった髪に木の葉が絡みついていて、とても貴族の令嬢とは思えない格好である。


「どうにか抜け出したわ」


娘は髪とドレスを叩きながら、大きく深呼吸した。


「まったく、陛下ご臨席の宴席だなんて、冗談ではないわ。

こんなところまで連れてこられて、縁談を強行されでもしたら、断るのも一苦労しそう。

お父様も、数多い娘のうちの一人ぐらい、不出来を諦めてくださればいいのに」


ぶつぶつと文句を言っているこの娘こそ、ヴァロア子爵令嬢カミーユ・フォン・ヴァロア、その人である。

カミーユは勝気そうな目で辺りを見回すと、その場に座り直して天を仰いだ。


雲一つなく広がる空は、いつにも増して青い。

見つめていると、吸い込まれていきそうである。


――こうしていると、自分がとても小さなものに感じられる。

手を伸ばせば届きそうでいて、決して掴めないあの青。この瞳には同じ色が宿っていながら、なんて遠く隔たっているのか。


風の音が、静かに辺りを渡ってゆく。

カミーユは目を閉じて、じっとその音に聞き入った。


そうして座っている様は、高貴で美しい。

体つきは優美で顔立ちも整い、大きな瞳は空よりも明るく、澄んだ青である。袖なしの白いドレスの上に青い薄布が全身を覆う重ねの衣装で、華奢な腕が青の向こうに、ほんのりと透けて見える。


胸元に子爵家の紋章を型取った銀の飾りが光り、ほかには装飾品を着けていない。それがかえって、年頃の娘の艶やかさを際立たせていた。

誰が見ても申し分ない、父の子爵がその気性に悩まされながらも、溺愛して無理のない姿である。


ふと、遠くから誰かが呼ぶ声がして、カミーユは耳をそばだてた。どうやら庭のほうにも、捜索の手が伸びてきたようである。

カミーユは後ろを窺い振り返りながら、そっと立ち上がって足早に歩き出した。


と、足元に何かがあった。


「きゃ……!」


その「何か」に躓いて、カミーユは勢いよく、前に倒れ込んでしまった。


「痛っ!」


顔を上げると、そこには人の足があった。


「ぶ……」


「無礼者!」


思わず自分が怒鳴ろうとしたのと同じ言葉が返ってきて、カミーユは驚いた。


見ると、若い黒魔族の男だった。


自分と同じぐらいの年齢か。

綺麗すぎるほどの顔は非常に端整で、ことに珍しい金色の瞳が目を引く。黒の比較的ぴったりとした服装は貴族の子弟らしい礼装で、金細工で左肩に止めた黒いマントを、身体の下に敷いている。

少し長目の黒髪に草が付いていて、どうも昼寝をしていたらしい。


少年はまっすぐに、カミーユを睨んで言った。


「突然人の足に伸しかかるとは、何事だ!!」


「な……」


「さっさと退()け!」


少年の足の上に覆い被さっていたカミーユは、慌てて上体を起こした。


「無礼と言うなら、そちらこそだわ。

こんなところに寝ていたら、踏まれても仕方がないでしょう」


カミーユも、きつく睨み返した。


「先ほどからの高慢なお言葉、私が誰か承知の上での非礼なのかしら?」


「お前こそ、私を誰だと思っている」


「さあ、存じませんわ。

でも宴を抜け出して、中庭で寝転んでいるところを見ると、ご身分のほども知れたものではないかしら」


「なんだと……!?」


取り澄ました顔でつんと横を向いたカミーユに、少年はさらに立腹して眉を吊り上げた。


「その様子では、抜け出してきたのはお前も同じだろう。どこの田舎貴族か知らぬが、とんだ令嬢もあったものだ」


「なんですって!?」


火花も散らさんばかりに睨み合い、双方一歩も譲らない。


「カ……姫様ー!」


「……ン様ー! レ=オ……ー!」


二人を探し回る声が、だんだんと近づいてきた。

少年はすっと立ち上がると、一段ときつい視線をカミーユに浴びせて、自分を呼ぶ声のするほうへ行ってしまった。


「姫様! まあ、こんなところにおいでで!」


その反対側から、ウラカが体を揺すりつつ、茂みを掻きわけて現れた。


「旦那様がお怒りですよ。もう宴も、始まっております」


主人を見つけた乳母が安堵のため息とともにそう言うと、カミーユは物も言わずに立ち上がった。


「カミーユ様? どうかなさいましたか?」


「戻るわ」


それだけ応えて、カミーユは屋敷に向かって歩き出した。


「何よ、あの男……!」


小声で何か呟くカミーユの様子に戸惑いながら、ウラカは(せわ)しくそのあとを追った。


――


「どこに行っていたのだ、カミーユ!」


廊下で待っていた子爵は娘を見るなり、駆け寄って怒号を上げた。


「まったく、もう間もなく陛下のお言葉があるところだぞ。

なんだ、髪もこんなに乱れて!」


カミーユは仏頂面で、返事もしない。


「ウラカ、カミーユの身なりを整えろ。私は公爵に挨拶せねば」


乳母にそう命じると、子爵は大広間のほうへと慌ただしく去っていった。


「カミーユ様、こちらへ」


ウラカは控えの部屋へカミーユを促し、鏡台の前に座らせた。


「本日は王太子殿下もいらっしゃるのですから、きちんとなさいませんと」


手早く、カミーユの髪を梳かし始める。カミーユは相変わらず黙り込んで、先刻の少年のことを考えていた。


……一体、誰だったのか。

黒魔族の貴族はあまり知らないけれど、あんな横柄な態度は、見たことがない。


「殿下はカミーユ様とお歳も近くていらっしゃいますし、少しばかり殿下のほうがご年少であられますけれど、よいお話相手になられるかもしれませんわ。

王族にしては気さくで、快活な方だそうですから」


ウラカが話しかけるが、カミーユは聞き流して考え続ける。


――誰だか、従者が名前を呼んでいた。

なんて言っていたか……確か、レオ……?


「さ、よろしゅうございます。では、大広間のほうへ」


乳母の言葉に曖昧に頷き、宴の会場へ向かう。

扉の前で警護の兵に礼をされ、ウラカに見送られて、大広間の中に入ったその時。


「我が嫡男レ=オンも、次なる魔天王として、皆の支援を受けられることを……」


広間の奥に設えられた一段高い上座から、魔天王が挨拶をする声が耳に入ってきた。

見ればその傍らに、一人の少年が立っている。


カミーユは、あっと声を上げそうになった。中庭で会った、あの少年だったのだ。


「やっと支度ができたか。早くこちらへ参れ!」


王を見上げて話を聞いている人々の中から、子爵が小声で呼んだ。


「何をしている、カミーユ!」


子爵は周囲を気にしながらやってきて、呆然としている娘の手を引いた。


「エレノアが病に伏しているので、代わりに娘のお前を連れてきたというのに。

陛下のお言葉も、もう済んでしまうではないか」


――陛下の、ご嫡男。


ぼんやりと王のほうを見ている娘の様子に気がついて、子爵は言った。


「ああ、お前はまだ、存じ上げていなかったな。

陛下の横におわすお方が王太子殿下、レ=オン様だ」


その瞬間、カミーユとレ=オンの目が合った。



魔天王の挨拶が終わり、拍手が起こって静まると、あちこちで思い思いの会話が始まった。

大柄な体躯を黒服で包んだ魔天王は、座に着席し、小さなため息をついた。


時の魔天王の名は、ドルアーグ。

若き日々を戦場で長く過ごしたその勇猛さと、多くの子を様々な女性に儲けたその多情さで、他種族にも有名な「荒振る王」である。

豊富な髪や鼻下から顎全体を覆う見事な髭が、鷲鼻や吊り上がった眉と相まって、王者の風格を漂わせていた。


容貌の似ていない息子をちらりと見て、王は零した。


「まったく、お前がおらぬので、挨拶も滞ってしまった」


父親の愚痴を意に介さず、レ=オンは小声で囁いた。


「父上、あの者ご存じでございますか」


レ=オンが指差す方向を見て、王は答えた。


「ん? ああ、ヴァロア子爵か?

ジルベール・ヴォン・ヴァロア、先代公爵の従妹筋に当たる有力者だ」


「その隣の娘です」


「……おお、カミーユか。子爵の第四女で、女子の中では唯一の嫡出よ。

活発すぎるのが珠に瑕だが、美貌も魔力も、公爵令嬢にも優ると評判の娘だな」


――魔天公爵の一族の、子爵令嬢。



(なるほど、道理でな)


(あの傲慢な態度……!)



「あの通り、王妃様譲りの端麗なご容貌に、魔力も高くていらっしゃる。

ご性情も素直で……」


(社交辞令も弁えないで、素直どころか、無礼と呼ぶべきよ)


「勝気なのは、身に持つ才の高さゆえだろう。

子爵には不満もあるようだが、幾度か話した様子では聡明で明朗な、心根の優しい娘だと感じた」


(勝気も過ぎると、愛嬌では済まぬ。女の自尊は、恥ずべきことだ)


「戦も続き、亡き王妃様は病がちで、陛下には待望のご長男であられた。

皆の愛情を一身に受けられ、自由奔放にご成長なさったところが、人望も集められた所以であろう」


(甘やかされて育ったものだから、あんなに尊大になったのね)


「子爵自身も、結局のところは目の中に入れても痛くない、というほどの溺愛ぶりだ。

公爵にも目をかけられ、可愛がられているらしい」


(窘める者もおらぬから、ああも我が強くなるのだ)



(――まったく、なんて……)


(なんて女だ……!)



これが二人の、出逢いだった。

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