32.王の決断
第四軍の陣営では、幕舎内の寝台でイレーヌを休ませていた。
ジークはその前に立ち、主人を守れなかったことを恥じていた。同時に、ただ疲れただけに見えるイレーヌの様子に、安堵もしていた。
詳しい話は、まだ聞いていない。主人が回復してからでいいと――そう思った時。
巨大な魔力を隠しもせず、ガルシアが目前に現れた。
「――陛下!」
ジークが真っ先に跪き、周囲の兵も倉皇として膝を折った。
ガルシアは無言で、幕舎に入る。
「イレーヌ」
「! 陛……」
「無理に話すな」
寝台に横になっていたイレーヌが体を起こそうとするのを支え、ガルシアは優しく囁いた。
「休養が必要であろう。王宮へ連れ帰るぞ」
イレーヌは柳眉を寄せ、何か言いたげに口を開いたが、黙って頷いた。
自分が役目を果たせなかったせいで、王宮に戻されると誤解したかもしれない。
「もうよかろう。お前は、我が手のうちにて守る」
「それ、は……」
ガルシアは戸惑うイレーヌを抱き上げ、幕舎を出た。ジークを筆頭に、兵は跪いた体勢のままだ。
「ジーク・リフ・アラート」
「はっ」
「今ここでイレーヌを将軍の任から解き、そなたに将軍代理を命ずる。今後の進軍については、しばし待て」
ガルシアの宣告に、ジークがピクリと動いた。ほかの者もほとんど体は動かさなかったが、兵全体に動揺が走った。
「陛下……」
イレーヌが哀し気に、ガルシアを見上げる。
「お前はこれまで、よくやった。此度も、十分な働きを見せた。
この先は、私に守られよ」
ガルシアが微笑んでみせると、失望させたのではないと通じたのか、イレーヌの顔が和らいだ。
「よいな、ジーク」
「――御意」
ジークは頭を下げたまま、答えた。
別れの言葉もなく、イレーヌはガルシアとともに、転位で消えた。
――
やがて、人間の軍に噂が走った。
ルーンは崩壊し、セイントサイドは魔天軍の監視下に置かれた。予言された「神の復活」に必要な「鍵」は、魔天王に奪われた――。
噂の出どころは、セイントサイドの声明だという話も流れた。セイントサイドが魔天軍に占領されたのは、人間の軍が確認した事実だった。
それでは疑う余地がない、そう考える者が多かった人間の国々には、瞬く間に情報が広まった。
誰にも手出しはできない。魔天軍を止め、人間を救うと思われた予言はならないのだ、と。
この顛末は魔天軍の意気をますます上げ、抗う人間たちにとっては、敗北を確定的な未来と思わせるものだった。
イレーヌは王宮の奥の宮の一室で休養しており、侍女を介して外の有様を聞いた。
ガルシアには、「お前の戦功は認めるが、“遊戯”はこれにて終いだ。もう戦わずともよい」と言われた。
遊戯。ガルシアは庇護する者を、望む通りにさせてくれたのみ。
イレーヌの戦力は、侵攻に必須のものではない。
「何者か」に奪われる懸念があるぐらいなら、王宮内の檻に囲う。
そう判断されたのだ。
ジークにも、ラシードにも何も言えずに軍を離れた。
部下たちにも罪悪感が微かにあるものの、イレーヌの心を占めるのは、「自分を救ってくれた当人」のこと。
「……ラルフ様」
誰にも聞かれない場所でだけ、イレーヌは彼の名を呼ぶ。
ラルフに触れられたのは初めてだった。腕に抱かれた――が、彼はイレーヌを助ける以外、何も言わなかった。
いつもの、無表情も変わらずに。
寝台から起き上がり、イレーヌはゆっくりと立ち上がった。着ている服は、体を包む一枚の薄衣のみ。
裸足で窓際に近づくと、陽が暮れようとするころだった。
王宮で、守られる。ガルシアの、側で。
現れたのはラルフだったが、ガルシアの命令に応じたのだろう。ガルシア自身が動けるなら、彼が来たはずだ。
王命がなければ、ラルフが単独で自分のために動くことは、ありえないのだから。
陽が沈み、空から暗い帳が降りてくる。闇夜が、やってくる。
闇色に包まれる――それが、今の自分の居場所なのだ。
安堵していい。
ただ、囚われていればいい。
「陛下」
呟いた。……表のほうから、何かがイレーヌに「応えた」。
ガルシアに、声が届いたのだ。やがてここに、現れるだろう。
「お待ちしております」
愛する人の側にいられる。呼べばすぐ会える。
そうなったことを間違いなく喜びと感じながら、心にはわずかな、決して消せない白い影が残る。
自分を抱いた腕。
いつもとは違う男の、体温の記憶。
イレーヌが物思う間に、窓外を闇が包んでいた。
(第1章完)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作では「章」を物語の区切りではなく、
登場人物たちが生きた「時代(Period)」として区分しています。
2章より、過去編が始まります。
時系列では5章まで過去編が進み、5章の続きが1章となります。
この先もよろしくお願いいたします。
なお、Xで作者によるキャラクターデザインを公開しています。
現在はヘッダーにガルシア・ラルフ・イレーヌを出していますが、少しずつラフ画をポスト予定です。
作者が考えているキャラクターの見た目に興味のある方はどうぞ。




