30.賢者と呼ばれし者
ジークを乗せて飛んでいた飛竜は、突然怯えたような声を上げた。
強い魔力を感じ、ジークもその背で振り返った。
ふっと一瞬光が見えたと思った瞬間には、その光は竜の横を駆け抜けて、遥か前方に消え去っていた。
「今の光は……」
ジークには見極められなかった光の中で、ラルフは竜とその背の人の姿を、視界にはっきりと捉えていた。
ジーク。
側近が今ここにいるということは、イレーヌは一人。
ラルフはさらに勢いを増すと、大陸を抜けて外海を目指した。
少しずつ、脳裏に知らされた景色が近づいてくる。
翔び続けて雲の波を抜けたころ、ラルフは異様な空気を感じた。と、前方の空に巨大な雲の輪が連なり、ところどころ、閃光が走っているのが見えた。
「――あれか」
気流は荒く、唸り始め、凄まじい大気の反撥力が生じている。
圧迫感を感じながらも、速度を緩めずラルフが近づくと、雲の隙間から竜の姿にも似た雷光が垣間見えた。
その時、雷は意思を持つかのごとく猛り狂い、侵入者を抹殺せんと襲いかかってきた。
が、ラルフを包んだ雷撃は一瞬にして、その腰に着けられた刀の中に吸い込まれた。
雷雲の結界による攻撃など、妖刀を持つラルフに効きはしない。
『解界(結界消滅)』がならずとも、穴の穿てぬものでもない。
ラルフは空中に止まると刀を抜き、空高く掲げた。長く細い片刃のそれは“剣”ではなく、“刀”だった。
緩やかに沿った刀身が、薄く白く光っている。
「妖しの魂宿る刀剣よ 今汝は解き放たれり 我が力受け入れよ」
呪文とともに刀から霧が吹き出し、辺りを包み込む。
「汝の属する主の名に於いて命ず――雷牙断つべし!」
詠誦が終わると同時に、ラルフは高速で刀を振り下ろした。剣先から長大な雷の柱が現れ、雲を貫き空を裂き、雲の中の海上に小さく見える島の上まで、雷鳴を轟かせた。
ラルフはその穴に飛び込むと、一直線に降下して島の中ほど、樹々の合間に降り立った。
島中から闘気が遡るごとく、大気が揺れる。
「……“雷皇”」
「雷皇じゃ……」
「妖刀を持つ雷皇が……」
「神に牙を剥く……」
どこからともなく、現れた四人の賢者がラルフを取り囲み、呻き声を上げた。
「賢者!?」
ラルフが太刀を振り上げると、雷撃が四方に走った。が、それは賢者たちを擦り抜けて空を切った。
彼らは奇怪な笑い声を響かせ、宙を浮遊する。
幻像でも、遠視でもない。
「亡者どもか」
敵を見据えるラルフの前に、賢者の姿が現れては消え、狂気に近い叫びを上げた。
「効かぬ、効かぬぞ……」
「神には効かぬ……」
「『女王』は我らが手にあり……」
「復活の刻ぞ!」
いよいよ狂い、笑う、その声は確かに、生きた人のものではなかった。
ラルフは死者の妄執が舞う中で、ほかにいるはずの、敵の位置を探ろうとした。
「やはり来たな、“雷皇”!」
探り当てる前に声が響き、天空から光の柱が落ちてきた。ラルフはそれを苦もなく躱すと、声のほうを見上げた。
白い衣の少年が、いや少年の姿をした敵が、意識のない妖精を腕に抱いて、宙に立っていた。
「イレーヌ!」
少年の後方の空気が揺れた、その瞬間、光り輝くドラゴンの姿が現れた。サンダーやファイアーに似た、しかしそれより遥かに巨大な竜。
ファイアーと同じ額の一角と、サンダーの持つ鼻先の一角。
二つの角が光ったかと思うと、その口から光炎の息が吐き出された。
ラルフは刀で光を薙ぎ払い、翔び上がって宙で少年と対峙した。
「神の力を、試すは愚かぞ?」
少年の声と、その姿にそぐわぬ老人の声が重なる。
ラルフは敵に向かい、刀を構えた。
――この少年に見える敵が、唯一生き残る賢者。それはわかる。だが「神の力」?
いや、このドラゴンは――
「ディヴァイン・ドラゴン……では、ない!」
力は感じる。しかし、実体の気配を感じない。
――神など、復活していない。亡者が言っていた女王とは、イレーヌのことか?
「ふ……愚かな。神を前にしても認められぬとは。
我こそが神の代行者となり、世界に正しき姿を取り戻すのだ!」
少年は余裕の笑みを浮かべる。
だが、ラルフには対峙するドラゴンが、「ディヴァイン・ドラゴン」だとは思えなかった。
魂が感じられないためだ。
これは幻覚に近い、「何か」だ。本来のドラゴンとも、異なる。
ラルフが考えているうちにドラゴンの角がまた輝き、今度は一際太く長い炎を吐いた。炎は前にいる敵と妖精の姿を擦り抜け、ラルフに向かって襲いくる。
ラルフがぎりぎり躱すと炎は空を裂き、それが届いた島の木々が、かっと光を放って消滅した。
攻撃は、幻覚ではないということだ。
しかし賢者の体には効かない力なのだとしても、なぜ、イレーヌの体も擦り抜けた?
ドラゴンは次々に炎を吐き出し、ラルフは翔び回って避け続ける。そうしながら、考えていた。
「逃げるだけか、雷皇!」
敵が笑う。
「逃げよ逃げよ……」
「無駄じゃ無駄……」
「雷皇の終わりぞ……」
「神の力ぞ……!」
亡者の霊が、辺りを舞い踊っている。
ラルフは魔力を呼応させようとするが、大気は何も反応しない。
(『気』が集まらぬ。すべて、このドラゴンが吸収しているのか?)
(――公爵閣下!)
聞き覚えのある声が、ラルフの思考に紛れ込んできた。
(イレーヌ! 意識があるのか!?)
敵の腕の中にいる妖精は、目を閉じたままである。
(ご推察通り、この竜には実体がございません。この男の体を介して力が暴走しているにすぎず、わたくしの体が動かせぬのも、その力の呪縛によるものです)
(呪縛?)
ラルフは炎を避けつつ、イレーヌの声を聞いた。
(はい……わたくしの体に力を集めて、魔力を同調させれば、呪縛は解けます。
そうなれば、閣下の敵となる力ではございません)
(しかし、『気』が――いや、待て)
ラルフが刀に目をやると、呼びかけてもいないのに白光して、水の粒子を纏っていた。
(使える。イレーヌ、私に同調せよ。解魂の術を行う)
(御意にございます!)
ラルフは空中に静止すると、刀を両手で構え、詠誦を始めた。
「――我が妖刀よ 汝が主を知れ」
(我が妖刀よ 汝が主を知れ)
それと同時に、イレーヌも自分の意識を、呪文に同調させ始めた。
「汝の見るは暗黒の当主 冥界より来たる いざないの声」
刀を包む霧が、陽炎を帯びて揺らめき、白い煙となって立ち昇る。
「なんのつもりだ?
無理に術を行えば、すべてその身に跳ね返るぞ」
少年は不気味に笑う。
亡者たちも、甲高い叫び声にも似た笑いを響かせている。
「耳を立て 眼を開け 真の主の命に応じよ その魂の通ずるところに我あり――解魂!」
刀が光を放って辺りを照らし、輝きに敵の目が眩んだ。
「ぐあっ!」
同時に、賢者の亡霊が光に溶ける。
「解……魂……!」
「我らは……」
「神の……っ!」
亡霊たちが消え去ると、イレーヌの体も光を放ち、その瞳が開いた。
白い体がするりと敵の腕から抜け落ちて、宙を舞う。ドラゴンの叫びが耳をつんざき、周囲に轟く。
「しまっ……!」
少年が声を上げた瞬間、
「轟雷焦身破!!」
「――がああぁぁっっ!!」
真上から振り下ろされたラルフの刀が、袈裟斬りに少年を両断した。
ラルフは目にも止まらぬ速さで刀を鞘に収めると、落ちていこうとするイレーヌの体を、間一髪で受け止めた。
島全体から轟音が上がり、地割れが起こって端から次々に、海中へと沈んでいく。雷雲の中にドラゴンの姿が吸い込まれ、少年の五体が砂塵のように崩れ、少しずつ散り散りになって吹き飛ばされる。
「なんという……こと、だ……神が……神が、女王を得て復活する、はず……が」
虚空に消えゆきながら、少年が呟く。
爆風の中、ラルフはイレーヌを抱えてシールドを張った。光球に包まれた二人の周囲では大気が荒れ狂い、光とともに雲が薄らいでゆく。
……女王を得て復活する?
あのドラゴンの影のようなものは、イレーヌの魔力を利用していたわけか。
ガルシアとラルフを除けば、おそらくイレーヌが、世界で最高に近い魔力の持ち主だ。
「無、念……ぅあぁ……ぁ……!」
断末魔の叫びも微かに、少年は跡形もなく、消滅した。




