27.聖地へ
「セイントサイドに、ほかにも竜がいたとはな」
飛竜の背から遥か下方の地上を見下ろして、イレーヌは言った。
「『闇の森』は元々、竜族発祥の地とも言われています。とはいえ今も棲息しているのは、この飛竜と、あなたの手懐けた雷皇だけです。
飛竜は竜族の中でも亜種ですから、人間にもいくらか馴染みやすいんですよ」
案内役に徹した落ち着きすぎるほどの口調で、隣に座る少年が言った。
「あの雷皇に、人の匂いはしなかった」
「ええ。雷皇は炎帝よりも孤高の性情を持っていますし、里の誰も近寄ることは許されませんでした。
……正直驚きましたよ、あんなにあっさりと、雷皇の警戒を解かせてしまうなんて。魔天軍には三体ものドラゴンが所属されていると聞きましたけど、それも真実なんですね?」
「ああ」
「魔天王の直轄軍に炎帝、魔天公爵のお側に雷皇。
それと飛竜が、ダークエルフのお方の軍においでとか」
誇り高き炎帝と、従う飛竜と、――孤高の雷皇。まさに、然り……
イレーヌはふと思いを馳せ、目を伏せた。
「どうかなさいましたか?」
「……いや。随分高く翔ぶものだな。ルーンは、天空にでもあるのか?」
言いながら、イレーヌは天を仰いだ。
長い夏に入った明るい青空は、遠く深い色をしている。かの人の瞳に似た、澄んだ青だ。
「まさか。『上』からしか『道』が存在しないんです。地表から近づいても、それとは気づきません」
「結界か」
「並のものではありませんよ。多分、あなたにも破れないでしょうね」
無邪気な瞳でハートミィが微笑むと、イレーヌはハートミィに視線を移して尋ねた。
「そなた、賢者に仕えていたと申したな。
セイントサイドは、ルーンと世俗の人間を結ぶ里と聞いたが――里の者が皆、ルーンに通じているわけか?」
「いいえ、とんでもない。あなたはルーンについて、何をご存じです?」
「私は人並みのことしか知らぬぞ。
――伝説の『ルーンの賢者』と呼ばれる人間が、この世のどこかに存在していて……遥か昔から神に仕える選ばれた者として、ディヴァイン・ドラゴンに代わって世界を『監視』しているのだと。
そしてその賢者の棲まう地、ルーンの場所を知る者が、セイントサイドの民だ、とな」
「そうですね。セイントサイドの者なら、誰でもルーンへの道を知っています。
けれどルーンへ行ける者、そのお声を聞くことができる者は、いつでも里でたった一人なんです」
自分を見つめるイレーヌの瞳から、ハートミィは恥ずかしげに視線を逸らせて続けた。
「つまり、その、賢者様から『印』があって……里まで、お声が届くんです。そのお声を聞いた者が一度だけ、ルーンに参じます」
「それで賢者と対面か?」
「い、いいえ! 滅相もありません。
お声に従って、『禊』を受けます。ちょっとした儀式のことですが……それで、すぐまた里へ戻ります。
そのあとは二度とルーンには参らず、里で『聖石』――特別な水晶を通じて、賢者様にお仕えするんです。次の選者に、交代する時まで」
少年は恐縮してか、頬を紅潮させた。
「賢者様のお姿を拝するなんて、恐れ多いことはありません」
「つまりは『巫女』だな」
イレーヌは意味ありげに笑った。
「そなたの浮世離れした雰囲気は、そのせいか。年齢の割には、臆するところがない。
……巫女と言えば処女が務めるものだと思っていたが、そなたも変わらぬようだ」
「それは……同じです。お仕えする者は、里の者とも交わりを絶たれますから。
私も義務を終えたばかりで、ずっとその……人と会わずに、まして……あなたのような、美しい方にお会いすることは」
少年はますます赤面して、耳まで赤く染まった。
「生涯会わぬがよかったな」
イレーヌは小さな笑い声を立てると、空の青さに目をやった。
「私は咎人だと、言われたことがある。私の姿は人を惑わせ、道を誤らせて、無明の闇へと堕としめるのだと……
そこに待つのは狂気と破滅ばかりで、一片の救いもない。
死してなお地獄の業火に身を灼かせて、それでも私自身は穢れずあり続ける――それが私の宿業なのだ、とな」
「そんな……」
「事実、そうして滅びた者を私は知っている。今なお、苦しみ続けている者もな。
『神』が目覚めたなら、真っ先に私へ裁きを下すやもしれぬ」
ハートミィは寂しげに、イレーヌの横顔を見た。イレーヌは穏やかな表情で、まっすぐ前を見つめている。
「そんなことはありません……よ。神は、あなたを……」
「別によいのだ。私はすでに救われている。
贖罪を望むつもりもない」
イレーヌは優しげに微笑んだ。
「あの方がいてくだされば、何も恐れはせぬ」
「……魔天王、ですか」
「ああ」
二人を乗せた飛竜が、ゆっくりと旋回しながら上昇し始めた。
「そろそろ、『道』に入ります。間もなくですよ」
ハートミィの声が、また使者のそれに調子を変えた。




